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無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第2章:大地と数字の改革

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岩をも砕く設計図

農業改革は、リリアという名の強力なエンジンを得て、順調に軌道に乗り始めた。

だが、彼女が作成した完璧な帳簿は、同時に村が抱える新たなボトルネックを、無慈悲なまでに明らかにしていた。

「…ケイ様。やはり、水汲み作業にかかる労働コストが、全体の3割を占めています。日照りが続けば、この数字はさらに跳ね上がるでしょう」


井戸から全ての畑へ人力で水を運ぶ。その非効率さは、村の生産性を著しく低下させていた。

俺はハンス村長と主な農夫たちを集め、新たな計画を提示した。

「川から、畑まで、直接水を引くための用水路を建設します」

「な、なんですと!?」

「安定した水の供給こそが、農業の近代化…いえ、皆さんの暮らしを楽にするための、第一歩なのです」


しかし用水路の建設は、ただ溝を掘るだけではうまくいかない。

流れの速い川の水を制御し、頑丈な水路を築き、各畑へ公平に水を分配するための水門を設置するには、高度な技術を持つ専門家…石工の協力が不可欠だった。

そして、この村にはその道のプロフェッショナルが、一人だけ存在した。



村で唯一の、昼間から薄暗い酒場。

エリアーナが、心底嫌そうな顔で、一人の男を俺に紹介した。

「ケイ様…。この男が、村一番の腕を持つドワーフの石工、バルガスです。…ですが、御覧の通り、ひどい人間嫌いの頑固者でして…」


紹介された男、バルガスは、その巨躯を小さな椅子に押し込め、安酒をあおっていた。岩のように盛り上がった肩の筋肉、編み込まれた無精髭、そして何より、猜疑心と世の中の全てを呪うかのような、険しい目つき。

彼は、俺の姿を頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように見ると、グラスに残っていた酒をぐいと飲み干し、ふんと鼻を鳴らした。


「ケッ。ひょろい貴族の若造が、今度は何の遊びを思いついたんだ? 土と石の世界は、お坊ちゃんのままごととは訳が違うぜ」


俺が「用水路建設に、あなたの力を貸してほしい」と、できるだけ丁寧に頼むと、バルガスはテーブルを拳で叩き、がなり立てた。

「断る! 俺は二度と、人間の、特に貴族の指図でノミを振るうなんざ、ごめんだね!」

「何か、理由が?」

「理由だと?」


バルガスは、忌々しげに、そしてどこか悲しげに、過去を吐き捨てるように語った。

かつて、王都で、ある貴族の命令で巨大な橋の建設を任されたこと。

しかし、その貴族が予算を横領し、手抜き工事を強要されたこと。

結果、橋は完成直後に崩落し、彼の同胞であった多くのドワーフの仲間たちが、濁流に飲まれて命を落としたこと。

そして、その責任の全てを彼一人に押し付けられたこと。


「…お前ら人間、特に貴族ってのは、そうだ。口先だけで俺たち職人を利用し、その誇りも、命さえも、平気で踏みにじる生き物なんだよ。…もう、うんざりなんだ」


彼の人間不信、特に貴族への憎悪はあまりにも深く、そして悲しいトラウマに根差していた。

言葉での説得は不可能だ。俺はそう直感した。



俺は、頑固な職人を説得する唯一の方法を知っていた。

それは、言葉を重ねることではない。

完璧な『仕事』で相手の魂を真正面から殴りつけることだ。


俺はその日から数日間、執務室に籠もり続けた。

いや、籠もっていただけではない。昼間は村の若者に手伝わせ、棒と縄で作った簡易的な測量器具を使い、川から全ての畑までの、正確な地形データを収集した。

土地の傾斜、高低差を、センチメートル単位で。

川の水量と季節ごとの流速の変化を。

そして、土地の土質とそれに最適な基礎工事の方法を。


夜は集めた全てのデータを基に、一枚の羊皮紙の上に俺の前世の知識を総動員して、一本の線を引いていく。

それはただの水路の絵図ではない。

水の力を最小限の抵抗で、最も効率的に、畑の隅々まで導くためのカーブの角度。

水門を設置する、力学的に最も安定した最適な位置。

水圧を分散させ、堤の決壊を防ぐための、計算され尽くした構造。

流体力学と土木工学の知識が凝縮された、それはもはや、芸術品と呼んでも差し支えないほどの、完璧な設計図だった。


数日後。俺は、その一枚の羊皮紙だけを手に、再びあの酒場を訪れた。

バルガスは、相変わらず同じ席で、酒を飲んでいた。


「…まだ懲りねえのか、若造」

俺は何も言わず、完成した設計図を、彼の前に、静かに広げた。


バルガスは最初、「こんな紙切れで、俺の気が変わるとでも…」と、鼻で笑っていた。

だが、その目が図面に描かれた線の意味を、彼の長年の職人としての経験と、ドワーフとしての血が持つ本能が、理解し始めた瞬間。

その岩のような顔から、すっと血の気が引いていくのが分かった。


(…なんだ、この線の引き方は…?)

(川の水が、まるで、自ら進んで畑に行きたがっているかのような、滑らかな曲線…)

(この傾斜とカーブの計算…ありえねえ。水圧を殺しながら、同時に、流速を維持している…だと…!?)

(水門の位置も、完璧だ。これなら、最小限の力で、全ての畑に、一滴の無駄もなく、公平に水を分配できる…)


彼は、設計図から顔を上げた。その険しい目が、信じられないものを見るように、大きく見開かれている。

震える声で、俺に問うた。


「…おい、若造。…いや、あんた、一体何者だ…?」

「……」

「こんな図面、人間ヒューマンに描ける代物じゃねえ…。まるで、川の神様が、自ら描いた設計図だ…」


俺はいつも通り、ただ事実を答えただけだった。

心底不思議そうに、首を傾げて。


「え、ただの流体力学の基礎ですが、何か…?」


「りゅうたい…りきがく…?」

意味不明な単語に、バルガスの顔が、一瞬、固まった。

だが、次の瞬間。

彼は、腹の底から、天を揺るがすような大声で、笑い出した。


「―――ブッハハハハハハハハッ!!」


酒場全体が、ビリビリと震えるほどの、豪快な笑い声。

「き、基礎だとよ! こいつ! 俺たちドワーフが一族の誇りをかけて、何代かかっても辿り着けねえかもしれねえ至高の領域を、こいつは、ただの『基礎』だと言いやがった!」


彼は、飲みかけの酒瓶を、壁に叩きつけて、粉々に砕いた。

そして、その巨体で、ゆっくりと立ち上がる。

その目には、もはや猜疑心の色はなかった。あるのは、本物の『仕事』に出会った職人の、純粋な喜びと興奮の光だけだった。


「降参だ! 完敗だよ、若造!」

彼は、岩のような手で、俺の肩を力強く叩いた。痛い。

「面白い! あんた、最高に面白いぜ!」


「いいだろう、乗ってやる! このバルガス様の生涯、あんたのそのワケのわからねえ『基礎』とやらが作る未来に、賭けてやる!」

そして、彼はニヤリと、子供のような笑顔でこう言った。


「――ついていかせてもらうぜ、ケイの旦那!」


その瞬間、俺のチームに、最強の現場監督(棟梁)が加わった。

俺たちの村の改革は、今、ソフトとハードの両面から、本格的に加速していくことになったのである。

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