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第13話

 かび臭い匂いが微かに鼻をついた。

 どこまでも続く本棚の列、そこに並んだ本の背表紙を見て途方にくれた。


「この街で誰が読むんだ、こんなに」


 エドは嘆息する。

 ここは街の中心近くに立てられた図書館だ。教会のすぐ隣りにある。

 何でも教会の司祭が本好きで、私財をなげうって作ったという話だ。

 そのせいか、学校半分の広さのここをずらっと見渡すと、並んだ本のうち神学に関するものがかなり目立つ。


(……そんなもん、誰も読まないって)


 声に出さずに突っ込む。

 実際、ほとんど人が触れた形跡が見あたらなかった。

 そんな事より、エドはここに来た目的を思い出して目当ての物を探し出した。

 本棚の端に書かれた案内には大まかな分類、それもかなり適当に書かれていた為、図書館の敷地の半分を歩き回るハメになった。


「あー、やっと見つけた」


 げっそりしながら、ようやくエドは立ち止まる。

 視線の先に並ぶのはこの街、ローカイズの成り立ちから近年までの歴史について書かれているものだ。

 辺境の街の割には由緒ある街らしく、複数の棚にならぶそれ関係の書物を見て肩を落とす。

(こんな辺鄙な所に書くようなネタってどれほどあるんだよ……)

 引き返したい衝動にかられたが、思い直して適当にそれらしい本を抜き取っていく。

 一冊手にとる度にパラパラと軽くページをめくって目を通すがすぐに止める。

 街の歴史など元々興味がないエドが見ても単なる文字の羅列にしか見えなかった。

 仕方なしに一番目的に適しそうな本を勘で選んで、残りを元の位置に戻した。

 主に抜いた本は本棚の半分より下側の棚の本だ。上の方の棚は背が届かなかった為、まったくの手つかずだ。

 あれを取ろうとすると踏み台をもってこないといけない。


「ま、焦る事もないか」


 選んだ本を手にして、貸し出しの手続きをとる為に引き返す。

 歩きながら本をパラパラめくったがやはり頭に入ってこない。

 これを読むのかと思うと憂鬱になったが気を取り直し、玄関口付近で掃除をしていた司書に貸し出しの手続きを願い出た。

 司書の青年はエドのような子供がなぜこのような本を……と首を傾げていたが、すぐに貸し出しの手続きを行った。


「あー、貸し出しの期限は……」

「明日か明後日にでも返しにくるよ」

「じゃぁいいんですが」


 エドは挨拶もそこそこに図書館から早足で出ていった。

 頭の中では手にした本の事で一杯だったのだ。



*---*



 街にはいくつもの伝承が伝えられている。

 その内には代を重ねる内に忘れ去られたものもあれば、新しく生まれるものもある。

 そして、比較的当たらしい伝説に白髪の魔女の伝承がある。





 エルゲ山の裾に広がる、白霧に包まれた森。

 その奥深くに魔女が住まう。

 髪、白くしてその容姿は美しく、気に入った人間を物言わぬ人形に変えて愛でる。

 一見、折れそうな程細い手は屈強な男を易々と薙ぎ払い、その足は獣よりも速く野を駆ける。

 不思議な薬で獣を操り、皮膚が腐る呪いを蝙蝠に乗せて運ぶ。

 決して森の奥へと足を踏み入れてはならない。

 さもなくば、魔女の呪いが街を襲うだろう。





 エドの知っているあらましはこんな所だ。

 実際はもっと細部は細かいだろうがそこまでは把握していない。

 人によっては部分々々が違っていたりするが、それは人から人へ伝えられた過程でそうなってしまったのだろう。

 ただ、その中でも標準的なものはと言えば、エドの知っているものと同じと考えていいだろう。


「だけど、そんなものは何の手がかりにもならないよなぁ」


 ごろん、とベッドに寝転がりながら嘆息する。

 ここはエドの部屋だ。

 エドの家は酒場を兼ねた宿を経営しており、一階フロアが酒場になっている。

 この部屋は元々客を泊める為の部屋だったが、場所が悪いのか一階の喧噪が良く響く為、不評が続き、エドが使う事になったのだ。

 時刻はすでに深夜といって良かったが、下から響く酔客の声が衰える気配はない。

 寝るだけなら、すでに慣れているのでそう気にはならないのだが、今日に限って言えば大きな声がする度にうっとおしそうに顔をしかめる。


「くそ、ただでさえチンプンカンプンなんだから、邪魔すんなよ」


 誰にともなく、そう呟いて乱暴に頭をかきむしった。

 それでも手にした本を放り出さずに目を通していく。


 捜しているのは魔女の伝説の元になった”何か”


 昔から伝えられた伝承は何も白髪の魔女だけではない。

 半年以内に死期を予言する首無しの騎士。

 歌う人面蛇。

 魔女の森のどこかには人面樹が生えているという噂もある。

 【叫び岩】に関しては数えるのも億劫な程だ。

 だが、それらと白髪の魔女には明確な違いがある。

 何が違うのか?

 それは大人達が皆、魔女の存在を信じているからだ。

 少なくともエドの目にはそう見えた。

 何度も何度も繰り返し教えられ注意された【叫び岩】の向こう側。

 決して立ち入ろうとしない大人達。

 一体、他の伝承と白髪の魔女の違いはいったい何なのか。

 そしてエドは考えてふと思ったのだ。

 もしかして、昔に森の奥で何かがあったのではないかと。

 もしその何かが存在したとして、それが白髪の魔女と無関係だと証明出来ればシルルを街に受け入れさせる事も可能ではないのか、とそう思ったのだ。

 大人達に聞く訳にはいかない。

 そんな事をすれば【叫び岩】の向こう側へ立ち入っている事がバレてしまうかも知れない。

 だから、普段は近づく事すらしない図書館へ出向いて街の歴史を記した本を借りてきたのだ。


「……違う、これじゃない」


 だが、そんな都合良く目的のものが見つかるほど甘くはなかった。

 時間と共に比例していくイライラに耐えてひたすら細かく並んだ文字を追っていく。

 それはいつの間にか本を広げたまま眠ってしまうまで続いた。



*---*



 あまりにも軽快すぎる音が教室に鳴り響いた。

 その見事な音に教室中の生徒達(一名を除いて)は拍手を惜しまなかった。

 まだ半分寝ぼけ眼のエドを見下ろしながら、教師は今しがた彼の頭を叩いた鞭で机をバシバシと叩く。手首のスナップが効いていて当たるとかなり痛そうだ。


「エド、貴様は昨日といい一日に何度居眠りすりゃ気がすむんだ?」


 満面の笑みがかなり怖かった。


「そんなに暇だったら素っ裸で表を走ってくるか? 眠気なんて吹っ飛ぶぞ」

「……かんべんしてよ、先生ぇ。最近、寝るのが遅くて本気で眠いんだ」

「ガキが夜中までおきてるからだ。いったい何してたんだ」

「街の歴史を調べてたら夢中になって寝るの忘れてたんだよ」


 教師は顎に手をやって鼻を鳴らした。


「ふむ、今日は特別にここまででいいから医者に診てもらうか?」

「……俺が勉強したら本気で変か?」

「当然の事を聞くな」


 間髪入れずの即答に絶句する。


「教師の言葉じゃないだろ……」

「そういう事は前科を全てカタしてから言え」


 それで気が収まったのか教師は背を向けて教壇に戻った。

 エドは少しの間不満そうな顔をしていたが、やがてその瞼がゆっくりと閉じていく。

 そして、頭が揺れ始め……


「コラッ、言ったそばから寝るんじゃないっ!」


 教室に再び軽快な音と、それに続く拍手が響いた。



*---*



「おい、エドッ」


 どれくらいたったのか。

 聞き覚えのある声と共に揺り起こされた。


「おい、いい加減にしろよ」

「……ロック? あれ? なんでここにいるんだよ。受業は?」


 呆れた顔で額を押さえるロック。


「寝ぼけてんのかよ。周りを見ろ、ほらっ」

「へ?」


 言われて素直に教室を見渡した。

 ……自分達の他に誰もいなかった。


「みんなは?」

「いないに決まってるだろ。とっくに受業終わったしな」

「終わったって……全部?」


 ロックは重々しく頷き、サラはお手上げのポーズをとった。


「誰も起こさなかったのかよ。薄情だな」

「いや、先生は起こそうと努力はしたらしいぞ。ただ、お前がおきなかっただけで」

「知らないわよ? 明日、さんざん絞られると思うから」


 脅かすように低い声のサラ。

 エドは絶望的な表情で机に突っ伏した。


「帰る……」


 よろっと傾きながら教室を出る。


「ちょっと待ってよ」


 エドの後を追ってサラが小走りについてくる。


「ロック? どこ行くんだ?」


 自分達とは正反対の方へいくロックに気付いて声をかける。


「一人で帰りたいんだよ。仲良く帰れよ」

「……はぁ?」


 廊下の角を曲がってロックの姿が見えなくなるとエドは首を傾げた。


「なんだんだ? あいつ。何がしたかったんだ?」

「気をつかってくれたんでしょ? たぶん」

「何に?」

「だから、私達の事」

「私達って?」


 瞬間、目の前を火花が散った。

 綺麗な右ストレートがエドの左の頬に突き刺さる。


「この大バカッ」

「てっんめー、何するんだっ」

「鈍感っ! にぶちんっ!! あんたなんかひっぱたかれて当然よっ」

「今のはひっぱたくどころじゃないだろっ」


 ぷいっとふくれっ面をしたままサラがどんどん先へ行く。

 振り向きもしない。

 エドはほっとこうかと考えたが、後でさらに機嫌を悪くされたらかなわないので早歩きで追いつく。


「まてよ、おい」

「…………」


 始終無言のまま。

 学校の敷地を出ても態度に変化が見られない。

 仕方なしにやや後ろからついていく。それは端から見ると奇妙と言うか微笑ましいと言うかおかしな光景だった。

 そしてそれはエドがふいに足を止めるまで続いた。




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