13話 シャトレーゼ・シエラ
翌朝になると、屋敷内の空気が大きく変わっていた。
ラクサーシャたちが明日には帝国を脱出するため、召使いたちはその準備に奔走している。
結局、ヴァルマンは内通者を見つけることは出来なかった。
屋敷内の兵士や召使いはヴァルマンに信頼された者しかいない。
皆が帝国への反感を抱いており、解放軍として積極的に活動している。
この中に内通者がいるなど、考えられなかった。
ラクサーシャたちは起床すると、ヴァルマンの私室を訪ねる。
壁の中には黒装束の者たちがおり、屋敷の中では最も安全な場所だ。
「やあ、リィンスレイ将軍。そしてベルも。クロウはまだ外出中かな?」
「うむ。直に帰ってくるだろうが、先に話を進めておくべきだろう」
「そうしようか。シャトレーゼを呼んで行くから、食堂に行って待ってて」
「分かった」
ラクサーシャとベルが食堂に移動する。
少し遅れて、ヴァルマンたちが到着した。
「さて、それじゃあ今後の方針について話そうか」
ヴァルマンは席に着くと、真剣な表情になる。
そこに普段の温厚な顔はなく、あるのは優れた為政者としての威厳だ。
叡智のヴァルマンと呼ばれるに相応しい覇気がそこにあった。
それこそ、ラクサーシャがほうと溜め息を吐くほどに。
「今、解放軍の規模はかなり小さい。リィンスレイ将軍のおかげで戦力的にはだいぶ良くなったけれど、残念ながら、帝国にはまだまだ届かないだろうね」
ヴァルマンは少し悔しそうに言う。
帝国軍の規模は解放軍とは比にならないほど巨大だ。
それだけでなく、帝都にある城の地下では得体の知れない実験が行われているという。
その情報が掴めない今、帝国の戦力は天井が見えない。
解放軍と言えど、現在はヴァルマンたちを除くと兵士五百名、召使い二十名、黒装束の諜報部隊が五十名と規模は小さい。
同志を募ってはいるものの、あまり大きく動けば帝国に動きがバレてしまう。
故に、帝国内部で十分な戦力を募ることは厳しかった。
「だから、リィンスレイ将軍には帝国外で戦力を集めてほしい。飛び抜けた英傑でも良いし、国一つと協力関係を結びつけるのも良い。今はとにかく戦力が欲しいんだ」
「うむ、分かった」
「僕たちは帝国内部で情報を集めたり、味方を増やしていこうと思う。幾人か目星も付いているからね」
「しかし、シエラ領で活動するのは危険だろう。私を匿っていると知られた可能性があるのだ、審議会に引っ張られるかもしれん」
「そうだろうね。証拠は取られてないけど、リィンスレイ将軍を匿ったとあれば冤罪を着せてでも罰せられるだろう」
だから、とヴァルマンは続ける。
「シエラ領は捨てることにした。資金は十分手に入ったし、物資も十分にある。リィンスレイ将軍の脱出と同時に、僕たちも帝国各地に潜伏して諜報活動に専念するよ」
「あの、ヴァルマン様。シエラ領はどうなるんですか?」
「十中八九、帝国に食い潰されるだろうね。残念ではあるけど、覚悟はしているよ」
「そんな……」
ベルは悲しそうに俯く。
窓の外を見れば、ミュジカの宴に備える領民たちの姿があった。
駆け回る子供たち、仲睦まじい男女、老夫婦。
その光景が、もう見られなくなるのだろう。
帝都のように生気を失った町になってしまうかもしれない。
「ヴァルマン、一つ聞きたい」
「何かな?」
「なぜ、そうまでして帝国に敵対する?」
ラクサーシャは最愛の娘を奪われた。
敵対するには十分すぎる理由だろう。
ならば、ヴァルマンはなぜ解放軍を作り上げ、帝国を打倒しようと言うのか。
ラクサーシャの問いに、ヴァルマンは少し考えてから口を開いた。
「僕自身は、リィンスレイ将軍ほど酷い目にあったわけではない。だけど、シャトレーゼは違う」
ヴァルマンが視線を向けると、シャトレーゼが一歩前へ出た。
何をするのかと見ていると、腕に術式が浮かび上がる。
それを見て、ラクサーシャは目を見開く。
「これは……人体を魔導具にしているのか。刻まれているのは強化と俊敏の術式……。しかし、帝国にそんな技術があるなど、私は聞いていない」
「恐らく、指揮官クラスも知らないでしょう。アレは教会の管轄ですから」
「ほう、ガーデン教が絡んでいるのか」
ラクサーシャは興味深そうに尋ねる。
思い返せば、戦争に繰り出されるばかりで帝国の内情をほとんど知らされていなかった。
ただの駒として使われていただけなのだと思うと、その手に力が籠もる。
「ええ。寧ろ、帝国の腐敗の原因はガーデン教にあると言って良いでしょう。何者かが皇帝を裏で操っているはずです」
「教皇か?」
「恐らくは……。しかし、不明な点も多いので断定は出来ませんが」
「そうか。ガーデン教か」
ラクサーシャはその名を繰り返した。
一見すると落ち着いているように見えるが、その内には今にも溢れそうなほど激情が渦巻いていた。
微かに殺気も溢れている。
「帝都の城の地下には教会の実験場がある。魔導兵装の開発とかもそこでやっているみたいなんだ」
「特に人間に術式を刻み込むのは生体人形と呼ばれていました。適性があるらしく、誰しもが適応出来るわけでもありません。刻む際に酷い痛みを伴うので、その課程で九割は死にました」
シャトレーゼは苦しそうな表情で言う。
だが、そこで死ねたならばまだ良い。
その先の、地獄のような訓練をせずに済むのだから。
「生体人形として術式を刻まれた者たちは戦闘訓練させられます。相手は人も魔物も関係なく、毎日のように殺しをしなければなりませんでした」
シャトレーゼは眉間に皺を寄せる。
よほど辛かったのだろう、その手は震えていた。
「私は運良く、隙を見て逃げ出すことが出来ました。そして、行き倒れていたところをヴァルマンに拾ってもらったのです」
「始めはシャトレーゼの話しに半信半疑だったんだけど、調べると不審な点がいくつも出てきてね。非道な行いを止めたいって言う気持ちもあるけれど、僕は単純に、シャトレーゼを苦しめた帝国が許せなかったんだ」
ヴァルマンの話を聞くと、ラクサーシャは感心したように頷いた。
彼もまた、確固たる信念がある。
信頼に値すると思った。
少しして、食堂の扉が開かれた。
入ってきたのはクロウだった。
夜通し情報を集めていたのか、目の下には隈が出来ており足取りも頼りない。
「よう、旦那。帰ったぜ」
「ずいぶんと遅かったが、何か収穫はあったか?」
「多少はな。けど、内通者に関してはお手上げさ」
クロウは残念そうに言うと、席に着いた。
これで人数は揃った。
後は当日の打ち合わせをするだけだ。
「さて、明日の行動に関してだけど……」
そして翌日、帝国脱出の時が来る。




