表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第2章:大地と数字の改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/43

数字という名の羅針盤

農業改革の方針は決まった。だが、俺の計画には、決定的に足りないピースがあった。

それは、改革の成果を正確に記録し、分析するための「人材」だ。

俺は、ハンス村長に依頼した。

「村長。この村で一番、読み書きと計算が得意な者を探してください。男女は問いません」


ハンスは、しばらく腕を組んで唸っていたが、やがて、何かを思い出したように、ぽんと手を打った。

「…一人だけ、おります。ですが、あの子は…その…少し、訳ありでしてな…」


彼が歯切れ悪く紹介したのは、村の隅にある、小さな家にひっそりと暮らす一人の少女だった。


彼女の名は、リリア。

年の頃は、十六か、十七だろうか。亜麻色の髪を質素な紐で束ね、着古したワンピースを身に着けている。その瞳には、年の割に大人びた、聡明な光が宿っていたが、家の没落という過去が影を落としているのか、自信なさげに、少しうつむきがちに俺の前に立っていた。


聞けば、彼女の家は、祖父の代までは領都でも指折りの大商人だったという。だが、何者かの陰謀に巻き込まれて没落し、この辺境の村へ流れ着いたのだそうだ。

「リリアさん、でしたね」

俺は、彼女の才能を見極めるため、いくつかの質問を投げかけた。

「この村の人口は、今およそ百人。では、一日あたりに必要な麦の量はおよそどれくらいか、分かりますか?」

「え…」

突然の質問に、リリアは少し驚いた表情を見せたが、すぐに指を折りながら計算を始めた。

「…一人当たりの一日の消費量を、乾燥麦で二合と仮定すると…全体で、およそ二十貫(約75kg)ほどかと…」

「では、この村で一番大きなあの畑から、去年の収穫量だと、何日分の食料になりますか?」

「あの畑の面積と、去年の日照りによる収穫減を考慮すると…おそらく、三日分にも満たないかと存じます…」


即座に、そして驚くほど正確に返ってきた答え。

他の村人なら、誰一人として答えられなかったであろう質問に、彼女は淀みなく答えてみせた。その才能の片鱗に、俺は確信した。

この子だ。この子しかいない。


「リリアさん。あなたに、お願いしたい仕事があります」

俺は、彼女を代官の執務室に招き入れた。そして、一枚の綺麗な羊皮紙を、彼女の前に広げてみせる。

俺は、その中央に、羽根ペンで一本の線を引いた。


「リリアさん。これからあなたに、この世界の全てを、正しく記録する方法を教えます」

「…世界の、全て…?」

「ええ」と、俺は頷く。

俺は、線の左側に「資産(得たもの)」、右側に「負債・費用(失ったもの、使ったもの)」と書き記した。


「どんな出来事にも、必ず二つの側面があります。例えば、畑に種を蒔けば、『種』という資産は失いますが、同時に『未来の収穫』という、新たな資産を得るための『投資』になります。この帳簿は、その両面を、同時に記録するためのものなのです」


複式簿記。

前世では、商業の基本中の基本とされる記録方法だ。

リリアは最初、そのあまりに奇妙な概念が理解できず、ただ戸惑いの表情を浮かべていた。彼女が知っているのは、ただ収入と支出を、時系列に沿って羅列するだけの「お小遣い帳」のような記録方法だけだったからだ。


俺は、具体的な例を挙げて説明した。

「では、今日の畑作業を、この方法で記録してみましょう」


俺は、羊皮紙にこう書き記した。


(費用)種籾 10袋を使用 | (資産)畑に蒔かれた種 10袋分の価値

(費用)5人の労働力を投入 | (資産)耕された畑 5区画分の価値


その記録を見た瞬間、リリアの聡明な瞳が、大きく、大きく見開かれた。

彼女は、まるで雷に打たれたかのようにその場に立ち尽くす。

そして、震える声で呟いた。


「…すごい…」

「え?」

「すごいです、ケイ様…! これなら…ただ何を使ったか、だけでなく、その結果、何の価値が、どこへ移動したのか、その流れが、一目でわかります…!」


彼女は、気づいたのだ。

これが単なる記録術ではないことに。

これは世界の富の流れそのものを、神の視点から「見える化」するための、強力無比な分析ツール(羅針盤)であることに。


彼女の脳裏に、優しかった祖父の言葉が、鮮やかに蘇る。

『いいかいリリア、商売で一番大事なのは『勘定』だ。数字は、決して嘘をつかない。数字の流れを制する者が、富の流れを制するんだよ』

祖父が追い求めていた、理想の商売の形。

それが今、目の前のこの一枚の羊皮紙の上で、完璧な形で実現されている。

彼女は、戦慄した。


「これがあれば…これさえあれば、祖父を陥れた、あの商人たちの、不正な金の流れだって、きっと暴くことができる…!」


彼女の瞳に宿っていた、諦めの影が、すっと消える。

代わりに灯ったのは、力強い、燃えるような意志の光だった。

うつむきがちだった彼女は、初めて、その顔をまっすぐに上げて、俺を見つめた。


「ケイ様! どうか、私にこのお仕事をさせてください! この『魔法』を、私に、お教えください!」


その瞬間、彼女はケイ・ヴァイフ・ジノミヤにとって、最初の、そして最も有能な「知識の理解者」であり、かけがえのない「ビジネスパートナー」となった。

俺もまた、彼女の情熱と才能に、心からの信頼を寄せずにはいられなかった。


その日から、リリアは、まるで水を得た魚のように働き始めた。

彼女は、村の全ての畑に番号を振り、どの畑で、誰が、いつ、どんな作業をしたか。どれだけの種を蒔き、どれだけの肥料(家畜の糞など)を使ったか。その全てを、俺が教えた帳簿に、正確に、そして美しく記録していく。


彼女の「数字」の力は、すぐに村に変化をもたらした。

ある農夫が「どうも、俺の畑は日当たりが悪いせいで、収穫が少ないようだ」と不平を漏らせば、リリアは帳簿をすっと差し出す。

「いいえ。記録によれば、あなたの畑は、他の畑に比べて、水やりの回数が2割少ないのが原因です。日照時間は、むしろ平均以上ですよ」

データという、誰もが否定できない事実を突きつけられ、農夫はぐうの音も出せずに引き下がるしかなかった。

ある作業に、思った以上の労働力がかかっていることが判明し、工程が見直され、村全体の労働効率が向上した。

村人たちは、自分たちの働きが、全て「数字」として公正に記録され、評価されることを知る。それは、時に厳しく、しかし、ごまかしのきかない公平なシステムだった。結果として、村人たちの労働意欲は、目に見えて向上していった。


エリアーナは、そんなリリアの姿を、少し複雑な思いで見つめていた。

ケイ様の言葉を、ただ心で信じ、その奇跡に驚くことしかできない自分。

それに比べて、リリアは、ケイ様の知識を頭で理解し、それを自らの武器として、現実に変化をもたらしている。

自分にはない才能を持つリリアに対し、エリアーナは、かすかな嫉妬と、そして焦りのような感情を、覚え始めていた。


執務室で、リリアが整理した完璧な報告書に目を通しながら、俺は満足げに頷いていた。

(素晴らしい。これなら、正確な効果測定ができる。PDCAサイクルが、ようやく回り始めるぞ)

俺の視線は、帳簿に記された、未来の計画の項目に留まる。

『用水路建設費(予定)』

(さて、と。記録管理の次は、インフラ整備だ)

俺は、ペンを置き、窓の外を見つめた。

(そのためには、この村で一番の、あの頑固な専門家プロフェッショナルを、口説き落とす必要があるんだが…)


俺の新たな、そして少しばかり厄介な交渉が、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ