新・私のエッセイ~ 第288弾:ペットを飼うことの「有用性」と「意義」について
・・・ずっと、「逃げ」の人生でしたよ。
なにかあると、逃げてた。
ここでは強気でエラそうな「決意表明」なんかしてますけど、
ぼくほど弱い人間も、
そうそういるもんじゃないと思う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「言い訳」も得意でしたね。
「だって、しょうがねぇだろ。」
「悪いのは俺じゃねえ。あいつらなんだよ。」
「環境がわりぃ。条件がよくねぇ。俺のせいじゃねえ。」
・・・が、口ぐせでしたね。
人生でうまくいったのは、
1985年の中学3年の時の勉強と、
1990年の大減量くらい。
あとは、「失敗」の人生でしたよ。
警察に逮捕され・・・
新聞に名前も載せられて、「うしろゆび」を指される時期もあったな。
ヤケになり、
2007年11月上旬に、病院実習をほっぽらかして、
山梨の富士の樹海へ向かったこともあったっけ・・・。
あんときは、
洋子ちゃんが引き留めてくれた。
・・・彼女に生きてまた会いたくなって、
自殺をやめたんだ。
2010年10月に、
ぼくは、栃木県の真岡市のカンセキの小動物コーナーで、
1匹の、オスのミニウサギに出会った。
会った瞬間、
「この子だ・・・!」と直感し、
それからは、まるで親子のように親密な関係になった。
毛が茶色くてオスだから、
母が「茶太郎」と名付けた。
楽しい時も、
悲しくて苦しい時も、
ぼくに寄り添ってくれたよ。
ぼくが泣いているときには・・・
いつものようにはしゃいだりせず、
じっとふせって、悲しげに控えていたものだ。
・・・彼と出会わなかったら、
ぼくはもう、ここにはいない。
とっくに家を飛び出して、
どこぞの山中で首を吊っていたさ。
四国遍路をやりながら、
その途中の山で死にたいと考えてたこともあったしな・・・。
仕事が見つからず、
母や弟に「働かないんなら出ていけ!」と怒鳴られ、責められ・・・
居場所がなかったぼくは、
茶太郎ちゃんを置いて、
車で公園の駐車場などに逃げてることが多かった。
ベンチに座り、
マックで買ってきたハンバーガーやポテトをほおばり、ヤケ食いし・・・
でもそのうちに、茶太郎ちゃんが気になり・・・
暗くなると、
いつのまにか帰宅していた。
彼の世話をしなくてはならなかったから。
「掃除」と「ごはんやり」「スキンシップ」があったから。
・・・彼がぼくを待っていたから。
茶太郎ちゃんはきっと、
「神の化身」だったにちがいない。
いろいろ教わったもんな。
「動物と人は、言葉が通じなくても仲良くできる」
「人間のように愛し、愛され・・・信頼関係が築ける」
「本当の家族になれる」
・・・茶太郎ちゃん、
元気にしてるかい?
ぼくはなんとかやっておるよ。
あとで、君の先輩である・・・
「ねこのミーたん」についてのエッセイも書いてみるからね。
いまはゆっくりと休んでいておくれ。
いずれ、また会おうじゃないか。
じゃね・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
追伸:
うさぎに限らず、
一度はペットを飼うべきだ、とぼくは思います。
ではここで、
過去に書いたエッセイから・・・
こんな内容の文章を皆様にプレゼントし、
このエッセイを閉じたいと思います。
ここまでお付き合いいただき・・・
ありがとうございました。
m(_ _)m
【劇画「ゴルゴ13」の名作「黄金の犬」より引用紹介】
犬は、かけがえのない人間のパートナーであり、その関係は、神秘的ですらある。
そんな犬好きの、誰かが言った。
「子供が産まれたら、子犬を飼うがいい。子犬は、子供より早く成長して、子供を守ってくれるだろう。そして、子供が成長すると、良き友となる。青年となり、多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。犬は、青年に教えるのである。・・・死の悲しみを。」




