4. アステイア王国辺境・ソラリス村(アルくん村人との交流)
ソラリス村に差し込む朝日は、驚くほど澄んでいた。
窓から入り込む光が、ベッドの上で身を起こしたアルの銀髪を透き通るような白銀に染め上げる。翌日には彼の意識は完全に覚醒していた。
「……あ、気がついたのね。もう大丈夫? アルくん」
扉を開けて入ってきたのは、看病を続けてくれていたリアナだった。彼女の手には、湯気を立てるスープの入った木皿が握られている。
「まだ体が重いでしょ? はい、朝ごはん。栄養つけなきゃダメだよ」
リアナはベッドの脇に腰を下ろした。村の娘らしい、健康的でふくよかな体躯がベッドをわずかに沈ませる。彼女が動くたび、石鹸の香りと、彼女自身の体温が混じり合った甘い香りがアルの鼻腔をくすぐった。
「あの、自分で食べられます……」
「ダメよ、まだ手元がフラフラしてるじゃない。ほら、私が食べさせてあげる! 遠慮しないで?」
リアナは茶目っ気たっぷりに微笑むと、木のスプーンでスープを掬い、ふうふうと息を吹きかけた。突き出された彼女の唇は、熟れた果実のように赤く、艶やかだ。
「さあ、あーんして」
至近距離まで顔が近づく。リアナが前かがみになるたび、ゆったりとした麻のチュニックの襟元から、豊かな胸の膨らみが零れんばかりにのぞいた。村の若者たちの逞しい肌とは対照的な、柔らかそうでいて弾力のある、女性特有の肉感。
アルの視線がどこに泳げばいいのか迷っていると、リアナはさらに距離を詰めてきた。
「どうしたの? お顔、真っ赤だよ? まだ熱があるのかな……」
彼女が空いた方の手をアルの額に当てる。ひんやりとしたアルの肌に、リアナの掌の熱がじわりと伝わる。その熱は額から首筋、そして全身へと駆け抜け、アルの心臓を激しく打ち鳴らした。
「……んっ。2つの爆弾が……」
強引にスプーンを口元へ運ばれ、アルはたまらず唇を開いた。温かいスープとともに、彼女の指先がわずかにアルの唇に触れる。その指の感触が、驚くほど生々しく、官能的な刺激となって脳を痺れさせた。
「ふふ、いい子ね。美味しい?」
満足げに目を細めるリアナの瞳は、まるで獲物を愛でる肉食獣のような、艶っぽい光を帯びているように見えた。
「……っ、おいしい、です……」
喉を鳴らしてスープを飲み込むアルの白い首筋に、リアナの視線が釘付けになる。白磁のような美しさと、その下に潜む強靭な筋肉のライン。彼女もまた、この神秘的な少年の肉体に抗いがたい魅力を感じていた。
その様子を、少し離れた扉のそばで、村のまとめ役である猟師ガランが腕を組みながら見守っていた。
「……おいリアナ、あまりその子をいじめてやるな。顔から火が出そうだぞ」
ガランの野太い声に、二人の間に漂っていた甘い空気がわずかに弾けた。
アルは恥じらいに頬を染めながらも、何とかスープを飲み干すと、意を決してベッドから降りた。まだ少しおぼつかない足取りではあったが、背筋を真っ直ぐに伸ばし、二人の前に立つ。
そして、貴族のような洗練された、だが心のこもった動作で、深く、丁寧に頭を下げた。
「……助けていただき、本当にありがとうございました。ガランさん、リアナさん。お二人がいなければ、僕はあの峠で朽ちていたはずです」
アルの真摯な言葉と、そのあまりにも美しい所作に、ガランは一瞬だけ目を剥いた。
「よせやい。行き倒れを見捨てるほど、この村の連中は薄情じゃないさ」
ガランは照れ隠しに鼻を鳴らしたが、その視線はアルの傍らに置かれた銀糸の刺繍入りのマントに注がれた。
「……ところで、アル。お前さんは一体どこから来た? その身なり、そしてそのマント……ただの旅人には見えんが」
アルは一瞬だけ視線を落とした。自分が異世界から転生してきたこと、女神から力を授かったこと――それを正直に話したところで、信じてもらえるはずがない。
「……僕は、東の国から来ました。あちらでは、名字を先に名乗る習慣がありまして……。このマントは、旅に出る際に頂いた、大切な預かり物なんです」
アルは嘘はつかなかった。ただ、真実の核心だけを伏せた。ガランはマントの繊細な刺繍をまじまじと見つめたが、アルの「大切な預かり物」という言葉に込められた重みを感じ取ったのか、それ以上深く追求することはしなかった。
「東の国か。遥か遠くだな。……まあいい、事情はあるだろうが、まずは体を戻すことだ」
数日後、村の広場へ出たアルを待っていたのは、物珍しげな村人たちの視線と、そして容赦のない「洗礼」だった。
「おいおい、見てみろよ。本当に真っ白じゃねえか!」
声を上げたのは、自警団の若者筆頭であるハンスだ。彼は日焼けした赤銅色の太い腕をアルの細い腕の横に並べ、ガハハと笑った。
「こんなひょろひょろな体で、よくあの死の峠を越えてこれたな! 風が吹いたら東の国まで吹き飛ばされちまいそうだぜ」
「全くだ。村の娘たちがお前に見惚れてるが、男は腕っぷしがなけりゃここでは生きていけねえぞ」
他の若者たちも口々に囃し立てる。彼らに悪意はない。ただ、過酷な辺境で生きる彼らにとって、アルの美しさは「弱さ」と同義に見えたのだ。
「……自衛の手段くらいは覚えておいた方がいい。アル、お前、身を守るために剣ぐらい使えるようになっておいたほうがいい。」
ハンスが木剣を放り投げようとしたとき、ガランが口を挟んだ。
「待て、ハンス。こいつは剣を使ったことがない。まずは形から入る必要があるだろう」
「いえ……大丈夫です。これからこの国で生きていくのなら、自分の身は自分で守るべきですから」
「威勢だけはいいな! だが、そのひょろひょろの腕じゃ、剣の重さに振り回されて終わりだぜ」
周りにいた若者たちも、アルの白磁のような細い腕を見て「風で飛びそうだ」「怪我しなきゃいいがな」とニヤニヤしながら見物している。
彼らの野次を無視するように、アルは腰に下げた地味な革袋――「無限収納マジックバッグ」にそっと手を伸ばした。
「……東の国の木刀でもいいですか?」
アルがバッグの口を開け、細い腕を差し込む。その瞬間、周囲の空気がわずかに震えた。小さな袋にアルの腕が肘のあたりまで吸い込まれていく様子を見て、ハンスたちの嘲笑がピタリと止まる。
「お、おい……今、どこに腕を突っ込んで……」
「……よし、ありました」
アルがバッグから引き抜いたのは、この地では見慣れない、緩やかな反りを持った黒檀の「木刀」だった。
「なっ……!? その小さな袋、精霊の仕業か? マジックバッグなのか!?」
ガランが驚愕に目を見開く中、アルは動じず木刀を正中に構えた。 北辰一刀流――背筋を真っ直ぐに伸ばし、切っ先をハンスの喉元へ正確に向ける。無駄な力みが一切消えたその構えは、先ほどまでの「ひょろひょろの少年」とは別人のような威圧感を放っていた。
「さあ、いきましょうか?」
「……っ、ハッタリ抜かしやがって!」
ハンスは気圧された自分を振り払うように、吠えながら踏み込んだ。丸太のような腕から繰り出される、力任せの横一文字。
――だが、アルの姿が消えた。
「えっ……!?」
空を切ったハンスの視界に、翻る銀糸のような髪が映る。 アルは最小限の動きで攻撃をかわすと、ハンスの懐へ滑り込み、木刀を振り上げた。
「――『切落』」
鋭い呼気とともに放たれた一撃は、ハンスの木剣を真っ向から叩き落とし、そのまま喉元数センチの位置でピタリと止まった。
静寂が広場を支配する。 ハンスは木剣を地面に落としたまま、冷や汗を流して硬直していた。
「……ま、参った……」
ハンスが力なく呟くと同時に、アルはふっと構えを解き、いつもの穏やかな少年の顔に戻った。
「ありがとうございました。少し、体が覚えていたみたいです」
木刀をマジックバッグへ仕舞い込むアルの背中を、ガランと村人たちはただ呆然と見送るしかなかった。




