1話 奈落へ堕ちる
地下深くへ続く石造りの階段を男は歩いていた。
じめじめとして薄暗く、こんな場所に好き好んで進むような人間はそういないだろう。
男とて、このような場所に入りたかったわけではない。
だというのに男が歩みを止めないのは理由があった。
「さっさと歩け!」
左から怒声をぶつけられ、男は顔をしかめる。
そこには縄を握った鎧姿の男がいた。
縄が繋がっている先は男だった。
後ろ手に堅く縛られ、不本意だが歩く他にない。
それにしても、この階段は単調である。
巨大な穴に、螺旋を描くように壁沿いに階段が造られている。
下を覗けば、先の見えない奈落のような暗闇があるだけだった。
ふと、男は視線を上に向けた。
縄を持つ鎧姿の男に気付かれぬ程度の、小さな動作だった。
その視界に映るのは、遥か遠くにある地上の光だ。
気付かぬ内にそれほど歩いていたのだろう。
男はそう思った途端、地上が恋しくなった。
それだけ歩いたというのに、まだ先は長い。
男は暇潰しに壁に掛かった松明を数えることにした。
そのくらいしか、する事がなかった。
やがで松明が千を数えたとき、目的地に到着した。
そこにあるのは牢屋だった。
幾つも並んでいる内の一つが男の場所だった。
「さあ、早く入れ!」
偉ぶった口調で鎧姿の男が命令する。
男は鎧姿の男を睨み付けると、牢の中に入って行く。
男の視線に射抜かれ、優位にあるはずの鎧姿の男は腰を抜かしていた。
牢の造りは簡素な物だった。
石造りの壁が三方を囲み、前方には鉄製の檻がある。
唯一特徴を挙げるとするならば、この牢獄がパノプティコン的な造りであることだろう。
双方が姿を視認出来るといった違いを除けば、殆ど同じ造りである。
男は鎧姿の男が去っていくのを見送ると腰を下ろした。
横になりたい気分だったが、後ろ手に縛られては余計に窮屈なだけである。
壁に体重を預け、瞑目する。
「なあ、あんた。新入りか?」
不意に声を掛けられた。
独房であるため、牢の中には男一人である。
そうなれば、隣の牢からだろう。
「おい、聞こえてるなら返事くらいしてくれよ?」
「何の用だ?」
男は仕方なく返事をする。
眠気はないが、寝ていたい気分だった。
自然と、声に苛立ちの色が現れる。
「そんな怒らないでくれって。せっかく隣の牢になったんだ。話し相手にくらいなってくれよ」
「悪いが、そういう気分ではない」
「つれないなあ。これは東国の言葉だが、袖振り合うも他生の縁って言うだろ? 牢が隣り合ったのだって、何かの運命かもしれないぜ?」
無視をしようにも隣の牢では声が止まない。
隣の牢の男は非常に饒舌で、どうにも意識を引かれてしまう。
仕方なく、男は相手をすることにした。
「それで、私と何を話したいのだ?」
「あ、その前に自己紹介だ」
隣の独房で物音がした。
隣の独房の男が居住まいを正したのだろう。
「俺の名前はクロウ・ザイオンだ。情報屋をやっている」
「情報屋か。何故捕まった?」
「帝国の内部事情を探ろうと思ったんだが、見事にしくじってな。それでこのザマさ」
クロウは肩を竦めた。
その真剣味のない言動が気になったが、かといって不快というわけではない。 寧ろ、親しみやすさを覚えるくらいだった。
「それで、あんたは何者なんだ?」
「私か。私は――」
男が名乗る瞬間、クロウから発せられる気が僅かに真剣味を帯びた。
それを微かに感じつつ、男は名乗る。
「――シルヴェスタ帝国元将軍、ラクサーシャ・オル・リィンスレイだ」
男――ラクサーシャが名を告げるが、クロウからの反応がない。
何事かと首を傾げ、尋ねようとするラクサーシャだったが、それを遮るようにクロウが声を上げる。
「――当たりだぁっ!」
「当たり? どういうことだ」
「ん、ああ。気にするほどのことじゃない」
「そう、なのだろうか……?」
ラクサーシャは納得がいかなかったが、クロウに話す気がないならば無理に聞くこともないだろうと思い、それ以上の追求はしなかった。
クロウはどこか嬉しそうな声でラクサーシャに話しかける。
「いやあ、まさか地下牢獄でリィンスレイ将軍様と会えるなんてな」
「“元”将軍だ。今の私は、ただの罪人に過ぎん」
「そうか……。なら、ラクサーシャの旦那。あんたはどうして地下牢獄なんかにいるんだ?」
「大したことではないが……。反乱を起こしただけだ」
「反乱? 旦那が?」
「そうだ。私は、帝国に牙を剥いた」
ラクサーシャがそう言うも、クロウはその言葉を信じられなかった。
クロウは疑問を抱き、口にした。
「リィンスレイ将軍といえば、帝国の忠犬として恐れられているだろ? あ、悪い意味じゃなくてさ、忠義に厚いっていうか。そんな旦那が帝国に刃向かうなんて、信じろって方が無理があるぜ」
「確かに、そうかもしれんな」
ラクサーシャは苦笑した。
自分の軌跡を振り返ると、そう評されるのも仕方のないことだと思った。
「どんな経緯で反乱を起こしたんだ?」
「そうだな……。話せば長いが、大丈夫だろうか?」
「ここは地下牢獄だぜ? 時間なんて、腐るほどあるさ」
「なら、話させて貰おう。あまり気味のいい話ではないが……」
いつの間にか、クロウへの警戒は解けていた。
十年来の友人に話をするように、ラクサーシャは語り始める。