10話 覚悟
「依頼の品だ。受け取るといい」
「ああ、助かるよ。にしても、流石はリィンスレイ将軍と言うべきかな」
ヴァルマンは苦笑しつつ、竜の牙を受け取った。
陶磁器のような美しい白光を放つ竜牙は、成竜としても余りに大きい。
リオノス山脈の主でも狩ったのかと推測していた。
この竜牙はエドナとの交戦の最中、隙を見て手近にいた巨竜を狩ったときに得たものである。
ラクサーシャもこれには満足しているらしく、口元から笑みがこぼれていた。
「さて、これを加工するのに数日は掛かるだろうね。宿は取っているかい?」
「いや、この後探す予定だ」
「それなら、この屋敷にいるといい。空き部屋もあるし、外泊するよりは安全だろう」
「すまんな、助かる」
「気にしなくて良いよ。竜牙のお礼だと思えば、これでも足りないくらいだしね」
そこで、ドアがノックされた。
入ってきたのはヴァルマンの妻、シャトレーゼだ。
彼女は紅茶とマドレーヌを差し入れる。
ラクサーシャは紅茶を啜ると、ほうと息を吐いた。
鼻腔に広がる甘い香りに心を安らぐ。
「やはり美味い。ここまで紅茶を美味く淹れる者は、帝都にもそうはいないだろう」
「お褒めいただき光栄です」
「事実を言ったまでだ。まさに才色兼備。それに、武術にも秀でているように見える」
ラクサーシャはシャトレーゼの佇まいに注目する。
警戒心なく自然体のように見えるが、見る者が見ればその隙のなさに感嘆するだろう。
脱力された手足だが、瞬時に戦闘態勢に入れるようにされている。
それを見抜かれたことにシャトレーゼは驚いていた。
が、クロウの方が驚きは強かったようだ。
「旦那、なに言ってんだよ。どう見たって戦えるような様子じゃないだろ」
「なら、試してみますか?」
シャトレーゼは不敵に笑ってみせる。
妖しげな色香の漂う笑みにクロウは気圧される。
「疑うくらいならば、試してみればよかろう。良いな?」
ラクサーシャが視線を向けると、シャトレーゼは頷いた。
クロウは躊躇するも、本人が良いと言っているのだから問題はないのだろう。
ラクサーシャの手前、いつまでも躊躇ってはいられない。
「うおおおおおッ!」
クロウは拳を構え、一気に距離を詰める。
だというのに、シャトレーゼは脱力したままだ。
クロウのことをまるで警戒していないようだった。
クロウは戸惑いつつも、そのまま拳を突き出す。
そのまま命中すると思ったが、急に拳の軌道が逸らされる。
「なっ!?」
受け流されて体勢を崩してしまう。
よろけながらも強引にもう一撃を繰り出す。
が、これも逸らされてしまう。
こうまでされては、さすがに情けない。
――絶対に当ててやる。
クロウに闘争心が湧いた。
今度は躊躇いなく、拳を構えて距離を詰めた。
拳を突き出すと見せかけ、勢いをそのままに上段蹴りを見舞う。
今度こそ。
そう思った刹那――シャトレーゼと視線が交わる。
彼女が浮かべていたのは、ゾクリとするほど妖艶な笑みだった。
クロウの視界が回る。
「やはりな」
ラクサーシャは満足げに頷く。
シャトレーゼは脱力した状態から鞭のような動きでクロウの攻撃を弾いていた。
彼女の戦い方ならば、腕力など必要ないのだろう。
特筆すべきはその速さだった。
脱力した状態から一瞬にして最大速度に到達する。
並の人間では、自分が何をされたかさえ理解できないだろう。
事実、クロウは地面に転がされていることにようやく気づいたくらいだ。
「こ、降参だ……」
自分との格の違いを実感し、クロウは降参する。
見た目は華奢だというのに自分の攻撃は容易く受け流されてしまう。
最後に関してはまるで理解できない。
状況から投げられたということだけは理解できた。
「想像以上だ。これならば、私でも厳しいかもしれん」
「ご冗談を。私も少しは嗜みますけれど、リィンスレイ将軍ほどではありません」
シャトレーゼは謙遜ではなく事実を述べている。
警戒を隠している自分とは違い、ラクサーシャは完全にリラックス状態だ。
そんなラクサーシャを前にしても、攻め方が全く分からなかった。
「私では精々が指揮官でしょう。とはいえ、エドナ指揮官やガルム指揮官は厳しいですが」
「ほう、シュヴァイならばいけるか?」
「彼とならば五分五分くらい、でしょう」
「俺にはそれだけでも凄いと思うけどな」
クロウが立ち上がりつつ、呆れ気味に言う。
「旦那。俺はちょっとばかし散歩してくるぜ」
「うむ。あまり遅くならんようにな」
「あいよ」
クロウが屋敷の外へ出て行く。
それを見送ると、入れ替わるようにベルがやってきた。
「やあ、シスターベル。今日はどうしたんだい?」
ヴァルマンが迎え入れると、ベルはラクサーシャのもとに歩み寄る。
見れば、目の下にはクマが出来ていた。
「あの、お願いがあるんです」
「ほう」
「私を、ラクサーシャ様の旅に連れて行ってください」
ベルは頭を下げる。
ガーデン教を取るか、ラクサーシャたちを取るか。
二つの選択肢で揺れていたベルは、ラクサーシャたちが竜牙を取りに行っている間悩み続けた。
悩み続け、決断した。
「良いのか? 私について行くということは、帝国を捨てるのと同義だ」
ラクサーシャの言葉にベルの表情が一瞬曇る。
選択の重さを理解しているからだ。
これから、自分は裏切り者になるだろう。
しかし、ベルはすぐに顔を上げる。
その表情には一切の躊躇いもなかった。
自分は決めたのだから、進むしかない。
「これが私の選択です」
「……分かった。そこまでの覚悟があるならば、過酷な旅にも耐えられるだろう」
ラクサーシャは頷く。
これだけの覚悟を見せられたのだから、否と言えるはずがなかった。
ベルはそんなラクサーシャを見て微笑む。
二人のやりとりを見て、ヴァルマンは満足げに頷いた。
「さて、決まったようだね。ミュジカの宴まではまだ二日あるから、体をしっかりと休めてほしい」
「分かりました」
「リィンスレイ将軍。関所を通る際だけど、行商人の馬車に護衛として乗ってもらうよ。それと……」
「ヴァルマン。一ついいだろうか?」
「ん、何かな?」
「呼び方が気になってな。私は既に将軍ではない」
ラクサーシャは帝国を捨てた身だ。
将軍という肩書きも既に捨てたつもりだった。
しかし、ヴァルマンは首を振った。
「いや、あなたは将軍だ。誇り高く、信念がある。帝国に反旗を翻す、解放軍のラクサーシャ・オル・リィンスレイ将軍だよ」
「解放軍、か……」
「リィンスレイ将軍に私たちを率いてほしい。今はまだ小さな勢力だけど、いずれ帝国と戦えるほどの勢力にする。してみせる」
「……そうか」
ヴァルマンは力強く宣言する。
ラクサーシャはそれを聞き届け、頷く。
「ならば私は今ここに、解放軍の将となることを誓おう」
ラクサーシャは軍刀『信念』を抜刀し、高々と掲げて宣言した。
彼は再び将軍となった。