間話 裏切り者
ベル・グラニアはガーデン教の信徒だ。
ただの信徒ではなく、教皇直属の部下として活動している。
アウロイの目的を達するため、彼女は内通者としてラクサーシャに接触した。
彼女の父であり大司祭でもあるローウェル・グラニアがラクサーシャと面識があったこと。
そして、ベル自身が幼い頃にラクサーシャと会っていたこと。
全て、仕組まれたことだった。
それに罪悪感を抱いていないわけが無かった。
事情があるとはいえ、裏切りは心に深い傷を付ける。
裏切られた側だけでなく、裏切った側にも。
楽しかった旅の光景が、幾度と無く夢に出てきていた。
あの時、教皇の囁きを無視していたら。
あの光景の中に、今も自分がいたのだろう。
だが、そうなると妹を見殺しにすることになってしまう。
それだけは出来ない。
出来ないのだが、仲間を裏切ったことも耐え難かった。
ベルは未だに良心の呵責に苦しんでいた。
そんな折に教皇からの呼び出しが入った。
教皇に呼び出されるたび、ベルは自分が裏切り者であるという事実を思い知る。
今回呼び出されたのは、まだ夜も深い時刻であった。
場所はガーデン教の教会。
中でも、帝都のそれは他とは規模が異なっている。
教皇ヴァンハート・レイドが住まうこの教会。
その実は、アウロイの私兵が集う場所でもあった。
ベルはソファーに座って教皇を待つ。
理由に関しては一切聞かされていなかった。
「待たせたな、ベル・グラニア」
しわがれた老人の声。
どこか不愉快な響きを感じつつ、ベルはその男に一礼する。
乱雑に腰掛ける姿とは裏腹に、教皇の目は異様に理知的な気配を帯びていた。
目の前の男は底が知れない。
警戒しつつ、ベルは教皇の言葉を待つ。
だが、待てどもその口は閉ざされたまま。
重苦しい沈黙、そして威圧。
枯れ木のように細い腕は頼りないが、どこか不気味な気配が感じられる。
ベル自ら口を開くことは出来なかった。
そうして半刻が過ぎた頃。
ベルの精神が限界を迎えかけていた時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します」
呼び出されたのはベルだけではなかった。
レイナが部屋に入ってきて、続けて眠そうに大きな欠伸をするガルムが部屋に入ってきた。
さらに、その数分後にエドナとシュヴァイがやってきた。
一同が揃ったことを確認すると、教皇はようやくその口を開いた。
「良くぞ来た、諸君。今日は話せばならぬことがあってな」
「あん? もったいぶってねぇでさっさと教えろ」
ガルムの言葉に、教皇はやれやれと首を振った。
そして、蔑んだような瞳でガルムを見つめる。
「これだから、貴様では将軍に勝てぬのだ。品性が足りぬ」
「テメェなんかに戦いはわからねぇだろ」
「ほほう?」
その言葉は、ガルムの背後から聞こえていた。
首筋に金属独特の冷たさを感じ、ガルムは冷や汗を垂らす。
いつの間にか背後に立っていた教皇が、ガルムの首筋に剣を当てていた。
「言ったはずだ、品性が足りぬと」
「……ちっ、分かった。次からは気をつける」
「それでよろしい」
続く言葉は、もとの立っていた位置から聞こえた。
得体の知れない不気味さ。
今のガルムでさえ及ばないほどの実力。
アウロイと違った意味で、この男は厄介だった。
「それで、どのようなご用件で?」
レイナが場を仕切りなおすと、教皇が口を開いた。
「翌週には、将軍が率いる連合軍が帝国に攻めてくる。その報告が一つ」
「……今回、帝国は受身なのか?」
シュヴァイが首を傾げる。
これまでの戦争は全て、帝国からの侵略戦争だった。
連合軍は厄介だが、王国単体なら問題無く滅ぼせるはずだ。
だというのに連合軍を待ち構えるというのは、これまでの帝国らしからぬ状況だった。
「偶にはそういうこともある」
「しかし、それは愚策ではないのか。帝国の繁栄を考えるならば、今すぐにでも王国にせめ――」
そこで言葉は途切れた。
鮮血が舞い、床を赤く染め上げる。
教皇の手により、シュヴァイは戦争を待たずに死を迎えた。
それを糾弾する者はいない。
出来ないのだ。
そうすれば、自分が二の舞になることは分かりきっている。
教皇の手には、巨大な槍が握られていた。
あるいは装飾過多な杖か。
いずれにせよ、それが恐ろしい武器であることには変わりない。
シュヴァイを殺したにもかかわらず、その表情は平然としていた。
教皇は槍を虚空に消し去ると、再び説明を開始した。
戦争時の行動について、一同は細かく指定されていく。
その内容は、素人が考えたにしてもあまりにも酷いものだった。
まるで自国の被害を増やそうとしているかのような戦略。
そこを指摘できる者はいなかった。
着々と進んでいく説明に、ふとベルが疑問を口にする。
「あの、アウロイ様はいらっしゃらないのですか? こういった集まりに顔を出さないのは、不自然な気が――」
ぐちゃりと不快な音が聞こえた。
先ほど切り落とされたシュヴァイの頭。
それを教皇が踏み潰した音だった。
「ベル・グラニア。余計なことは考えなくていい。これは我が主のためなのだ」
放たれる殺気は本物。
これ以上続ければ殺すと言っているも同然だった。
体中から噴出す汗も気にする余裕が無かった。
「利口だな。妹もお前のことを誇らしいと思っているだろう」
そう言って、教皇は殺気を消した。
ベルは一先ず安堵するも、考えることをやめるわけにはいかなかった。
教皇の内に何が隠されているのか。
アウロイのいない場で、話が進んでいく。
棒のように細められた目から、教皇の思惑を知ることは出来ない。