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「ただいま母様」


店の戸を開けると、中から暖かな空気が流れて来た。それに頬が緩みながら、目の前で仁王立ちするいとの母親に言葉を投げる。


「おかえり馬鹿娘。ちょっとしたおつかい頼んだのにどこで道草食って来たんだい。もう店開ける時間だよ」


「ごめんなさい。ちょっと拾い物をしてて」


 機嫌悪そうにしているが、心配だったのだろう。安堵の息を吐く母親にいとは眉を下げながら後ろで突っ立っている男を指差した。男はぼんやりといとを見るだけだ。その様子に母親は年の割にはきれいな顔を歪ませ、値踏みするように男を眺める。


「ああん?その死んだような顔した薄汚い男かい?」


「うん。うちで使えないかな」


 ほら、挨拶。いとが男の冷たい手を握るとびくり、と肩を震わせて頭を下げた。いとの手は、握ったままで、だ。


 「……よろしく、お願いします」


「ふうん?」


 じろりと男を見る。

ふん。と鼻を鳴らした後、湯に連れて行きな。と一言放ち、女将は店の準備をしに行ってしまった。

 怒られなかった。安堵の息を吐いて、いとの背後で突っ立っている男を見上げてつないだ手を軽く引っ張る。男は戸惑ったようにいとを見る。


「お許しがでたよ。湯に行こうか」


「はい……」


「そしたらご飯と、部屋と……」


 そこでいとははた、と気づいた。


「ところで、あなたの名前は?」


「ない、です」


 ゆるゆると首を振って眉を下げる。それが幼い子供のようで、いとはこんな年上の男でもこんな幼い行動をするのだ、と妙な感動を覚えた。意外、というのだろうか。


「そう。私の名前はいと。女性用の遊郭で女将をしている母様の娘。まあ、すきに呼んで。そうだなぁ……あなたは、冬夜がいいね。冬の夜に拾って来たから。どう、冬夜」


「とうや……はい、いと…様」


「別にえらくもないから様なんてつけなくていいよ。他の皆は私のことは呼び捨てだもの」


 ね、と首を傾げ、手を引っ張る。お風呂に早く行かなきゃ、風邪を引いちゃうよ。急かすいとに冬夜はふぅ、と肩の力が抜けたように目尻を下げる。


「……いと」


 ありがとうございます。花がほころぶように。ふわりと嬉しそうに微笑んだ冬夜に、いとは軽く頷いた。





 

 冬夜は、よく働いた。






 変な客がついて傷だらけにされても、人気の出だした冬夜に嫉妬した他の男妾たちに幼稚な嫌がらせをされても。

 穏やかに笑いながら、「いとに拾われる前に比べたら、こんなの平気ですよ」と言うのだ。その言葉から悲惨な生活を送って来たと分かるが、いとはそう、と返すだけでその過去を追求しなかった。単に興味がなかったとも言える。それでも冬夜は嬉しそうにいとの手を握り、ありがとうございますと礼を述べるのだ。



 そして、その時浮かべる瞳の色が、いとはきらいだった。



 陶酔しきった、どろどろと甘ったるい蜂蜜のような濁った色。

それは、男妾に本気で惚れた客の女たちとよく似ていた。でも似ているだけであって、根本的には違う。なんだろう。これは。いとは思う。その瞳で見られると、とても逃げ出したくなってしまう。怖いとすら、感じてしまう。


 だからいつまでもいとの手を宝物のように握り、見つめてくる男からいささか乱暴に手を引き抜く。


「……あ……」


「壱に呼ばれてるから」


 とたんに悲しそうな表情をする冬夜に少し罪悪感を抱く。逡巡してから頭をぽん、と柔らかく叩く。細い髪がさらさらと指に楽しい。


「冬夜もがんばって」


「はい……」


 いと。

幸せそうにいとの名を呼び、部屋へと帰る。

それを見送っていとはため息を吐いた。



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