第1話 異世界召喚、説明中
異世界に召喚された。
女神は元気で、説明は長く、
「魔王を倒して世界を救ってほしい」と言われた。
正直、よく分からない。
帰りたい。
そう思っている間に、
目の前に現れた魔王は――名乗り途中で消えた。
どうやら俺は、
存在しているだけで世界のバランスを壊すほど最強らしい。
これは、
勇者にも英雄にもなれなかった男が、
世界の問題処理係にされる話である。
――なお、給料は出ない。
目を開けた瞬間、まず思った。
(……眩しい)
光が白すぎる。蛍光灯の白じゃない。太陽の白とも違う。目の奥に直接「清らかさ」を流し込んでくる感じの白だ。健康食品のCMで見たことある。
次に思った。
(……寒い)
床が冷たい。石。いや、石というか、神殿とかにあるあの感じの石。磨かれていて、靴下越しでも冷気が伝わる。
そして最後に――
(……なんだここ)
円形の部屋。高い天井。壁にはやたら凝った紋様と、金色の線。足元には巨大な魔法陣。直径十メートルくらい。真ん中に俺が立っている。
「やっと目を覚ましましたね! 勇者さ――」
耳に入った声が、明るすぎて逆に不安になる系のテンションだった。
声の主は、祭壇の上にいた。白い衣装に、金色の装飾。背中には羽――ではなく、羽っぽい光の演出が、ふわふわ浮いている。顔立ちは整っていて、髪は淡い紫。全体的に「女神」という単語のイメージを全力で具現化したような見た目だ。
ただ、表情が……。
すごく、焦っている。
「勇者様! この世界を救うために、あなたを――」
「ちょっと待って」
俺は反射的に止めた。
「ここ、どこ」
「異世界です!」
間髪入れずに即答された。
「……ああ」
(異世界か)
そういうこともあるのかもしれない。俺は普段、特別なことはしていない。仕事帰りにコンビニ寄って、適当に惣菜買って、家で食って寝るだけの人生だ。突然死んだ覚えもないけど、まあ、知らないうちにトラックとかにやられた可能性もある。
「勇者様、あなたは選ばれし者……この世界には魔王が――」
「その前に」
俺は視線を部屋の端に向けた。
そこにいた少女が、びくっと肩を跳ねた。
銀色に近い淡金の髪。耳が少し長い。衣装は魔法使いというより役所の制服っぽい。胸元に書記官バッジみたいなものがついていて、手には分厚い帳面と羽ペン。
目が合うと、少女は慌てて背筋を伸ばした。
「は、はいっ! 王国魔導庁、書記官見習いのリア=エルフェリアです! 召喚儀式の記録を担当しております!」
すごい敬礼をされた。丁寧すぎて逆に怖い。
「……リアさん、でいい?」
「は、はいっ! リアで結構です!」
「ここって、俺の同意なしで呼んだ?」
リアの笑顔が、一瞬だけ固まった。彼女は祭壇の女神の方をチラッと見る。女神は、目をそらした。
俺は察した。
「なるほど」
(だいぶアウトだな)
「ち、違うんです! これは世界の危機で! 緊急措置で! うっかりとかではなく! ちゃんとした手順で! ええと!」
女神が早口になり、手をぶんぶん振る。自分で「うっかり」を口にしたことに気づいたのか、途中で咳払いをした。
「失礼。私は女神ミスティア。あなたを召喚したのは私です」
「うん」
「この世界は魔王によって滅亡の危機にあります。あなたは勇者として魔王を討ち――」
「勇者って何すんの」
俺が聞くと、女神ミスティアは一瞬止まった。
そこから、いかにも「説明慣れしてます」みたいな顔を作る。
「はい。まずあなたには、ステータスというものが……」
「ステータス」
「そうです。あなたの能力値が数字で表示されます。こちらの水晶に触れて――」
祭壇の横に立っていた、拳大の透明な水晶が淡く光った。
俺が近づいて手を置くと、水晶が一瞬まぶしく輝き――
次の瞬間。
「……え?」
リアの声が裏返った。
水晶の上に、半透明の板みたいな表示が浮かび上がったのだが、そこに書かれた文字が、ぐちゃぐちゃだった。
『名:■■■■■■■■』
『Lv:1』
『HP:∞∞∞∞∞∞∞』
『MP:??????』
『筋力:12京 3000兆 4500億…(以下省略)』
『敏捷:測定不能』
『知力:……』
『運:-3』
「運マイナスって何」
俺が言うと、リアが小さく「ひっ」と息を呑んだ。
女神ミスティアは、表示板を見た瞬間、顔面から血の気が引いた。
「……え」
「え」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね?」
女神は笑顔を作ろうとして失敗し、引きつった表情のまま水晶を叩いた。表示は消えない。
「バグです。これは、バグ。ええ、バグです」
「バグって言った」
「言ってません!」
リアが恐る恐る手を挙げる。
「あ、あの……女神様。ステータス水晶の不具合は、先月も――」
「リアちゃん今は黙って!」
女神の返しが早い。リアがしゅんとして帳面に「女神様、焦っている」と書き込んだ。
俺は表示板の『運:-3』をもう一度見た。
(運がマイナスって……)
「まあ、細かいことはいいです!」
女神が勢いで話を進めた。勢いで進めていい話ではない気がする。
「勇者様、あなたには特別なスキルが与えられています。スキル一覧を開きますね!」
女神がぱちん、と指を鳴らす。
表示板が切り替わり――
『スキル:』
『・存在しているだけで敵が降伏する(パッシブ)』
『・説明を聞く前に問題が解決する(パッシブ)』
『・ラスボス専用BGMが流れると先に壊れる(パッシブ)』
「ラスボス専用BGM……?」
俺がつぶやくと、女神ミスティアはもう汗だくだった。
「え、ええと、これは比喩で……!」
リアが帳面に「比喩(?)」と書く。
「とにかく! これで魔王を倒せます! あなたなら勝てます!」
「勝てるのはいいけど」
俺は視線を女神に戻す。
「帰りたい」
リアが「えっ」と声を漏らした。女神は、笑顔を作った。
「帰れません!」
即答だった。
「……」
(だいぶアウトだな、二回目)
俺が無言になると、女神は慌てて言い訳を追加した。
「だ、だって! 召喚は片道なんです! システム上! ええと、仕様です!」
「仕様」
「仕様です!」
リアが帳面に「仕様(言い訳)」と書いた。
俺は深呼吸した。
(まあ、怒っても仕方ない)
帰る方法を探すしかない。とりあえず、状況を把握したい。
「魔王って、どんなやつ」
女神が顔を輝かせた。
「聞いてくれますか! 魔王は恐ろしい存在で! 邪悪な魔力で世界を覆い尽くし! 幾多の勇者を葬り去り! 今まさに王都へ――」
そこで、神殿全体が、ぐらりと揺れた。
「うわっ!」
リアがよろけ、帳面を抱えた。天井から砂埃が落ちる。
遠くから、低い轟音。
……そして、空気が変わった。
圧力。重さ。呼吸がしづらい。肌が粟立つ。
リアの顔色が真っ青になった。
「こ、これは……!」
女神ミスティアの表情が、凍りつく。
「まさか……早すぎる……!」
神殿の扉の向こう、廊下の奥から。
黒い霧みたいなものが、ゆっくりと流れ込んできた。霧の中に、赤い光が二つ。
目。
誰かが、来ている。
女神が震える声で言った。
「魔王……!」
リアが、震える手で羽ペンを落とした。
「ま、魔王が……王都どころか……ここに……?」
黒い霧が濃くなり、形を結ぶ。
長いマント。角。鎧。背後に禍々しい翼の影。足音が、重い。
そして――
場違いなほど、完璧な演出で。
どこからともなく、荘厳で重厚な音楽が流れ始めた。
「……BGM」
俺がぼそっと言った。
女神ミスティアが目を見開く。
「え、ちょ、そんな機能、設定して――」
魔王がゆっくりと前に出て、腕を広げた。
「我こそは――」
名乗りが始まる。
リアが息を呑む。女神が震える。空気が圧縮される。
俺は、眠気が来ていた。
(このBGM、無駄に長そうだな)
魔王が、威厳たっぷりに叫ぶ。
「――絶望の王、滅界の覇者、魔王――」
その瞬間。
俺の耳の奥で、さっき見たスキル説明が再生された気がした。
『ラスボス専用BGMが流れると先に壊れる(パッシブ)』
(……あ)
そう思ったときにはもう遅い。
魔王の背後で、何かが「パキン」と割れる音がした。
音楽が、ぶつん、と途切れた。
魔王の表情が、困惑に変わる。
「……?」
次の瞬間。
魔王の鎧の胸元に、ひびが走った。
そこから、蜘蛛の巣みたいに亀裂が広がり、全身へ。
「な――」
魔王が言い終える前に、鎧が砕けた。
砕けた鎧の内側から、魔王そのものが――光の粒子みたいに崩れていった。
リアが叫ぶ。
「え!? え!? え!?!?」
女神ミスティアが頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待って! ラスボス専用BGMが流れたら先に壊れるって、そっちが壊れるの!? 魔王が壊れるの!? え、え、そんなの聞いてない!!」
俺は、何もしていない。
ただ、そこに立っていただけ。
魔王は、最後に一言だけ残した。
「……名乗り……途中……」
そして、消えた。
静寂。
リアの羽ペンが、床に転がっている音だけが響いた。
俺は女神を見た。
「……今の、何」
女神ミスティアは、目に涙を浮かべながら言った。
「想定外です……!」
リアが帳面を拾い上げ、震える手で書いた。
「第1話:勇者召喚。魔王、名乗り途中で消滅。原因:不明(勇者がいるだけ)。女神:泣く」
そしてリアは、恐る恐る俺を見上げた。
尊敬の目じゃない。
未知の災害を見る目だった。
「……あの」
「なに」
「勇者様、というより……」
リアの喉が鳴る。
「あなた、何者なんですか……?」
俺は少し考えて、正直に答えた。
「ただの会社員」
女神ミスティアが泣きながら叫ぶ。
「会社員が魔王を消すなぁぁぁ!」
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