ロンドンの牙 ― 鉄の規律と、救済の契約
ロンドン・シティ。 王立証券取引所の巨大な門を潜った瞬間、熱気と怒号がヨシュアを包んだ。
天井まで届く帳簿の山、飛び交う手形。 ここは、世界を数字で支配する「強欲の設計図」そのものだ。
「……ヨシュア、待ちやがれ! あんた、本気なのか!? 相手は東インド会社だぞ。この国の、いや、世界の支配者だ!」
背後から必死についてくる男――広東の豪商、伍秉鑑。 史実において、彼は世界一の富を誇りながら、アヘン戦争によってその財産も、家族の未来も、誇りさえも全てを奪われ、失意のうちに生涯を閉じることになる男だ。
ヨシュアは足を止め、伍秉鑑を真っ直ぐに見据えた。
(伍秉鑑。お前は、俺が作り損ねた『不完全な世界』で、最も理不尽に踏みつけられる善き人々の象徴だ)
「伍、お前に提案がある」
「……提案?」
「俺と契約しろ。お前の持つ広東のネットワークを俺に預けろ。 代わりに俺は、お前の未来から『破滅』という名の不条理を徹底的に排除してやる」
ヨシュアの瞳に宿る、冷徹だが熱い光に伍秉鑑は息を呑んだ。
「……あんた、一体何者なんだ? ただの金貸しには見えねえ」
「俺か? 俺は……かつて選択を間違えた男だ。 だが、二度目は失敗しない。お前を救うことは、俺がこの狂った歴史に勝つための『必須条件』なんだよ」
その時、取引所の奥から冷徹な殺気を放つ一団が現れた。 ジャーディン直属の取り立て人――【債権の執行者】。 彼らは複雑な商法を武器に、ヨシュアの退路を断つべく不当な訴状を突きつける。
「見つけたぞ、ゴールドシュミット。ジャーディン閣下の聖域を荒らす害虫め。 お前の全資産を今この瞬間、凍結する」
「……フッ、十人がかりか。 私の破産を看取るにしては、少々人数が足りないな」
ヨシュアは伍秉鑑を背後に庇い、懐からペンを取り出した。 それは彼にとって、かつてのキーボードに代わる、歴史を書き換えるための唯一の武器だ。
「伍、下がっていろ。 この腐りきったロンドン市場に、真の『均衡』を叩き込んでやる!」
十人の執行者が一斉に、法的な罠を仕掛けた空売り攻撃を仕掛けてくる。 だが、ヨシュアの脳内では、現代の金融理論に基づいた冷徹な計算が、敵の脆弱性を暴き出していた。
「無駄だと言ったはずだ! 私の帳簿において、端役に敗北する貸し倒れプロットなど存在し得ないッ!」
ヨシュアがペンを振るった瞬間、取引所の掲示板が激しく更新された。 彼が事前に仕込んでいた東インド会社の不祥事に伴う「隠し債務」の暴露。 それが市場に爆発的な疑念を広げ、逆に執行者たちの抱える債権を紙屑へと変えていく。
「なっ……! 逆に、我々の資金が溶けていく……!?」
「奪われたものは奪い返す。それも、お前たちが愛してやまない『数字の暴力』でな!」
社会的地位ごと粉砕され、崩れ落ちる執行者たち。 伍秉鑑は、目の前で起きた「銃も剣も使わない虐殺」に震えていた。
「……ヨシュア……あんた、本当に……」
「行くぞ、伍。これはまだ序章だ」 ヨシュアは一度も振り返ることなく、東インド会社の本拠地へ続く階段を見据えた。
(俺の設計する世界に、お前の悲鳴はいらない。 伍秉鑑、お前の人生を『ハッピーエンド』に書き換えるまで、俺のマネーゲームは終わらない)
孤独な金貸しの往く道に、かつての後悔が「平和」という名の執念となって燃え上がっていた。




