113話 世界を見下ろす
やがて夜が明ける。
まだ朝早く、朝霧が里を霞ませていた。
そんな時刻だったが、部屋にマヤとコウガが訪れた。
「失礼します。当代様がお呼びですので、付いてきてください」
案内されたのは、里の中央にある広場だった。
そこに、クロウが立っている。
エルシアが眠たそうに目元を擦り、クロウに尋ねる。
「ねえ、こんな朝早くにどうしたのよ」
「まあ見てなって」
そう言うと、クロウは妖刀『喰命』を高々と翳し上げる。
黒炎を立ち上らせ、その名を呼ぶ。
「――来い、閉門の楔ッ!」
呼び声に、天が応じた。
大地を揺るがす咆哮と共に、空から巨大な影が迫る。
膨大な魔力と、強者の気配。
凄まじい速度で迫り、一同の前に悠然と姿を現した。
着地すれば、あまりの大質量に大地が陥没するほど。
危険はないと分かってはいても、エルシアは足が竦みそうだった。
青白く輝く巨竜が広場の中央に降り立った。
一同は閉門の楔の姿に息を呑む。
体長は十メートルはあろうかという巨大な竜。
巨躯を覆う聖銀の装甲に、青白い光が走っていた。
「こいつが閉門の楔の真の姿。楔の眷石と一体化した人形兵、ヴァハ・ランエリスが遺した神代の兵器だ」
遺跡で無力化した際の傷は跡形も無くなっていた。
極大の魔石を嵌め込んだ今、閉門の楔は完成形に至った。
雄大に広げられた双翼には、複雑な術式が刻まれている。
遺跡で戦った際に古代竜が発動した術式と同じだ。
楔の眷石を一体化した今、その術式破壊に抗える者はいないだろう。
帝国との戦争に耐え得るだけの代物だ。
術者をクロウに定め、彼の傍らに付き従っていた。
「それでよお、この後はどうするんだ?」
レーガンはラクサーシャに視線を向ける。
「大陸に戻り、王国に向かう。準備が出来次第、帝国へ進軍する予定になっている」
大陸を出る際に、ラクサーシャは予めヴァルマンに指示を出していた。
戻る頃にはヴァルマンたちは帝国から脱出して、王国側と合流していることだろう。
既に戦争の準備は万全だった。
そう、戦争が始まるのだ。
その苛烈さを考えれば、誰が死ぬかも分からない。
自然と、真剣な表情に変わっていた。
短い滞在時間ではあったが、それぞれが自分を見つめなおすいい機会となっていた。
里の穏やかな風景を惜しみつつ、荷物を纏めた。
「なあ、旦那。帰りは船旅じゃなく、こっちにしないか?」
そう言って指差したのは閉門の楔だった。
その背の大きさを考えれば、ラクサーシャたちを乗せることなど容易いだろう。
「ほう、それはいいかもしれんな」
ラクサーシャが頷く。
戦争が始まれば、こうして穏やかな時間を過ごすことはないだろう。
人生最後の楽しみとして、こういうのも悪くはないと考えていた。
「おっしゃ! そうと決まれば、さっそく乗ろうぜ!」
レーガンが興奮気味に閉門の楔の背によじ登る。
そして、そこからの眺めに心を振るわせる。
「すげぇ! まさか竜の背に乗れるなんて、オレは思わなかったぜ」
感激したように呟き、レーガンはセレスに手を伸ばす。
セレスはその手を取ると、閉門の楔の背に登った。
そして、感心したように頷いていた。
全員が背に登り終えると、クロウが命じる。
「さあ、閉門の楔。大陸まで、一気に頼むぜ」
閉門の楔は咆哮すると、巨大な翼を軽く羽ばたかせる。
そして、大地を力強く蹴って跳躍した。
「うおおおおおおっ!?」
あまりの速さに、レーガンが驚いたように声を上げる。
閉門の楔はそのまま空高く飛び上がると、その両翼を広げて体勢を安定させた。
ようやく落ち着くと、一同はその眺めに感嘆のため息を吐く。
里を一望するどころの話ではない。
楔の民の里が、とても小さく見えていた。
「すげぇ……竜ってのは、いつもこんな景色を見てんのか」
レーガンは空から見る景色に、ただただ感動していた。
傍らに座ったセレスと共に、空の旅を楽しんでいた。
ラクサーシャは景色を眺めながら、ふと、シャルロッテのことを思い出す。
この景色を見たら、どれだけ喜んでくれるだろうか。
そんな考えを持ってしまうのは仕方の無いことだろう。
腰に帯びた軍刀『執念』に手を添えた。
戦争を前にして、後は時を待つだけである。
殺意を極限まで研ぎ澄ませ、ラクサーシャはその時を待つ。