96話 神代記
一同はミリアの屋敷に集まっていた。
テーブルに並べられた古びた書物の数々。
そこに、真実がある。
ミリアはその内の一冊を手に取る。
書題は『神代記』。
その側にアドゥーティス教の教典とガーデン教の聖典を置いた。
「これは皇国図書館の禁書区域から持ってきたものです。ここに、アドゥーティス教とガーデン教の真実があります」
禁書区域は皇女のみが立ち入りを許された空間。
それ以外の者は、何人たりとて立ち入ることは許されない。
聖女リアーネのみが知る事実がそこにあった。
現在から見て神代と呼ばれる時代。
その当時からラファル皇国は存在していた。
皇女マリア・ラファエラ・レストレアを頂点とした宗教国家で、その体制は現在のものと大きな変わりはない。
その下に巫女と呼ばれる役職があり、十余年ごとに神託の儀式を行う。
唯一の違いは、その当時は聖騎士団が無かったこと。
皇国は大規模な騎士団を有し、大陸各地へアドゥーティス教を広めていった。
同時期にガーデン教が生まれた。
聖女リアーネを頂点に、神々の支配から逃れることを掲げた集団。
大陸の西部に聖アクロ帝国を立国し、次々に領土を拡大していった。
過激な教義の下に行動する狂信者たち。
彼らの行動により、大陸各地で様々な事件が起こり始める。
現在の帝国が位置する大陸東部では大地が枯れて不毛の地となった。
大陸南部では魔物が活発化し、凶悪な魔物の闊歩する魔境となった。
中には魔王を自称する存在が現れ、アドゥーティス教の宗教圏の安全を脅かしたこともあった。
それを阻んだのが、アドゥーティス教の英雄ヴァハ・ランエリスだった。
神々の加護をその身に宿した旅の剣士。
彼は長い戦いの末に魔王を打ち倒すことに成功する。
それがアドゥーティス教の歴史だった。
ミリアは教典を閉じる。
「これが、アドゥーティス神話の大まかな道筋です。ですが……」
ミリアは聖典と『神代記』に視線を向ける。
以降は、ガーデン神話との差を比較することになる。
「これを見てください。ガーデン教の聖典には、まだ続きがあります」
この時点では、まだ聖典の半ばほどだった。
開かれた頁には大きく章題が書かれていた。
その章題を見て、一同の視線が一人の人物に集まった。
章題には『破壊者ロア・クライム』とあった。
「我が何故、不死者に身を堕としたのか。それを語らせてもらおう」
ロアはガーデン教の聖典を忌々しく見つめ、語り始める。
「当時、我は一国の王だった。皇国の皇女マリアとは恋仲で、彼女が役目を終えた暁には夫婦の契りを交わすことを誓った」
ロアは昔を思い出しているのか、懐かしげに語る。
だが、不死者である故に記憶はおぼろげ。
風化していく記憶を惜しみつつ、ロアは続ける。
「我が国は誇るほどの大国ではないが、代わりに緑豊かな美しい国だった。マリアもそれを気に入って、公務を抜け出して何度も我がもとに来たくらいだ」
そして、その瞳に怒りが灯る。
「だが、アクロ帝国はそれを打ち壊した。宗教圏の端であったがために我が国は戦火に呑み込まれたのだ。アクロ帝国はそれを切っ掛けに本格的に侵攻を始め、遂には皇国をも呑み込んだ」
アクロ帝国はアドゥーティス教を滅ぼそうとしていた。
大陸で最も盛んである宗教は、ガーデン教の布教を阻むものだった。
「我は怒り狂った。妻となるはずだったマリアを、あやつらは城の地下に監禁していた。助け出さんと大陸各地を回り、そして、ヴァハと出会った。ヴァハと共に反旗を翻し、民衆を引き連れて皇国へ向かった」
その戦いの苛烈さは『神代記』に記されていた。
リアーネの揃えた軍勢は五万。
対して、ロアとヴァハがかき集めた軍勢は三十万。
それほど大規模な戦いは、現在に至るまで起きたことは無い。
「我はヴァハと共にマリアのもとへ辿り着いた。そして、あやつら……リアーネとアウロイの二人と対峙した」
地下室の奥にマリアはいた。
酷く衰弱した様子で、食事も満足に与えられていないようだった。
その痛々しい姿に我を忘れて飛び出したロアの身を、熱戦が穿った。
「ああ、己の未熟が恨めしい。我は地に伏せ、消えかけた命の灯火を守ることしか出来なかった。目の前で繰り広げられる戦いを、ただ見守ることしか出来なかった」
死に掛けたロアの視界には、リアーネとアウロイの二人を相手に圧倒するヴァハの姿があった。
飛び交う魔法の全てを剣で弾き、二人を切り殺した。
ロアはエルシアに視線を向けた。
「エルフの娘よ。その剣は、どこで得た」
「これは父親から貰ったものよ。遥か昔から伝わる宝剣だとは聞いているけれど」
「ふむ、何某かが持っていったのかもしれぬが……。剣の真名は破魔剣オルヴェル。我が友ヴァハ・ランエリスの愛剣だ」
「破魔剣、オルヴェル……」
エルシアは自分の剣を見つめる。
それは、術式を切り裂く術式破壊の剣。
神話に登場するような大層な代物とまでは思っていなかったため、エルシアは驚いたように剣を見つめていた。
「ヴァハは剣士としては優れていたが、魔術師としては素人だ。故に、見落としてしまったのだ。リアーネの企みを。あやつは、マリアの体を器として現世に留まったのだ」
それを伝えようにも、その時のロアは風前の灯。
喋る事すらままならず、伝えることは遂に出来なかった。
ロアの意識はそこで途絶えてしまう。
マリアの体を乗っ取ったリアーネは、現在に至るまでアドゥーティス教を管理し続けた。
そこにある思惑までは『神代記』でも載っていない。
「これが神代の真実だ」
これまで闇に包まれていた神代の真実。
それは、あまりにも悲しい物語だった。