95話 傷付いていく
ラクサーシャは刀を仕舞うと周囲を見回す。
彼の仲間が二人、その場にいなかった。
「セレス。数が足らんようだが、ベルとシュトルセランはどうした」
「それが……」
セレスの表情が陰る。
それが何を意味しているのか、ラクサーシャには分からない。
故に、続く言葉に目を見開く。
「シュトルセラン殿は死んだ。ベル殿が、殺した」
「……信じられん」
ただただ驚愕していた。
セレスの話す内容には現実味が感じられなかった。
非力なベルがシュトルセランほどの魔術師を殺せるようには思えない。
何より、ベルが人を殺めるような人間だとは思えなかった。
困惑するラクサーシャにエルシアが詰め寄る。
「信じようが信じまいが構わないわ。けど、これは事実。それくらいは理解しなさいよ」
エルシアの表情は厳しかった。
だが、そこにラクサーシャを咎めようという意思は無い。
あるのは、裏切り者に対しての怒りだった。
「ベルは魔核薬を持っていたわ。あの時の彼女は、明らかにおかしかった」
「ベルが魔核薬を……」
ラクサーシャは動揺を隠せない。
シエラ領で偶然出会った以降、旅を共にしてきた仲間だと思っていた。
シャルロッテの面影を感じさせるベルに幾度と無く助けられてきた。
そのベルが、自分たちを裏切った。
ふと、ヴァルマンとのやり取りを思い出す。
彼は内通者の存在に感付いていた。
それが誰かまでは特定できなかったが、あの時点で内通者がいたことは確かだ。
ヴァルマンの目を欺くほどの演技。
これまで見てきたベルの姿は、全てが幻であったというのか。
言われてみれば、思い当たる節が無いわけではなかった。
エルシアが加わるまで、女性はベルのみだった。
それ故に部屋を分けていたが、その隙に帝国と連絡を取り合うことは可能だろう。
それに加えて、ベルは偶に単独行動を取ることがあった。
帝国と連絡を取っていたと考えれば辻褄が合う。
「それに、あの十字架。ずっと隠していたみたいだけれど、あれが通信用の魔道具になっていたわ。転移術式も刻まれていたみたいだし、機を窺っていたんでしょうね」
「……そうか。ベルは、裏切り者だったか」
そう呟いたラクサーシャの表情はどこか寂しげだった。
彼の心の中では、怒りよりも悲しみの方が勝っていた。
古い友だったシュトルセランの死と、ベルが裏切り者だったこと。
娘を失って傷だらけだった精神がさらに消耗していく。
不安定な精神は誰にも見せなかった。
僅かばかりの気力で以って弱さを覆い隠す。
しかし、弱さを隠し切れない。
ラクサーシャを見つめる仲間の視線は痛々しいものだった。
だというのに、ラクサーシャは毅然と振舞おうと努める。
今の己は解放軍の将軍ラクサーシャ・オル・リィンスレイ。
弱さを見せる時は、この戦いを終えた時だ。
刀を握り締め、はっとなる。
空箱では、彼の精神を支えることは出来ない。
「……状況を整理するべきだ。皇国ならば、神代について記された文献もあるかもしれん」
ラクサーシャの視線を受けてミリアが頷く。
だが、その前にやるべきことがあった。
荒れ果てた聖地ラナス。
白を基調とした美しい景色は、今は赤黒く染まっていた。
押し寄せていた信仰者も殺し尽くしてしまった。
「後処理は俺がなんとかするさ。皆は先に、都の方へ向かっててくれ」
「うむ、頼んだ」
クロウはマヤとコウガ、それに百を超える配下たちを呼び寄せる。
少なくとも、この惨状を隠すことは不可能。
大陸各地からやってきた信仰者たちが全滅したのだ。
うまく誤魔化すためには、相応に手間がかかることだろう。
ミリアはレーガンを見つめる。
自分のために兄は咎人となったのだ。
そうせざるを得ないとはいえ、無辜の信仰者たちを殺してしまったのだ。
申し訳なさそうなミリアの視線を受けて、レーガンは苦笑する。
「気にすんなって。咎はオレが背負えばいいモンだ」
そう言われても、ミリアは納得できなかった。
不満そうにむくれるミリアだったが、今はやるべきことがある。
また後で話すことにして、ミリアは一同に向き直った。
「文献なら皇国図書館にあるかもしれません。少し時間はかかりますけれど、私が必要なものを探してきます」
「ふむ……。今代の巫女よ。文献探しならば我も手伝おう」
「あ、ありがとうございます」
ロアの提案にミリアは頷く。
目の前の男は明らかに異様な気配を身に纏っていたが、特に悪人というわけでもない。
親切心からの提案なのだから、受け入れるのは当然だ。
唯一、近くに立たれると強者特有の気配に足が震えてしまうのが難点か。
しかし、周囲にいるのは強者のみ。
ミリアは慣れるしかないのかと諦めてロアの提案を受け入れた。
そして二週間が経過すると、ミリアから十分な文献が見つかったと知らせが入る。
屋敷に集い、状況の整理が始まった。