第8話 最強の弊害
異変は、静かに始まった。
派手な災厄も、世界を揺るがす事件も起きていない。
むしろ――
問題が、起きなさすぎた。
「……報告です」
リアが帳面をめくりながら言う。
「旧魔王領、安定しています。
元四天王の統治、想像以上に優秀です」
「そりゃよかった」
「勇者再配置も、順調です」
「それもよかった」
「神殿の人手不足も解消されました」
「完璧だな」
リアは、少しだけ言葉を切った。
「……完璧すぎるのが、問題です」
俺は、椅子にもたれたまま天井を見た。
(来たな)
女神ミスティアが、窓際で腕を組んでいる。
「最近、祈りの内容が変わってきてるんです」
「どう変わった」
「“助けてください”じゃなくて……」
彼女は、少し言いづらそうに言った。
「“桐生透真に伝えてください”って」
「直接来い」
「怖くて来られないそうです」
(俺、魔王枠になってないか)
リアが、帳面を閉じる。
「街でも、同じです」
「なにが」
「問題が起きると、
“調整役が何とかする”前提で動かなくなっています」
俺は、少し考えた。
「……俺、そんなこと言った?」
「言ってません」
「やるとも言ってない」
「でも」
リアは、はっきり言った。
「あなたが、やってしまうんです」
沈黙。
女神ミスティアが、苦笑する。
「問題が起きる前に、解決してますからね」
「無意識です」
「それが、一番怖いです」
俺は、立ち上がった。
「現場、見に行こう」
街は、穏やかだった。
あまりにも。
市場は整い、治安は良く、人々は笑っている。
だが――
誰も、急いでいない。
壊れた屋台を見ても、誰も直そうとしない。
揉め事が起きても、当事者同士で解決しない。
「……あ」
リアが、小さく声を出した。
路地で、二人の商人が言い争っている。
「それ、俺の場所だ!」
「いや、昨日から空いてただろ!」
二人は、言い合うだけで動かない。
「どうするんですか?」
「……」
俺は、何も言わずに見ていた。
しばらくして。
商人の一人が、ため息をつく。
「……まあいいか」
もう一人も、肩をすくめた。
「どうせ、調整役が後で直すだろ」
俺は、その言葉を聞いて――
胸の奥が、少しだけ重くなった。
(それは、違う)
女神ミスティアが、ぽつりと言う。
「世界が……考えなくなってます」
「うん」
リアが、俺を見る。
「あなたがいる限り、
世界は“失敗しなくて済む”」
「それ、いいことじゃないのか」
「短期的には」
リアは、言葉を選びながら続けた。
「でも……失敗しない世界は、
成長もしません」
俺は、返事をしなかった。
その日の夜。
王城に戻ると、ガルドが待っていた。
「……やはり、気づいたか」
「気づかない方が問題」
「神々も、同じ懸念を抱いている」
ガルドは、重く言った。
「このままでは、
世界は“桐生透真依存”になる」
「依存されるの、嫌いなんだ」
「だろうな」
ガルドは、少しだけ目を細めた。
「……そこで提案がある」
「なに」
「君が、意図的に“何もしない”時間を作れ」
リアが、はっとする。
「それは……」
「危険だ」
ガルドは、うなずいた。
「だが必要だ」
女神ミスティアが、焦る。
「ちょ、ちょっと待ってください!
何か起きたら!」
「起きる」
ガルドは、断言した。
「だが、それを乗り越えなければ、
この世界は次に進めん」
俺は、少し考えた。
(なるほど)
「どのくらい」
「……数日」
「短いな」
「世界は、想像以上に脆い」
リアが、俺を見た。
不安と、信頼が混じった目。
「……あなたが“何もしない”と決めても、
私たちは、動きます」
「それでいい」
俺は、はっきり言った。
「俺がやらないことで、
誰かがやるなら」
その夜。
俺は、王都の灯りを見下ろしながら思った。
(最強ってのは)
(前に立つことじゃない)
(退く勇気かもしれない)
女神ミスティアが、隣で小さく言った。
「……透真さん」
「なに」
「神々、動き始めてます」
「だろうな」
「あなたが“いなくなった場合”の
シミュレーションを」
俺は、少しだけ笑った。
「じゃあ、次はそれだ」
リアが、強くうなずく。
「記録、続けます」
世界は、静かだった。
だがその静けさは、
嵐の前のものだと、全員が理解していた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




