銀の咆哮 ― 暴落する相場(マーケット)と、倍返しの誓い
1839年、広東。珠江を望むイギリス商館の一室。
「――何だと? 資金決済が、まだ下りないだと!?」
怒号を上げたのは、東洋最大の麻薬商、ウィリアム・ジャーディンであった。彼の目の前には、ロンドンから届いたばかりの、インクの匂いも生々しい急報があった。
「馬鹿な……。我が商会の手形は、シティのイングランド銀行でも最優先で処理されるはずだ! なぜ広東の窓口で、現金(銀)への換金が拒否されるッ!」
ジャーディンが机を叩いたその時、扉を蹴破らんばかりの勢いでヨシュア・ゴールドシュミットが踏み込んできた。
「――理由は簡単だ、ジャーディン氏。貴殿の資産は今、この世で最も不潔な『不良債権』へと書き換えられたからだよ」
「ヨシュア……! 貴様、清の犬に成り下がって何を企んだ!」
「犬だと? 違うな。俺は、貴様ら強欲なハイエナを屠る『システム・アーキテクト』だ。……見ろ、これが市場の出す『審判』だッ!!」
ヨシュアは、伍秉鑑が広東中の商人から集めた「不渡り通知」の束をジャーディンの鼻先に突きつけた。
「貴様らアヘン商人は、清から銀を奪い、それをロンドンの銀行に流すことで富を築いてきた。だが、俺は林大人に協力し、没収したアヘンの所有権を法的に凍結。同時に、俺のゴールドシュミット商会が全量を一括で『担保設定』した。……分かるか? 市場にはアヘンの在庫が溢れていると見せかけ、実態は一グラムも流通させない。供給の断絶と、過剰な在庫不安――この『情報の非対称性』こそが俺の仕掛けた罠だ」
ジャーディンの顔から血の気が引いた。
「バカな……。それでは、我々が清から回収するはずだった銀の還流が止まる……!」
「その通りだ。さらに追い打ちを教えてやろう。俺は伍秉鑑のネットワークを使い、広東での決済通貨を『銀』から、俺が裏付けを持つ『金本位の信用手形』へ一斉に切り替えさせた。貴様らが抱えている山のような『銀の手形』は、今この瞬間、買い手のいないただの重たい金属の塊へと暴落したんだッ!」
「……ぐ、あああ……!」
「貴様はアヘンで民の命をチップにした。ならば俺は、お前たちの命綱である『通貨の信用』をチップにさせてもらう。……やられたらやり返す。いや、貴様の商会が倒産するまで、地獄の果てまで追い込み続けてやりましょう」
ヨシュアは机を指で叩き、冷徹に告げた。
「十倍返しだ。……いや、清国の民が流した涙の分、百倍の利息をつけて返してもらうぞ」
一顧だにせず部屋を去るヨシュアの背中を、伍秉鑑が畏敬の念で見つめていた。ヨシュアの脳内では、既にロンドン市場が連鎖的に崩壊していくシミュレーションが完了していた。




