102話 塊剣の襲来(2)
エルシアたちにとって、それは予想外の出来事だった。
一同の中で最も強いラクサーシャ。
彼が真っ先に戦闘不能に陥るなど、誰が想像出来るだろうか。
片腕と片足を失っては、いくらラクサーシャであろうと継戦は不可能だろう。
彼の軍刀『信念』も、半ばから折れてしまっていた。
その光景に、エルシアの内に得体の知れない感情が渦巻く。
「くそ、やるしかねぇ――来い、戦斧『雷神の咆哮』」
レーガンが戦斧を召喚する。
漆黒の武装を纏い、レーガンは紫電を迸らせた。
「おお、俺と殺りあうか?」
ガルムがけらけらと嗤う。
塊剣を前に突き出すように構え、レーガンを見据える。
先ほどと同じ、突進の構えだ。
だが、それを見切ることは難しい。
「ほら、いくぞッ!」
轟音と共に大地が陥没する。
狙いは至極単純の、直線的な突進。
だというのに、それを視認することが出来ない。
レーガンは半ば勘に頼って戦斧を振るう。
運が良いのか、あるいはそれさえも予測されていたのか。
鈍い金属音が鳴り響いた。
刃が交差し、レーガンとガルムの力比べが始まる。
「ぐっ、おらぁああああッ」
気合いに満ちた咆哮と共に、レーガンが紫電を迸らせる。
戦鬼と称された男は、腕力だけならば大陸最高峰の実力を持つ。
その力に見合った得物を手に入れた今、力比べで負ける気はしなかった。
想定外のレーガンの実力にガルムは愉しそうに口角を吊り上げる。
そして、その身に刻まれた術式が激しく明滅した。
それを防げたのは奇跡だった。
ラクサーシャとの鍛錬で身に付いた、対人戦闘における勘。
それが最大限に警笛を鳴らしていため、レーガンは戦斧を盾のように構えた。
直後、レーガンの手に重い衝撃が伝わった。
「勘が良いみたいだが、見えてねぇな?」
ガルムはそれを悟ると、刹那に無数の剣撃を繰り出した。
まるで物理法則など無いかのように、塊剣が縦横無尽に駆け回る。
遂にはレーガンも防ぎきれず、吹き飛ばされてしまう。
体勢を立て直す間も無く、目の前にガルムが迫っていた。
塊剣を振り上げて笑みを浮かべる姿を見れば、この後に待っている結末は歴然だった。
その脳裏にセレスの姿が浮かぶも、助けは来ない。
彼女もまた、苦戦を強いられていた。
「此の地こそ――氷魔の領域」
レイナの詠唱と共に、周囲を氷が覆い尽くした。
魔国の遺跡で苦しめられた魔術。
それを、今のセレスは一人で対処しなければならなかった。
凍てつく空気がセレスの体温を奪う。
炎属性を得意とする彼女は、氷魔の領域とは相性が悪かった。
身体強化も出来ず、魔術も使うことが出来ない。
生まれ持った身体能力と剣のみでは、レイナを相手取ることは不可能だ。
それが分かっているからこそ、レイナの表情には余裕の色が見えた。
抵抗出来ない弱者を踏み躙る愉悦。
汚れた歓楽に溺れる人形がそこにいた。
「さて、始めましょうか」
あくまで冷静に。
そして優雅に。
剣を構える姿は芸術的だが、その内には悪魔が見える。
セレスは剣を構える。
剣の技量で劣るとは思っていない。
事実、セレスの剣術は大陸でも最高峰にある。
普段の実力さえ発揮出来たら、レイナと打ち合うことも可能だろう。
だが、氷魔の領域がそれを許さない。
寒さか、恐怖か。
剣を持つ手が震えていた。
レイナは術式を刻み始める。
セレスが実力を発揮出来ない事を知っているため、厭らしいほどにゆっくりと術式を刻む。
だが、それをセレスには止められない。
「――凍えなさい」
撃ち出されたのは、二つの魔弾。
セレスは一つを剣で弾き、もう一つは身を捻って躱す。
しかし、セレスは判断を誤っていたことに気付いた。
「これは……」
腕が凍り付いていた。
剣先から腕の付け根まで凍りに覆われていたのだ。
これでは、まともに腕を動かすことも出来ない。
「死の隣に佇む気分は、さぞ愉しいことでしょうね?」
いつの間にか、レイナが背後に回っていた。
背後から抱きしめられ、耳元で囁かれる。
耳にかかる吐息はゾクリとするほどに熱を帯びていた。
「けれど、私はもっと愉しい。この後、とても面白い見世物がありますので」
「何を、言っている……!」
レイナは腕に力を込め始めた。
万力のように押し潰されていく感覚。
体中の骨が軋み、砕けていく。
「さて、このくらいで良いでしょう」
少しして、レイナは満足げに呟いた。
拘束を解くと、セレスがその場に倒れ込む。
もはや立ち上がる気力も無いらしく、セレスはぐったりと地に伏していた。
「やはり、生身の人間は脆い。私も不死者になりたいものですね」
レイナは動けなくなったセレスの髪を掴み、引きずりながらガルムの元へ向かう。
少し離れた場所では、エルシアがエドナと交戦していた。
「炎。炎――」
エドナが凄まじい速度で術式を刻み、虚空に炎を生み出していく。
エルシアも大魔法具を発動させて対抗していた。
無数の魔術が飛び交う。
その規模は国同士の戦争を思わせるほど。
だというのに、それを成しているのはたったの二人だった。
エルシアはエドナを相手にして魔法の撃ち合いで互角に戦っていた。
大陸各地で集めた大魔法具は、魔核術師を相手にしても引けを取らない。
しばらく撃ち合うと、エドナは心底不快そうに愚痴る。
「エルフの生き残りがいよったわ。しかも、ここまでの使い手……。取り逃すにしても、これは酷い失態さね」
エドナはエルフ族を殲滅したときのことを思い返す。
あの戦いはエドナが魔核術師としての真価を見せた初めての戦いだった。
それだけに、エルシアの存在が許せないようだった。
「それは残念ね。取り逃がしたあたしの手で、葬られるのだから」
「ふん、小娘が。口先だけは一人前さね」
エルシアは魔導銃を構える。
目の前の老婆は、エルシアが殺すべき仇の一人だ。
ラクサーシャと違い、迷うことなく殺せる相手。
そう考えると、抑えていた殺気が溢れ出した。
「未熟な。しかし、ちょうど良くもある。これが何か分かるか?」
エドナが懐から取り出したのは、先ほどまでとは違う魔核。
その魔力は、人間でも竜でもない。
「エルフの、魔核……」
「カカカッ、その通り。これはあの時のエルフの魔核」
エルシアの声が震える。
それを代償に魔術を発動するなど、あまりに酷い話ではないか。
「小娘。お前の親や友人が、この中にいるかもしれないさねぇ」
「うぁぁああああああッ!」
エルシアは魔導銃に魔力を最大限に込める。
撃ち出された極光に対し、エドナは全ての魔核を代償に迎え撃つ。
「炎。炎――降り注げ、怒りの雨よ!」
紅い雨がエルシアに降り注ぐ。
極光は瞬く間に掻き消され、エルシアが慌てて魔法障壁を生み出すも防ぎきれない。
炎がエルシアの腹部を貫いた。
「ぐぅ、あぁッ……」
エルシアは苦痛に呻く。
これまでの人生で、これほど酷い負傷は初めてだった。
思い出したのは、ラクサーシャを貫いたときの感触。
あの時、ラクサーシャもこんな痛みを感じていたのだろうか。
死を間近に感じたせいか、そんなことを考えてしまう。
しかし、止めは刺されなかった。
自分の体が引き摺られていく。
放り投げられた場所には、既にレーガンとセレスが倒れていた。
視線を上げれば、ガルムが愉しそうに嗤っていた。
「ああ、これだ。これが俺の求めていたものだ。俺は今、テメェを越えた」
ガルムは塊剣を振り上げながらラクサーシャに視線を向ける。
お前の仲間を纏めて殺してしまうぞと言わんばかりに、塊剣に魔力を込め始めた。
「どうした、ラクサーシャ。仲間が死ぬぞ?」
けらけらと嗤うガルムだったが、ラクサーシャの反応は薄い。
もう諦めてしまったのか。
そう思って見つめていると、ラクサーシャがよろめきながら立ち上がった。
「おお、まだ立てたのか。早くしねぇと、仲間が死ぬ――」
「下らんな」
ラクサーシャは半ばから折れた軍刀『信念』を片手に、ガルムを睨み付ける。
その表情は、これまでのラクサーシャとは思えないほどに歪み、しかし、力強さも感じさせた。
「私が抱いていた信念は、空箱だった。ならば、今の私は何者か。私が抱えるているものは、これは、いったい何なのか――」
ラクサーシャは懐からガラス瓶を取り出す。
それは、人を不死者に変貌させる不死の秘薬。
異様な気配に、ガルムの額を汗が伝う。
ラクサーシャはそれを一気に飲み干し、叫ぶように宣言する。
「――これは執念だ。私は堕ちるぞ、ガルムッ!」
ラクサーシャの魔力が爆発に高まる。
そして、禍々しい瘴気が辺りに吹き荒れた。