99話 港町エリュアス
港町は以前訪れたときと変わりなかった。
潮の香る活気に満ちた町並みに、少しばかりラクサーシャの精神も安らぐ。
一同の目的は港町にある船を使うことだった。
既にセレスが王国に連絡を入れており、船の準備にはしばらくかからないという。
その間、港町に滞在することになっている。
「よっしゃ、久々の海の幸だ! なあ、セレス。早く行こうぜ」
はしゃぐレーガンを普段は咎めるはずのセレスだったが、最近はそういったことはなかった。
皇国での一件があってか、レーガンに対する態度もかなり柔らかいものになっている。
仲間に対しても素直な感情を伝えるようになり、レーガンと共に海の幸に心を躍らせていた。
「エリュアスに来るのは何年ぶりだろうか。幼い頃に、父に連れてきてもらった記憶がある」
「その時はなにを食ったんだ?」
「カルナスの煮付けだ。淡白な白身魚の旨みを、甘辛い煮汁で引き立てていた」
「そりゃ旨そうだ。なあ、クロウ。カルナスの煮付けはどこで食えるか知ってるか?」
目を輝かせるレーガンに苦笑しつつ、クロウは手帳を取り出した。
そこには配下から得た情報が所狭しと書き連ねてあり、エリュアスの料亭についても詳しく書かれていた。
「あっちの通りにあるみたいだ。ちょっと高いみたいだけどな」
「それくらい、オレが奢るっての。ミスリルプレートの冒険者の稼ぎを舐めてもらっちゃあ困るぜ」
レーガンは懐から取り出した財布を自慢げに掲げる。
大陸でも最高峰の実力を持つ冒険者ならば、金銭の心配はないだろう。
クロウはエルシアに視線を向ける。
珍しく静かだと思っていたが、エルシアは険しい表情でラクサーシャを見つめていた。
その視線には殺気は感じられない。
「どうしたんだ?」
「えっ?」
クロウに急に声をかけられ、エルシアは肩をびくりと震わせた。
いつも張り詰めている彼女らしくないと思い、余計に不自然に感じた。
エルシアは情けない声を出してしまったことが恥ずかしいのか、頬を高潮させながら腕を組んだ。
「別に、殺そうとしていたわけではないわ」
「それは見ればわかる。ただ、ちょっと気になったんだ」
軽い雰囲気で尋ねるクロウ。
問い詰められるような様子ではなかったため、エルシアは口を開いた。
「最近、分からないのよ」
「分からない? 何がだ?」
「あの男よ」
険しい表情でラクサーシャを見つめる。
どこか苛立った様子で、エルシアは頭を掻いた。
「ねえ、クロウはさ。あの男のことをどう思う?」
「旦那の事か? うーん、難しい質問だな……」
即答できるほど、ラクサーシャという存在は単純ではない。
クロウはこれまでの旅を振り返り、ラクサーシャという男を見つめなおす。
出会いは偶然だった。
地下牢獄の独房で、ただ隣り合っただけ。
当初は脱獄することのみを考えていたが、その強さを見てからはラクサーシャを味方にしたいと思った。
対価を払えないと言われた時、とっさに出てきたのは先行投資という曖昧な言い訳だった。
どうにかラクサーシャについていきたいと思ったクロウは、情報屋という嘘を作り上げてでも交渉した。
その時には既に帝国とアウロイのつながりに勘付いていたため、ラクサーシャに協力することは自分の目的を達することにもつながる。
自分は決して善人ではない。
それは、クロウが自身に下した評価だった。
悪意を以って騙したわけではないにせよ、自らを偽ったことには変わりないのだ。
だが、旅を続けていくにつれて、クロウは罪悪感に苛まれた。
自分は身を守る術を持っているというのに、情報屋であるがために妖刀『喰命』の存在を隠し続けた。
仲間が戦っているところを見ても、後ろで立っているのみ。
そんなクロウを、ラクサーシャは許した。
むしろ感謝をしているとさえ言い放ったのだ。
天涯の男は、相応の器を持っている。
そんなラクサーシャに出会えたことが、クロウは嬉しかった。
「……確かに、旦那は過ちを犯した。それは消えない事実だ。けど、旦那が悪人だとは思えない。帝国のせいで、道を踏み誤った」
「そう。それが貴方の考えなのね」
エルシアは大きく息を吐き出す。
内で渦巻く得体の知れない感情を吐き出すように。
「……あの男が悪人でないことは、旅をしていて分かったわ。魔国でも、一度命を救われたんだし」
生体人形シグネとの熾烈な戦い。
アスランと戦って満身創痍だったラクサーシャが、その身を以ってシグネの動きを止めたのだ。
魔力も枯渇して、立っていることさえ困難な状況。
だというのに、ラクサーシャは気合いで耐えて見せた。
彼がいなければ、エルシアの死は免れなかった。
エルシアの手には、今もラクサーシャごとシグネを貫いた感触が残っていた。
剣を突き刺す前は心が晴れるかと思っていた。
少しくらいは、気が楽になると思っていた。
だというのに、手に残ったのは不快な感触。
親の仇であるはずなのに、どうしても憎みきれない。
そんな状況にエルシアは苛立っていた。
「けど、やっぱり許せないのよ。あたしはあの男を殺すために生きている。帝国を滅ぼして、アウロイを殺して。そうしたら、あの男の首を貰うわ」
ラクサーシャがそれを拒まないことを知っている。
戦争で勝てば、ラクサーシャに勝たずとも殺すことが出来るのだ。
エルシアにとって、親の仇を討つ方法はそれしか残されていない。
しかし、何故だろうか。
復讐を成し遂げた未来を思う度に、胸が締め付けられるのだ。
本当にこれでいいのかと、そう思ってしまう自分に苛立っていた。
エルシアにとって、今の己は甘かった。
「殺すわ。絶対にね」
エルシアはそう言い放つと、レーガンたちに合流する。
海の幸に心を躍らせる姿は年相応の少女にしか見えない。
クロウは後ろを振り返る。
そこにいるのは、弱りきった一人の男。
エルシアといい、ラクサーシャといい、何故これほどまでに苦しまなければならないのか。
世の理不尽を憎く思った。