108話 揺らぐ殺意
エルシアが地を蹴った。
素早い身のこなしでラクサーシャに肉迫し、横薙ぎに剣を振るう。
だが、剣を振るう動作の前に、ラクサーシャの刀が剣の軌道上に構えられていた。
それに気付こうと、剣をすぐに引き戻せるはずも無い。
寧ろ、その困惑が隙となってラクサーシャに攻撃の機会を与えてしまう。
ラクサーシャが身を翻したかと思えば、いつの間にか背後を取られていた。
首に手刀を軽く当てられ、エルシアは改めて実感する。
ラクサーシャが常識の通用する相手ではないのだと。
現に、ラクサーシャはエルシアと同等以下の身体強化しか使っていない。
だというのに、積み重ねた経験と技量で圧倒してみせたのだ。
力を制限してもこれなのか。
エルシアは戦慄いた。
あまりに理不尽、それがラクサーシャという存在である。
「……もう一度いくわよ」
再び距離を取り、エルシアは剣を構える。
今回も、ラクサーシャは受けの構えでエルシアを待ち構えていた。
この時点で、エルシアには攻め方が分からなくなっていた。
完成された構えには一切の隙も見当たらない。
これでは、攻撃の仕様が無かった。
エルシアは頭の中で様々な攻め方を考える。
だが、その中の一つとして通用するようには思えない。
純粋な剣の技量では、剣士ではないエルシアではだいぶ劣ってしまうだろう。
だが、怖気づいていては鍛錬の意味が無い。
エルシアは剣を突き出すように構えると、突進の要領で突き進む。
力を込めた渾身の突きも、放つ前に刀に遮られてしまう。
二回目も、やはり通用しなかった。
ならば、三回目。
折れずに四回目。
幾度と無く剣を振るうも、エルシアの剣は一度としてラクサーシャに届かない。
呼吸が乱れ、エルシアの肩が上下していた。
対するラクサーシャは、まるで消耗していないかのようだった。
事実、今のエルシアではラクサーシャを消耗させるだけの技量が無い。
あるいは大魔法具を使えば消耗させられるかもしれないが、しかし、それでも次元が違いすぎる。
彼女では、一割消耗させられれば良い方だった。
やがて二十を数えたとき、ラクサーシャがエルシアに助言を与えた。
「剣が当たらんのは能力の問題ではない。その視線、息遣い、僅かな予備動作。そして、殺気。これらの要素が、あまりにも素直に見えすぎているのだ」
視線を見れば、狙いが分かってしまう。
息遣いに注意すれば、剣を振るう瞬間を読まれてしまう。
予備動作に注意すれば、狙いと剣を振るう瞬間の予測を補強できる。
エルシアが致命的なのは、戦いにおいて素直すぎるところだった。
特に殺気に関しては分かりやすいほどであり、結果としてラクサーシャに全ての動きを見るまでも無く防がれてしまうのだ。
これでは、対等な相手と戦うには厳しいだろう。
ラクサーシャの助言を反芻し、エルシアは再び剣を構える。
今度こそ、一撃を入れてみせる。
気迫に満ちた表情で剣を構える姿は、一人前の剣士だ。
地を大きく踏み込み――凄まじい速度でラクサーシャに肉迫する。
視線は狙う場所に向けない。
じっとラクサーシャの瞳を見つめている。
息遣いは一定の間隔にしない。
独特の間隔で呼吸をすることで剣を振るう瞬間を読ませない。
予備動作は意識して押さえ込んだ
気取られぬように構え、予備動作が無いかのように剣を振るう。
変わらないのは殺気だった。
エルシア自身、この部分を変える必要は無いと考えていた。
ラクサーシャの根本に『執念』があるように、エルシアの根本には『殺意』がある。
ならば、これは寧ろ活かすべき長所だ。
脳裏に浮かぶのは親が死んだ瞬間。
途端に膨れ上がった殺意が、エルシアの剣速を飛躍的に向上させる。
振るわれた一撃は重く、速く、精密。
ラクサーシャでさえ感心するほど、完成された一撃だった。
だが、ラクサーシャの心臓を貫かんとしたとき、その軌道が僅かに下に反れた。
剣はラクサーシャの腹部を貫き、ラクサーシャは驚いたように目を見開く。
だが、驚いたのはラクサーシャだけではない。
エルシアもまた、自分の剣が逸れたことに驚きを隠せないでいた。
なぜ、剣が逸れたのか。
エルシアはその原因に心当たりがあった。
認めたくない事実。
だが、剣が逸れたことによってそれが証明されてしまったのだ。
エルシアの殺気は、ラクサーシャを貫こうとした時に揺らいだ。
今の彼女は殺したいほど憎いと思えていないのだ。
親の仇であるはずなのに、憎悪を向ける相手であるはずなのに。
ラクサーシャを憎みきれないのだ。
「……もう、いい」
エルシアはラクサーシャに背を向けると、そのまま歩き去ってしまう。
その場に残されたラクサーシャは、空を見上げて少しばかり物思いに耽っていた。