11話 ガーデン教
「馬車にはエイルディーンへの密使も同乗させる。現地では彼が力になるだろう」
「うむ、分かった」
エイルディーンまでの一通りの予定を話し終えると、ラクサーシャは席を立つ。
部屋を去ろうとすると、ベルが慌ててついてきた。
「ラクサーシャ様、どちらへ行かれるんですか?」
「少し、外を出歩こうと思ってな」
「私もご一緒します」
「うむ、それがよかろう」
ラクサーシャは振り返ると、夕食時には戻るとだけ告げて屋敷の外へ出た。
魔核薬の流通が抑えられている町は、ヴァルマンの努力もあって活気に満ちている。
道を駆ける子供の声に、ラクサーシャは頬を緩める。
「あの、ラクサーシャ様。私たちはどちらへ向かっているんですか?」
「散歩ついでに、少し買い物をしようと思ってな。長旅になるのだ、いろいろと必要になるだろう」
「でも、物資はヴァルマン様が用意しているのでは?」
「物質はヴァルマンに任せてある。私が見繕うのは武器の方だ」
ラクサーシャが横に視線を向けると、そこには様々な武器が並んでいた。
剣や槍の類から杖や弓、投擲具まで豊富な武器が並んでいた。
ラクサーシャは個人的な買い物も兼ねて、ベルの装備を買おうと考えていた。
ヴァルマンの屋敷にも武器は置いてあったが、成人男性が使用するよう想定された武器は、ベルに使わせるには流石に重すぎた。
それ故に、実際に武具屋で手にとって合うものを買うことにした。
「いっぱい武器がありますね……」
ベルはそれらを眺めながら真剣な表情を浮かべる。
手頃な剣を手に持ってみると、その重さに驚愕する。
鈍色の直剣は物々しく、命を奪うことを目的に作られた武器であることが分かる。
重いのは何も重量だけの話ではない。
肉を断ち命を奪うという役割の重さである。
そう考えると、途端に武器が恐ろしく感じられた。
視界一杯に広がる鈍色が恐ろしい。
物々しい鋼鉄の質感が恐ろしい。
こんなものを振るって命を奪うほど、ベルは強くはなかった。
「ベル。お前に命を奪う覚悟はあるか?」
「わ、私は……」
足が震える。
体を支えようと手を付くと、斧がその手に触れた。
中古の武器なのだろう、所々に血の跡があった。
ベルは顔を蒼白にしてよろめく。
「……すまない。無理をさせたようだ」
ラクサーシャがふらつくベルを支える。
実のところ、ラクサーシャはベルに剣を買うつもりはなかった。
シスターであるベルは神聖魔法の使い手であるため、メイスを持たせて後ろで援護をさせるつもりだ。
無論、剣を振って戦えるならばそれに越したことはないのだが、虫の一匹も殺せない少女にそれをさせるのは酷な話だろう。
「あの、ごめんなさい……」
「気にするな。ベルに剣を持たせるような事態にはそうならんだろう」
ラクサーシャはそう言うと、手近なメイスを手に取る。
少女に与えるには無骨な作りだが、この店の中では装飾が施されている数少ない品である。
重さなどを確かめると、ベルに手渡した。
「これを使うと良い」
「あ、ありがとうございますっ」
ベルはメイスを手に取る。
金銀や宝石等の華やかな装飾はないが、打撃部分には蝶の羽のような模様が刻まれていた。
持ち手も女性向けに作られたのか細めで、ベルでも扱いやすかった。
ラクサーシャなりに可愛いものを選んでくれたのだろうか。
ベルはそう思うと嬉しくなり、顔を綻ばせた。
店を出て、活気溢れる町を歩く。
人々は二日後に迫る宴の準備で慌ただしく、ベルはきょろきょろと辺りを見回していた。
二人は近くの店でクレープを買うと、広場の椅子に腰を下ろした。
「いただきますっ」
ベルがクレープを一口。
甘いクリームがとろりと溶けて、ベルは頬に手を当てて幸せそうに口元を緩めた。
そんなベルを見て、ラクサーシャの表情が曇る。
幼子のように無邪気なベルの姿は、どうにもシャルロッテの姿を彷彿させてしまう。
ラクサーシャは気丈に振る舞ってはいるものの、その傷が癒えることは生涯ないだろう。
「……ラクサーシャ様、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。少しばかり考え事をしていた」
不安そうな表情のベルを見て、ラクサーシャは誤魔化す。
少なくとも、ベルの前では落ち込んではいけない。
ラクサーシャは未だ癒えぬ痛みを押し殺す。
空を見ると、まだ日は高い位置にあった。
夕食まで二時間はあるだろう。
「ベル、どこか行きたいところはあるだろうか?」
「いいんですか? じゃあ、そうですね……」
ベルはどこへ行くか考える。
折角なら眺めの良い場所に行きたいが、候補が多くて絞りきれない。
あれこれと悩んでいると、教会のことを思い出す。
「……教会に行きたいです。お世話になった方にも挨拶に行きたいですし」
「うむ、分かった」
クレープを食べ終えると、二人は教会へ向かう。
教会は広場から近く、一分とかからずに到着した。
「すぐに済ましてきますから、ラクサーシャ様はここで待っていてくださいね」
「一人で良いのか?」
「はい」
ベルが教会の扉を開けて中へ入っていった。
ラクサーシャは近くの壁に寄り掛かって待つ。
教会に視線を向ければ、聖女の横顔を描いたステンドグラスが見えた。
帝国の国教はガーデン教である。
宗教にしては珍しく、神を崇める類の宗教ではない。
かつて存在したアクロ教国の聖女リアーネを崇拝したものである。
先代の皇帝までは大陸で最も盛んなアドゥーティス教が国教だった。
しかし、先代が崩御した直後に今代の皇帝により改宗が宣言された。
それから、瞬く間に帝国は生まれ変わってしまった。
魔導兵装の開発、魔核薬の流通。
他国への侵略戦争が始まったのもこの時期だった。
帝国は既に、三つの国を滅ぼしていた。
同時に国中の教会が作り替えられた。
ガーデン教の建物はバハラタ様式という、荘厳で華美な建築様式で建てられていた。
このバハラタ様式も、アクロ教国も、聖女リアーネさえも。
その存在を証明する文献や遺跡は見つかっていない。
少しして、教会の扉が開かれた。
「お待たせしました」
「もう良いのか? ずいぶんと早いが……」
教会に着いてから三十分ほどしか経っていなかった。
ラクサーシャの言う通り、別れの挨拶をするには短いだろう。
「大丈夫です。それに、長居すると名残惜しくなっちゃいますから」
「そうか。なら、ヴァルマンの屋敷に帰るとしよう」
「はい、ラクサーシャ様」
二人は教会を後にする。
ベルは一度だけ教会を振り返ると、再び前を向いて歩き始めた。