103話 塊剣の襲来(3)
そこに、かつての高潔な騎士はいない。
空箱に縋る、弱き男は消え去ったのだ。
今ここに、憎悪の炎に燃える一人の復讐者が誕生した。
ラクサーシャは荒く息を吐き出す。
その刀がどれだけ赤く染まろうと、味わったことが無い感覚。
まるで、魔力が無限に溢れて来るよう。
これまで感じたことが無いほど、彼の心は昂ぶっていた。
切り落とされた腕の断面から瘴気が噴出す。
腕が生成されていく感触。
存外に、気味悪くは無かった。
高揚感のせいか、むしろ心地良くさえ感じていた。
ラクサーシャは刀を構える。
半ばから折れていたはずの刀は、いつの間にか元の状態に修復されている。
否、更なる力を宿していた。
「――改め、軍刀『執念』」
もはや迷いは無かった。
その瞳に映るのは復讐のみ。
不死者となった今、ラクサーシャを阻める者はいない。
底知れぬ魔力。
そして、一切の迷いも無い瞳。
吹き荒れる瘴気。
さあ、魔刀の反逆者の始動だ。
「行くぞ、ガルムッ!」
気迫に満ちた表情。
ラクサーシャは刀を水平に構えた。
一切のブレも無い構えに、ガルムはようやく思い知る。
やはり、目の前の男は格が違うのだと。
力強く踏み込み――その姿が掻き消えた。
遅れて、大地が轟音を発して陥没した。
刹那で眼前に迫ったラクサーシャに、ガルムの表情が歪む。
両者の剣がぶつかり合うも、人と不死者とでは拮抗するはずも無い。
予想を遥かに上回る一撃にガルムはたたらを踏む。
続くラクサーシャの追撃を迎え撃つも、ガルムではまともに受けることさえ叶わない。
素早く繰り出されたガルムの剣撃の悉くを、ラクサーシャは上回っていく。
焦りから、ガルムは力任せに塊剣を薙いだ。
人間ならば、誰もが退くであろう一撃。
当たればただでは済まないほどの威力が込められたそれを、ラクサーシャは手刀で弾いた。
同時に彼の手が潰れるも、瘴気が即座に修復を施す。
「ほう、便利なものだ」
感心したように呟く、そんな余裕さえあった。
その一瞬の隙を見せたところで、ガルムが弾かれた塊剣を引き戻すには時間が足りないのだ。
無防備になったガルムに、ラクサーシャは刀を振り下ろす。
「これで仕舞いだ」
振り下ろされた刀は、しかし、ガルムを切り裂くことは無かった。
彼我の間に割り込む者が一人。
補佐官レイナ・アーティスが、その身を挺して刀を受け止めたのだ。
しかし、それだけで止められるはずも無い。
不死者と化して更に高まった魔力。
それを込めたラクサーシャの剣閃は、全てが奥義・断空に等しい威力を誇る。
視界を血飛沫が埋め尽くす。
レイナが稼いだ時間を利用し、ガルムはその場から飛び退く。
愉快そうに目を細めるエドナを抱え、転移魔法で逃げ出した。
ラクサーシャは倒れている仲間たちに視線を向ける。
傷付いた姿は酷く痛々しい。
治癒魔法を唱え、一先ずは治療を施した。
ラクサーシャは軍刀『執念』を見つめる。
血を振り払って刀身を見れば、そこに悪魔の姿が映った。
少し前まで、それは厭うべき姿だった。
高潔な彼にとって、誇り高く信念のある騎士は理想だったのだ。
不死者に身を堕とすことは、彼にとって決して犯してはならない禁忌だった。
だが、今では違う。
今のラクサーシャにとって、それは誇らしい姿だ。
娘の仇を取るために、父としてあるべき姿。
帝国を滅ぼす、復讐者の姿だった。
「旦那……?」
騒ぎを聞きつけたクロウが、ラクサーシャの変貌に驚愕する。
不死者となったせいか、肌は血色が悪くなっていた。
青白い肌をしているものの、かといって病弱そうには見えなかった。
今朝までの弱りきった男はいない。
そこにいるのは、凄まじい気迫と覇気を持つ最強の男だった。
「一先ず、船に向かうとしよう」
「そうだな。っと、手伝うぜ」
クロウはラクサーシャと共に、気を失っている仲間たちを船に運ぶ。
彼らが目を覚ます頃には、既に大海を進んでいることだろう。
一同は港町を離れ、東国へ移動を始めた。