間話 塊剣(1)
塊剣のガルム・ガレリア。
帝国の指揮官にして、他を圧倒する豪腕の持ち主である。
大陸でも屈指の技量を持つ剣士であり、見た目に反して俊敏さも備えていた。
彼が騎士となったのは今から十年ほど前のことである。
王国と停戦協定を結んだ一年後、彼は騎士団に入ることになる。
ガルムが十歳になった年に両親が他界した。
一人で暮らしていくには幼すぎたが、かといって周囲には頼れる大人もいない。
そんな彼が行き着いたのは浮浪者や無法者の溜まり場であるスラムだった。
十歳の少年が生き抜くには、スラムはあまりにも苛酷な環境だった。
辿り着いた初日に着ていた衣服は剥ぎ取られてしまう。
捨てられていたボロボロの衣服を着て、自分の惨めさに咽び泣いた。
そこから、彼の地獄のような生活が始まる。
金を稼ごうにも、少しでも金を持てば誰かに奪われてしまう。
無法者は徒党を組んでいることが多いため、狙われてしまえば逆らうことは出来ない。
故に、食べ物を直接狙うしかなかった。
ガルムは町へ繰り出しては、食べ物を何度も盗んだ。
衛兵に追われることもしばしばあったが、彼らはスラムまでは追ってこられない。
無法者の中でも一際大きな勢力が目を光らせており、刺激してはならないと国から命令されているからだ。
時には老人から物を奪うこともあった。
自分よりも幼い子どもから奪うこともあった。
スラムでの過酷な暮らしは、彼の倫理観を崩壊させていった。
だが、そこまで身を堕としても。
ガルムは生に必死に喰らい付いた。
いつか希望が見えるはずだと、救いを信じて疑わなかった。
でなければ、頭がどうにかなってしまいそうだった。
治安の悪いスラムで一人、誰とも関わる事無く生きていた。
徒党を組めば食料を分け合うことも出来ただろう。
数さえいれば、誰かに狙われたりすることも少なくなるはずだ。
だが、ガルムは一人で生き延びることに拘っていた。
心の中で、彼はスラムの住人を蔑んでいた。
地に這い蹲って金を乞う男。
靴磨きをすることで辛うじてその日を生き延びる少年。
自分の性を商品に、道行く人に媚びた様に鳴く女。
その生き様は酷いものだった。
これでは生きているとは言えない。
ガルムは子ども心にそう考えていた。
家畜でさえ、その日の食事には困っていないのだ。
なら、自分は何者なのだろうか。
そんな考えが頭から離れなかった。
過酷なスラム暮らしが続いたある日。
ガルムは略奪の現場に遭遇してしまう。
おそらくはスラムに迷い込んだのだろう、身形の良い少女が複数人の男に囲まれていた。
「おいおい譲ちゃん、ここがどこだか分かってんのか?」
「良い服着てるな。こいつは金になりそうだ」
卑しい笑みを浮かべる男たち。
彼らはスラム一帯を支配する無法者の組織の人間だった。
目を付けられたならば、少女の人生はもう終わりだ。
服は奪われて金に替えられ、少女は奴隷として売り飛ばされることだろう。
ガルムはそれを黙って眺めていた。
幾度となく目にしてきた光景だ。
スラムに来て五年が経過し、彼は十五歳を迎えていた。
見慣れた光景。
彼にとって、これは日常の一部に過ぎなかった。
だが、その日は違った。
普通ならば、少女は怯えて泣き喚くはずだ。
だというのに、男たちに囲まれた少女の目には力強さがあった。
絶望を前にして、力を失わない瞳。
ガルムには無かったもの。
この状況に甘んじているガルムにとって、それは尊敬すべきものだった。
少女は美しかった。
毅然と男たちへ対峙する立ち振る舞い。
ふわりと揺れる煌びやかな髪。
ガルムには、自分がなぜ少女に惹かれるのかが分からなかった。
自然と体が動いていた。
近くに落ちていた煉瓦を投げつけ、声を上げて無我夢中で殴りかかった。
相手は武器を持っていたがそんなことは関係ない。
必死に暴れ回り、武器を奪い取り、男たちを殺し尽くした。
運が良いことに、ガルムには戦いの才があった。
六人の男を相手にして、負った傷は一度殴られたのみ。
返り血を浴びた彼は、今までに無いくらい昂揚していた。
「あの、ありがとうございました」
少女がガルムにお礼をする。
その所作一つを取っても美しい。
だが、ガルムが抱いたものは決して綺麗な感情ではなかった。
自分が手に掛けた男たちは、ただの無法者だ。
それも、下っ端に過ぎない。
誇れるほどの事ではなかった。
ガルムはふと、地に落ちていた武器に視線を移した。
剣や槍が落ちていたが、彼が一番惹かれたのは大剣だった。
その重量感に、どうしようもなく惹かれた。
気付けば、ガルムの目の前には死体が一つ増えていた。
他の死体より小さな死体。
それを何度も何度も踏みつけ、ガルムは笑っていた。
この行為が、彼の心を満たしていた。
なぜ少女に惹かれたのか。
ガルムはその正体に気付いた。
少女を殺すことで、自分が高みに登った気がしたのだ。
自分が強者となったことが、たまらなく快感だった。
それから、ガルムはスラムで暴れまわった。
遂には無法者の組織に目を付けられるが、それさえも彼は愉しんだ。
自分が狙われるほどの強者になったことが嬉しかった。
長い時間が過ぎて、ガルムは二十八歳になっていた。
追われながらも殺戮を繰り返す日々。
それが、ようやく終わりを迎える。
彼を取り囲むのは何十人もの男たち。
中には裏の世界で名の知れた殺し屋さえ含まれていた。
死を覚悟したガルムだったが、しかし、それは訪れなかった。
一人の男が現れた。
騎士の鎧を身に着けた男。
たった一人で、スラムで行動していた。
男たちが彼に狙いを定めるも、次の瞬間には全員が地に伏していた。
ガルムの目には、何が起きたかさえ見ることは出来ない。
ただ、目の前の男が圧倒的な強者であることは理解できた。
少女を見たときの昂揚が蘇るようだった。
この男を越えてみたい。
殺してやりたい。
そう思うも、今のガルムには力が足りなかった。
彼に才を見出され、ガルムは騎士団に入ることになった。
彼とともに鍛錬をし、酒を交わし、笑い合った。
だが、殺してやりたいという衝動は増すばかり。
言葉を交わすたびに、剣を交える度に。
格の違いを思い知らされた。
ガルムの人生において最大の目標となった男。
憧れであり、超えるべき存在。
その名をラクサーシャ・オル・リィンスレイという。




