104話 少女の葛藤
ふと、エルシアは目を覚ました。
視界に見慣れぬ天井が映る。
眠気眼で辺りを見回してみれば、どうやら自分が寝ていたことに気付がく。
この部屋は木で造られているらしく、どこか温かみを感じさせた。
大陸の建築は大抵が石造りで、木造建築はなかなか見る機会が無い。
数少ない木造建築の一つが、エルシアの故郷だった。
夢でも見ているのだろうか。
そんな疑問を抱いた。
でなければ、こんな光景を見ることは無いはず。
そう思ったとき、エルシアは我に返る。
即座に剣を抜刀し、辺りを見回す。
エドナに敗北したエルシアは、いつの間にか気を失ってしまった。
彼女は戦いの結果を知らない。
最後の記憶は、レーガンとセレスが倒れている光景。
自分が負けてどこかに連れて行かれているのではと、エルシアは焦燥に駆られる。
部屋の中にいても微かに香る潮の香り。
港町から遠く離れてはいない場所だろう。。
そう考え、エルシアは即座に行動を開始する。
どうやら建物は単純な造りらしく、迷うことは無かった。
存外に狭い建物を進み、扉の前に佇む。
そっと耳を当ててみれば、外に足音が聞こえた。
徐々に近付いて来る足音。
恐らくは扉に向かってきているのだろう。
エルシアは剣を構え、奇襲の準備を整える。
ロアに似た、どこか異様な気配。
しかし、外にいる存在は更に格上に思えた。
緊張で噴出す汗を拭うことも忘れ、じっと息を殺して待つ。
そして、その時が来た。
扉が開くと同時に剣を思い切り突き出す。
確かな手応えと共に、返り血がエルシアの手にまで飛び散った。
だが、エルシアの表情が驚愕に染まる。
胸に突き刺さった剣は、確実に心臓を貫いている。
視線を上げれば、ラクサーシャの顔がそこにあった。
「あ、私……ご、ごめん、なさい……」
口から出てきたのは謝罪の言葉だった。
以前のエルシアならば、その光景をどれだけ喜んだことか。
しかし、何故だか後悔の念しか浮かばなかった。
取り返しのつかないことをしてしまった。
呆然とラクサーシャを見つめるが、彼はまったく焦るような素振りを見せなかった。
その様子がこのまま死を受け入れようとしているように見え、エルシアは慌てて剣を引き抜く。
治癒に使える大魔法具を出そうとして、ラクサーシャに制止された。
「な、なんで……っ!」
エルシアは目を見開く。
ラクサーシャの体の異常に驚愕した。
傷口から大量の血が溢れ出していた。
それと共に、禍々しい瘴気が溢れ出している。
瘴気は瞬く間に傷を治し、跡形も無く霧散した。
そして、エルシアは納得する。
自分が生きているのは、ラクサーシャが勝ったからなのだと。
不死者と化したラクサーシャの姿を見つめる。
「……不死者になったら、殺せないじゃない」
「すまない」
エルシアの口から出てきたのは酷い悪態だった。
だというのに、ラクサーシャはその言葉を咎めることはしない。
エルシアの言葉を正面から受け止めていた。
それが、彼に出来る数少ない贖罪の一つだった。
気まずい沈黙に耐えかね、エルシアはラクサーシャを押し退けて外に出る。
潮風が彼女の髪をふわりと靡かせた。
月が煌々と輝いていた。
緊張で気付かなかったが、足元はゆっくりとだが上下に揺れている。
エルシアは、今いる場所が船の上であることに気付いた。
慣れぬ足場に困惑しつつ、エルシアは船の縁に肘を突いた。
視界に移るのは、果てしなく広がる海。
眺めていると自分がちっぽけな存在に思えてしまう。
波飛沫が月光をきらきらと反射していた。
多様に表情を変える光景はあまりに美しい。
エルシアは海の幻想的な景色にしばらく見惚れていた。
一頻り海の美しさを味わうと、エルシアは現実に引き戻される。
振り返れば、ラクサーシャが壁にもたれて眠っていた。
あまりに無防備な姿。
だというのに、エルシアは以前のような強烈な殺意を抱けなかった。
確かに、ラクサーシャは彼女にとって仇だった。
それは今になっても変わることは無い。
だが、同じくらい恩人でもあった。
自分はどれだけ命を救われたのだろうか。
エルシアは共に旅した時間を振り返り、眉を顰めた。
自分がどうすればいいのか、今のエルシアにはわからなかった。
ラクサーシャに視線を戻す。
よく見れば、その肌は幾分か血色が悪くなっていた。
不死者と化した影響であることは、ロアを見ているためすぐに分かった。
覇気に満ちた姿。
それは、眠っている状態でも変わることはない。
むしろ、ラクサーシャは以前よりも力強くなっていた。
少し前までの、弱々しい姿はどこにもない。
エルシアはラクサーシャの姿に安堵している自分に苛立ちを感じる。
なんだかんだで信頼してしまっている自分が憎かった。
いつの間にか、悩むのは自分の番になっていた。
一際強い潮風がエルシアに吹き付ける。
夜風は酷く冷たかった。
寒さに耐えかねて部屋に戻ろうと思い、ふと、ラクサーシャに視線を向ける。
こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまう。
「……私には、関係ないんだから」
起こすことも、毛布を掛けることもしたくなかった。
そうしてしまえば、自分の復讐心が薄れてしまう。
エルシアは足早に自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がる。
その夜、エルシアは罪悪感に苛まれて寝ることが出来なかった。