12話 内通者
ヴァルマンの屋敷に帰ると、丁度夕食の支度が出来たところだった。
出掛けていたクロウも既に帰ってきており、豪華な食事を前に目を輝かせていた。
ラクサーシャとベルが席に座ると、ヴァルマンが食事の祈りを捧げる。
「我らが糧となる生命に感謝を。恵みを下さるアドゥーティスの神々に祈りを」
ラクサーシャたちは手を額の前で組み、瞑目する。
十秒ほど祈りを捧げた後、目を開く。
「さあ、召し上がれ」
ヴァルマンがそう言うと、クロウが真っ先に食事をかき込み始める。
その横ではラクサーシャがテーブルマナーを守って食べていたので、ベルはクロウとの差が面白くてクスリと笑った。
和やかな夕食だった。
談笑を交えながら食事を進めていると、ふと、ラクサーシャがその手を止めた。
見れば、シャトレーゼも手を止めていた。
「どうしたんだよ、旦那。食わないのか?」
「……微かだが殺気を感じる」
ラクサーシャが周囲を探る。
すると、ヴァルマンの屋敷内に幾つかの気配を感じた。
隠密行動に長けているようで、正確な位置までは感知できない。
「……場所が分からんな。なかなかの手練れのようだ。ヴァルマンは皆を頼む」
「分かった」
ヴァルマンは頷くと、部屋の中に私兵を呼んだ。
黒装束の方ではなく、鎧を身に纏った表向きの兵の方だ。
帝国からの刺客であるならば、黒装束を見られては不味いからだ。
ラクサーシャが席を立つと、シャトレーゼも立ち上がった。
「私も行きましょう。一人でも逃せば面倒ですから」
「いいだろう。ならば、屋敷の北側を頼む。私は南側へ行こう」
「分かりました」
ラクサーシャとシャトレーゼが部屋を退出する。
ヴァルマンは私兵たちを部屋に配置させると、自身も剣を持って身構えた。
クロウも短剣を引き抜くと、ベルを庇うように辺りを警戒する。
「なあ、ヴァルマン伯爵。感付かれるにしても、ちょっと早すぎじゃないか?」
「ああ、これは明らかにおかしいね。屋敷内部に内通者がいる可能性が高い」
ヴァルマンは目を鋭くして辺りを見回す。
私兵たちも、召使いたちも、クロウとベルも。
この屋敷にいる人間には不審な点は見受けられない。
この中に内通者がいるとは考えにくい。
だが、屋敷内に内通者がいる可能性は極めて高い。
その辺りは最大限気を使ってきていただけに、ヴァルマンにはこの状況が信じられなかった。
「……仕方ない、今は襲撃に備えようか」
ヴァルマンは一端思考を切る。
このまま考えていては不覚を取られるかもしれない。
今は目先の危険を回避することに専念するべきだ。
辺りが静寂に包まれる。
室内には微かに吐息が聞こえるだけで、音は聞こえない。
屋敷全体が静まりかえっていた。
未だ襲撃は訪れない。
張り詰めた空気に、緊張が高まる。
今頃はラクサーシャとシャトレーゼが襲撃者と戦っているのだろうか。
物音一つしない状況に、皆の心に徐々に不安が募る。
クロウは辺りを警戒するが、ラクサーシャのように気配を感じ取るといった能力は持ち合わせていない。
敵がすぐ近くにいたとして、彼は気づけないだろう。
しばらくして、部屋の扉が開かれた。
簀巻きにされた三人の男が投げ込まれ、遅れてラクサーシャとシャトレーゼが入室する。
「屋敷内にいた襲撃者はこれで全部だ。十中八九、帝国の者だろう」
「お疲れさま。尋問はこっちでやっておくよ」
「うむ、任せた」
会話を終えると、皆の緊張が解けた。
とりあえず、目先の危険は回避できたようだった。
しかし、まだ終わったわけではない。
ヴァルマンは視線を移す。
「シャトレーゼ」
「何でしょうか?」
「この屋敷に内通者がいる可能性が高い。至急、調査してくれ」
「分かりました」
「それと、リィンスレイ将軍たちは窓のない部屋に移動して欲しい。見られると拙いからね。後でメイドに案内させよう」
「分かった」
ヴァルマンは言い終えるや否や、今回の襲撃の原因を探る。
「内通者がいるなんて、あり得ない。屋敷内部は信頼の置ける人間で固めたはずだ。けれど、他に怪しい人物もいない……。けど、内通者は確実にいる。襲撃されるにしても、最低でもあと一週間はかかるはず……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、ヴァルマンは思考に耽る。
シエラ領を平和に保ち、他国との繋がりも一切痕跡を残さない。
叡智のヴァルマンと称された男でさえ、内通者には見当が付かなかった。
ラクサーシャたちはメイドに案内されて部屋に着く。
窓のない部屋は閉塞感があり息苦しいが、あと一晩と一日の辛抱だ。
多少のストレスは感じるだろうが、耐えられないことはないだろう。
ベルはベッドに腰を下ろすと溜め息を吐いた。
「急に襲撃があるなんて、びっくりしました」
「だよなあ。俺も生きた心地がしなかったぜ」
「クロウさん、顔に疲れがでてますよ?」
「うお、マジか。それは気を付けないとな」
クロウは顔をぺちぺちと叩いて気を引き締める。
自分が顔に出てしまうほど疲れているならば、ベルはもっと疲れているのだろうか。
そう思い顔を見てみるが、疲労の色は見えなかった。
「ベルは結構平気そうだな」
「そう見えますか?」
「ああ。羨ましいくらいだぜ」
冗談めかしてクロウが言う。
ベルはなぜ自分が平気なのかと少し考え、納得する。
「ラクサーシャ様がいますから。敵の襲撃があったとしても、安心できます」
「そ、そうか……。うーん、分かるっちゃあ分かるけどよ、俺はそれでもキツいぜ」
「これから長旅になるのだ、これぐらいは日常茶飯事だろう」
「マジかよ……」
先のことを思うと、余計に疲れてしまう。
そのときになれば何とかなるだろうと思い、クロウは考えるのをやめた。
それよりも、先ほどの問題を何とかすることが先決だ。
「けど、まさか内通者がいるなんてな」
クロウは先ほどのことを思い出す。
ヴァルマンの様子を見れば、内通者対策は万全のはずだ。
彼ほどの男が下手を打つようには思えなかった。
「俺の方でも少し探ってみるか。もしかしたら、ヴァルマンの目を欺くような奴がいるかもしれない」
「ほう、あのヴァルマンを欺くほどの手合いか」
「いると決まった訳じゃないけどな。もしかしたら、思わぬところに死角があるかもしれない」
そう言うと、クロウは早速行動を始める。
身支度を手早く整えると部屋の扉に手をかける。
「つーわけで旦那、俺はちょっと出掛けてくるぜ。帰りは朝になるだろうから、二人は先に休んでてくれ」
「うむ、分かった」
「わかりました」
クロウを見送ると、二人は寝る支度を整える。
まだ寝るには早い時間帯だが、明日には帝国脱出の準備があるため、体調を万全にしなければならない。
雲行きに不安を感じつつ、二人は就寝した。