間話 溺れる
教皇からの説明を聞き終えると、ベルは足早に退室する。
その場の空気が好かないのだ。
悪人の中にいると、自分がラクサーシャたちを裏切ったことを思い知る。
ベルは裏切ったことを後悔している。
逆らえぬ立場とはいえ、仲間を手にかけたのは確固たる事実。
その手には未だにシュトルセランを殺めた感触が残っていた。
だが、ベルは自分が悪人であることを認めたくなかった。
認めてしまえば、己を保てる自信がなかった。
「いつまで経ってもうじうじと。全く、不愉快さね」
いつの間にか、ベルの傍らにエドナがいた。
足早に立ち去ろうとするベルの腕を掴み、ニタリと厭らしい笑みを浮かべる。
「カカカッ! お譲ちゃんは少し怯え過ぎさねぇ。仲間に怯えてどうすることやら」
「……仲間では、ありません」
「いいや、仲間さ。お譲ちゃんも私も、自分の目的のために他人を犠牲にした。であれば、同類であることは否定しようの無い事実」
エドナの言葉がベルの心を抉る。
確かに、そこは共通している。
だが、ベルはその言葉を認められなかった。
「同類じゃありません。私は、仕方なく……」
「嗚呼、呆れた。未だに綺麗なままでいたいなんて、そんな逃避は三流のやることさね」
エドナは心底残念そうに呟く。
そして、狡猾な瞳をベルに向けた。
「お譲ちゃんは妹のため。ならばなぜ、私がアウロイに手を貸しているか分かるか?」
「いいえ……」
「利害関係さ。魔核術の研究を支援してもらう代わりに、あの男の兵となった」
エドナは懐から魔核を取り出す。
それをうっとりと眺め、視線だけをベルに戻した。
「魔核術は代償魔術の完成形。あの男の協力が無ければ、ここに至ることは無かった。故に、私は未だに手を貸し続けるのさ」
「なら、教皇に反論しないんですか。教皇が何か企んでいるのは分かったはずです」
「あれは異常者さ。何を隠しているかは分からないが……まあ、アウロイを欺こうってつもりだろうが、それが出来るとは思えないさね」
エドナは大して気にしていない様子だった。
教皇は不気味な雰囲気を纏っているが、それもアウロイには及ばないと考えていた。
「お譲ちゃん、あんたは罪を自覚するべきさね」
「私は強要されて、仕方なく……」
ベルの言葉を遮るようにエドナが咳払いする。
そして、ぎろりと目を見開いてベルを睨み付ける。
「将軍は、まあ好ましい人間ではあった。あれは自分に言い訳をしない。自分の罪を理解した上で行動できる人間さ」
しかし、とエドナは続ける。
「お譲ちゃん、あんたは好かないねぇ。そんな汚れきった体で、処女でも気取ったつもりか。気にくわない、全く気に食わない」
そう、自分の手は汚れている。
どす黒くこびり付いた血が、あの日から剥がれ落ちない。
手を幾ら洗おうと、その罪は落ちないのだ。
愕然と自分の手を見つめるベルに、エドナは愉快そうに嗤う。
「そうさ、それでいい。それこそが、裏切り者の顔さね」
ベルの頭は酷く混乱していた。
そこに理性が残っているのかさえ分からない。
ただ、自分を肯定したい。
罪の意識から逃れて楽になりたい。
目の前の老婆は、その在り方を弾劾するのだ。
「わ、私は――」
「裏切り者」
「ただ、利用されているだけで――」
「仲間を欺いた」
「違う、私はただ、妹のために――」
「仲間を殺したぁッ!」
エドナの哄笑が響き渡る。
愚かな少女には、指を刺して嗤ってやればいい。
心底愉快そうにエドナは嗤い続ける。
息苦しさにベルはよろめき、壁に手を突いた。
いつの間にか軽い酸欠状態になっていた。
酷い目眩と吐き気に襲われ、覚束ない足取りでその場から逃げ出す。
「……どうやら魔核薬に溺れたか、裏切り者の修道女」
ベルは既に、狂気の境界を越えていた。
エドナは遠ざかる背を愉快そうに眺めていた。