怪異は殴って解決します。拳こそ正義! ―歌って戦う女子高生と監視役の公務員―
趣味の男女バディものです。
「……金がない。なんでや……」
朱音は、財布の中身を机の上にぶちまけた。
100円玉が3枚。10円玉が4枚。1円玉が2枚。
以上。
札は一枚もない。
「なんでや……。先週、まとまった給料が入ったはずやろ。任務手当もあったはずや。そんで、生活費引いて、交通費を引いて、スマホの課金引いて、弟の病院代払って……」
指折り数えていた朱音の手が止まった。
「……あ」
思い出した。
限定販売のプリン。三個入りで1800円。あまりにも美味そうだったので、つい買ってしまったのだ。
しかも、三個ともその日のうちに食べた。
ついでに言うなら翌日追加で買った。それも食べた。美味しかった。
「いや、あれは必要経費や。心の栄養や。うん」
誰にともなく言い訳し、朱音は硬貨を財布に戻した。
押上朱音17歳。
高校2年生。
学校にはまともに通えてないけど、まだ在籍中のはずなので、立派な高校生である。
……たぶん……。
趣味は格闘技、特技は怪異退治、そして現在の所持金は342円。
花も盛りの女子高生の財布の中身がこれでいいのか!?と泣けてくる。
「……管理局の給料、安すぎひんか?」
「君の場合、任務手当から損害賠償を差し引かれているからね」
「うわっ!」
背後から声がして、朱音は椅子ごと振り返った。
いつの間に入ってきたのか、黒いスーツ姿の男がドアの前に立っていた。
片手には書類の束。
顔には、他人の不幸を見ているくせに同情する気は1ミリもない、という表情が浮かんでいる。
「久瀬!ノックせえや!ここはあたしの執務室やぞ!」
「3回した。返事がなかった」
「聞こえへんかったんや!」
「財布と会話するのに忙しかったから?」
「表出ろや、このひょろもやし!」
「未成年の職員が勤務時間中に管理局職員に理不尽な暴力行為を働こうとしている。記録しておこう」
「お前なあ!」
朱音は机を叩いた。
久瀬律。27歳。
特異事案管理局、対策課所属。
そして、押上朱音の相棒という名の監視役である。
律いわく、朱音の能力は貴重だが、本人の行動は予測不能であり、監視を怠ると組織に甚大な損害を与える可能性がある、とのこと。
要するに、危険人物の首輪持ちだ。
朱音としては、首輪をつけられた覚えはない。あるのは、弟の治療を人質に取られた契約書と、それを盾に偉そうな顔をする目の前の男だけである。
「で?何の用や。こっちは今、人生設計の見直しで忙しいんやけど」
「君の人生設計は、まずまっとうな生活費の確保から始めた方がいいと思う。結論から言えば、仕事で重ねている弁償金を減らせ」
「殺すぞ」
「本日の任務だ」
律は書類を一枚、朱音の前に置いた。
朱音は露骨に嫌そうな顔をしながら、それを手に取る。
「……駅のホームで行方不明?」
「田舎の無人駅だ」
「……聞くわ」
「昨日の午後7時12分。路線の利用客が、1名その駅で降りた。その時にホームに降りたその乗客が、現在でも行方不明になっている。この駅を使っていた近所に住む女子高生らしい」
「怪異か」
「その可能性が高い。現場周辺の監視カメラには、駅から出てくるはずの女子高生が映っていない。だが、彼女が電車からホームへ降りる姿の映像だけは残っている。特に動きに不審な点はない」
「へえ。おもろいやん」
朱音の目つきが変わった。
さっきまで財布の中身に絶望していた少女は、もうそこにはいない。
怪異。
人知を超えた現象。
人間の常識が通用せず、時には命すら奪うもの。
そして、それを殴ってどうにかするのが、押上朱音の仕事だった。
「報酬は?」
「規定額だ」
「危険手当は?」
「規定額に含まれている」
「成功報酬は?」
「ない」
「……やめといてええか?」
「君の弟の治療費は、任務報酬とは別枠だが」
「……っ」
朱音の眉がぴくりと動いた。
律は表情を変えない。
この男は、こういうところが嫌いだ。
言葉を選んでいるようで、いちばん痛いところを正確に突いてくる。
朱音は書類を2つ折りにし、制服のポケットにねじ込んだ。
「行ったるわ。行けばええんやろ」
「助かる」
「勘違いすんな。弟のためや」
「知っている」
律は腕時計を確認した。
「出発まで五分だ。現場の駅までは僕の車で行く」
「最初からそう言えや!」
「君が財布と和解するのを待っていたんだが」
「ほんまに一発殴らせろ!」
そんなやり取りをしながら、二人は部屋を出て現場へ向かう。
「帰りは僕の車で送ろう」
「頼むわ。あと、帰りにコンビニ寄る。プリン買うから」
「所持金342円で?」
「うるさい!」
「まあ1つなら買えないこともないな」
「最近、コンビニの値上がりがきついんや……」
「値上がりはコンビニだけじゃないがな」
「せやろ?だから手当て、もうちょい上がらへん?」
「上申書を書け」
「めんどい」
「なら、規定は変わらない」
「ちっ!これだからお役所は」
「役所が規定を守らなくてどうする。そして君はその役所の所属だ」
「あたし、高校生が本分やねんけど」
「なら、ちゃんと学校に行け」
「めんどい」
田舎の無人駅は静かで静かで静かだった。
静かすぎて耳が痛い。風の音すらない。
夜になりかけたこの時間は、いわゆる逢魔が時と呼ばれる時間帯で、朱音にとっては最も察知能力が研ぎ澄まされる時間帯でもある。
律が改札の外から誰もいないホームの写真を何枚か撮るのを確認してから、朱音が服のポケットから一枚の札を出す。
「……久瀬。これをいつものとこに貼ってくれ」
「分かった」
朱音から受け取った札を律は古びた改札口の内側に貼った。
「戒」と書かれただけの見た目は何の変哲もない札だ。
「よし、行くで」
パン、と右の拳を左の掌に叩きつけ気合を入れる。
「気をつけろよ」
「何や、心配してくれとるんか?」
「君がやりすぎないかどうかをな」
「あとでおまえも殴ったる」
「遠慮する」
そんな軽口をつづける余裕はそこでなくなった。
貼っていた札が不自然に揺れ、朱音の目つきが変わる。
「……来る」
「今日は何を歌う?」
「見て決めるわ」
朱音はファイティングポーズで構えた。
その瞬間。
朱音の目の前に真っ黒な影が現れる。
「思った通りや、影喰いや!」
「光、当てるぞ!」
「頼んだ!」
久瀬が手に持っていたフラッシュライトのスイッチを入れ、朱音の背後から影に強い光を当てる。
その強い光はまるでその真っ黒な影を縫い留めるように光った。
「よし、そのまま!」
朱音がにやりと笑って拳を構える。
決めた。今日はこれだ。
「かーごーめかーごーめ」
歌に乗せて、朱音の拳に白い光が宿る。
「かーごのなーかのとーりーはー」
影喰いに拳を叩き込みながら、ふと歌詞が出てこなくなる。
「……あれ?何やったかな?」
拳の光が消えて、朱音が一瞬動きを止める。
「朱音!」
久瀬の声にハッとした時には遅く、影の塊が朱音の腹部にぶち込まれていた。
「ぐ……っ!」
やばい、もろに食らった。
「いついつでやる、だ!」
ライトを掲げたままの久瀬の声に、朱音はゆらりと立ち上がって拳を構え直した。
「いーつーいーつーでーやーる」
再度白い光が朱音の拳に宿り、朱音は勢いのまま影に連打で拳を叩きこみ、その感触の中に探していたものを見つけた。
「おったで!予想通りや!」
「頼むぞ!」
「任せとき!」
拳を開き、朱音は影の中に手を突っ込んだ。
「捕まえた!」
朱音が力任せに引きずり出したのは、制服姿の女子高生一人。
ぐったりとして気を失っている。
「ちょっと吸われとる!」
「分かった!じゃあ、そいつにとどめを頼む!」
律に女子高生を預け、再び朱音は目の前の影喰いに向き直る。
「承知や!」
朱音は最後の力を歌う喉と拳に籠める。
「よーあけーのばーんにつーるとかーめがすーべった」
地面を強く踏んで、ライトの中に照らし出された怪異に一際白く輝く拳をめり込ませるように叩き込む。
「うしろのしょーめんだーあれ!!」
朱音の拳が影に食い込み、貫いて、ホームの石畳へ影喰いを叩きつける。
そこからさらさらと光の中に影が消えていった。
よし、完了、と思った次の瞬間。
その影から鋭い針のようなものが飛び出し、後ろへ飛んだ。
怪異の最後のあがきだ。
「しま……っ!」
背後にいる律と助け出した女子高生にけがをさせるわけにはいかない!
咄嗟に朱音は自分の脇を抜けて背後にいる二人に攻撃を仕掛けようとする針の前に掌を出した。
「ぐうううううう……!!」
朱音の掌を貫こうとした針は手のひらの白い光で止められ、ぽたぽたと落ちる朱音の足元の赤い血だまりに落ちてさらさらと光の中に消えていく。
「朱音!」
「大丈夫や、死ぬこと以外はかすり傷や」
「バカ!かすり傷なわけあるか!」
律が女子高生を片手で抱えたまま朱音の前に膝をつく。
「見せろ」
「……」
「見せろ」
「……」
「見せろ」
三度目でやっと観念した朱音は、律の前にまだ生々しい傷の残る手のひらを差し出した。
「これはちょっと深いな」
「帰ったら医務室直行したるわ」
「今ここでそれまでの応急処置するぞ」
「げええ!!」
「何だ、その潰れたカエルみたいな声は」
「久瀬がするんやろ!痛いから嫌や!」
「今でも痛いだろ。いいから、手を貸せ」
「……」
「血で服も汚れるぞ。言っておくが、経費からクリーニング代は出ないからな」
その一言で観念したのか、朱音が手のひらを差し出す。
手のひらの真ん中に穿たれたような傷があり、血が溢れている。
「痺れは?」
「……ない」
「指は動くか?」
朱音は指を握り、開いた。
「動くで」
「よし。少なくとも、今のところは大きな神経損傷の兆候はなさそうだ」
律は朱音の指先に自分の指を重ねた。そこから透明な糸のようなものがしゅるしゅると伸びて、朱音の傷を縫い合わせていく。
「……っ!」
痛みに顔をゆがめるが、朱音はおとなしく律に処置を任せていた。
これが、律が朱音付きになった理由だった。
自分が歌う歌に合わせて怪異を屠ることができる能力を持つ朱音。
その朱音が傷を負った時、応急処置ができる能力を持つ律。
朱音の能力は強力だが、本人は無茶をする。
怪異を倒すためなら、自分が傷つくことをためらわない。
だからこそ、戦闘を支援し、負傷した彼女をその場で処置できる人間が必要だった。
「よし、これでいい」
「おおきに」
「何だ、今日は素直だな」
「だからお前のそういうとこが嫌やって言うてんのじゃ」
「そうか、それはすまないな。だが、生憎、僕はこういう性分なんだ」
「それは知っとる。正直で嘘がない。せやからあたしはおまえに背中を預けとるんや」
少しだけ律は笑い、怪我をしていないほうの朱音の手を取り立ち上がらせる。
「帰るぞ」
「帰りのコンビニ忘れんなや」
「今日は僕がプリンを奢ろう」
「え!?ええんか!?」
「怪我させたからな。2個までだぞ」
「久瀬様ありがとう!感謝や!」
「拝むな」
その時、律の腕の中にいた女子高生が小さく呻いて目を覚ました。
「……あ、れ?」
「気ぃついたか。立てるか?」
「……え、あれ……私……?」
女子高生に朱音が微笑みかける。
「あんた、ちょっと別の世界に捕まってたんや。でももう大丈夫やで」
「……電車から降りて……改札を出ようとしたところで……」
「うん、分かっとる。大して吸われてもないから、普通にご飯食べて寝れば問題ないはずや。落ち着いたら、連絡してほしい場所がある。久瀬!」
「はいはい」
律がスーツの内側から一枚の名刺を取り出す。
「改めてお話を伺わせていただきたいんです。落ち着いたら、ここへ連絡をお願いします」
特異事案管理局、対策課所属
久瀬律
押上朱音
連名の名刺だ。
「二人のうちどちらか一名は必ずいますので」
「……は、い」
「では家までお送りしましょう。一晩行方不明になっていたんだ、きっとご家族は心配してます」
「え、一晩!?」
「そうです」
女子高生は手に持っていたスクールバッグの中からスマホを出して日付の確認をする。
確かに一晩過ぎていた。
「大変……!!」
「ご家族には私どもから説明します。まずは無事の帰宅を優先しましょう」
「は、はい……!」
改札の外にある車に向かうとき、女子高生が改札の柱に貼られていた札に気づく。
「何、これ……こんなのあったっけ……?」
「ああ、それはあたしらが貼ったんや。久瀬、剥がすで」
「頼む」
朱音が札を剝がすとそれはまるで花びらのように崩れて散った。
「え?」
「ああ、これはな。この駅からあんたを捕まえてたもんを逃がさないための結界みたいな役割やったんや。もうその役割が終わったからこうなったんや」
「……け、っかい?」
「詳しい話はまた後日にしましょう。まずはあなたをお送りします」
改札を出るときに律がホームの写真を何枚か撮る。
「何や、今日は何も壊してないで?」
「それは見比べてからだ」
「ほんま、お役所はがちがちやな」
それから女子高生を家まで送り、家族には説明を求められたが「それは改めて後日」と律が笑顔で押し切った。
不思議と律にそう言われては従うしかない気持ちになるのだ。
これも律の能力の一つで、一般人が怪異に巻き込まれた際に、情報の流出を最小限にするために関わった一般人を「説得」することができる。
一種の催眠術のようなものだが、この「説得」のおかげで怪異の事件に関してはまことしやかな都市伝説のような扱いで、ギリギリ人間社会に溢れてきていない。
「ほんま便利な能力やな、それ」
「おかげで忙しいがな」
帰り道の車の中。
朱音は助手席から流れていく夜の景色を眺める。
この夜の中にいる怪異たちを殴り、浄化する。
それが自分の仕事であることは分かっている。
そうすることで、莫大な治療費が必要な弟の命を繋ぎ止めることができる。
もう朱音には病院にいる弟以外家族がいないのだ。
あの子を生かし、守るためなら、少々のケガも危険も笑って飲み込む。
「あ、久瀬!そこのコンビニ!」
「はいはい」
「2個奢ってくれるんやろ?言質は取ってるで!」
「分かってる。まあ今日はいつもよりスマートに済んだからな。プリンくらい奢ってもいい」
「やった!」
そのまま、町の入り口に近い場所にあるコンビニに入ると、朱音はスイーツのコーナーに足取り軽く向かった、が。
「……ない」
スイーツコーナーの棚にはプリンが一つも残っていなかった。
「売り切れか」
後ろからやってきた律が楽しげに朱音にとどめを刺す。
「……別のコンビニ行くで」
「まあいいけどな」
「あたしは今日どうしてもプリンが食べたいんや」
「分かった、プリンが買えるまで付き合う」
そうして3件目でやっとプリンのあるコンビニを見つけ、朱音は大喜びで一番大きなプリンを2つ籠に入れた。ついでにミルクティーも。これは朱音が自分で払うと言い、律は500円近くするプリンを2つ朱音に献上することになった。
そのまま朱音の執務室へ戻ると、朱音は早速プリンを開けた。
「おい、報告書が先だ」
「後でええやろ。疲れたから脳と体に糖分が早急に必要なんや」
「……」
「んー、うま!人の金で買ったプリンだと思うと猶更美味いわ!」
ご機嫌にプリンを食べる朱音の横で、律は今日撮った写真を見比べていた。
「おい、朱音」
「ん?何や?」
「君、これ、壊してるぞ」
「え!?」
律が拡大した状態で朱音に見せて来た写真は、ホームの石畳だった。
改札に入る前。
石畳には異常がない。
改札を出た後。
粉々に砕けた石畳があった。
「……」
「影喰いにとどめを刺したときか?」
「……おそらくそうやな」
「なら、君のミスだ」
「……!」
「この壊した分の弁償に関しては、今回の任務料金から引いておく」
「……ちなみに幾らや?」
「サイズと壊した範囲にもよるが、5万から20万ってとこだな」
「はあ!?そんな殺生なー!!あたし、残金200円もないんやで!?」
「諦めろ。今言った金額なら別途振り込まれる弟の治療費には影響はない」
「あたしの生活には大打撃や!」
「やらかしたのは君なんだから仕方ないだろう」
「うあああああ……!」
プリンを食べながら告げられた現実に朱音はノックダウンするしかなかった。
終




