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無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第10章:常識という名の最終兵器

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苦渋の決断

司令室の空気は、張り詰めた弓弦のようだった。

俺たちが暴き出した陰謀の全体像は、あまりにも巨大で、そして邪悪だった。

最後の戦いに向けた作戦の骨子も固まった。

仲間たちは、仮眠のためにそれぞれの部屋へと下がっていった。

だが、俺だけは、その場を動くことができなかった。


嵐が、激しく窓ガラスを叩いている。

俺は一人、壁に貼られた巨大な地図を、ただじっと見つめていた。

無数に引かれた赤い線。その中心には、二人の男の名前がある。

ロデリック辺境伯。

そして、カイル・ヴァイフ・ジノミヤ――俺の実の兄。


これまで、どんな絶望的な状況でも、俺の心は冷静だった。

だが、今、俺の胸の中は、これまで感じたことのない、激しい嵐が吹き荒れていた。


(兄さんは、昔から、俺のことを見下していた…)

(俺が何をしても、それを認めようとはせず、ただ侮辱し、貶めてきた…)

(…だが、それでも)

(血を分けた、たった一人の、兄なんだ…)


俺の脳裏に、遠い昔の記憶が蘇る。

まだ、母さんが生きていた頃。庭の木から落ちて泣いている俺を、ぶっきらぼうな、しかし心配そうな顔で、背負って家まで運んでくれた、幼い兄の小さな背中。

いつから俺たちは、こんなにも遠くへ来てしまったのだろう。


彼を告発すれば、待っているのは国家反逆罪。間違いなく、処刑されるだろう。

そうなれば、父上は? ジノミヤ家は、どうなる?

逆賊の家として、未来永劫、その汚名を着て、歴史に刻まれることになる。


亡くなる直前、母さんは、俺の手を握って、こう言った。

『ケイ…。どんなことがあっても、兄弟、仲良くね…。それが、母さんの、最後の願い…』


俺は、母さんとの、最後の約束まで、破ることになるのか。

俺が追い求めていたはずの「平穏」が、今、最も残酷な形で、俺に選択を迫っていた。

家族を、自らの手で破滅させて手に入れる未来に、本当の平穏など、訪れるのだろうか。


「――ケイ様」

静かな声に、俺ははっと我に返った。

いつの間にか、エリアーナが、熱いお茶を淹れて、俺の隣に立っていた。

彼女は、俺の表情から、その心の葛藤の全てを、察しているようだった。


「…お一人で、あまりにも重い荷を、背負わせてしまい、申し訳ありません」

「……」

「騎士である私は、主君の剣となり、ただそのご命令に従うのみ。ですが、もし一言だけ、私の我儘を申し上げて良いのであれば…」

彼女は、その真っ直ぐな青い瞳で、俺の目を、射抜くように見つめた。


「あなたの『正義』は、もはや一つの家を守るためのものではありません。この国に生きる、名もなき全ての人々を守るためのものです。その、あまりにも重い責務の前では、個人の情は、時に非情に断ち切らねばならない…! それが、人の上に立つ者の、宿命なのだと、私は信じます!」


騎士としての、彼女の揺るぎない、非情な、しかしどこまでも誠実な言葉。

その言葉は、俺の心を、激しく揺さぶった。


そこへリリアが、新たな資料を手に、部屋に入ってきた。

彼女は敢えて、いつもの、冷徹なまでに事務的な態度を崩さない。

「感傷に浸っている時間は、ありませんよ、最高顧問。時間は、有限資産です」

「……」

「計算上、この陰謀をこのまま放置した場合、帝国との本格的な戦争による、我が国の経済的損失は、国家予算の実に五十年分に相当します。失われる人命は、数万を下らないでしょう」

彼女は、俺の前に、その冷徹な試算が記された羊皮紙を置いた。

「一人の家族を救うために、数万の家族の未来を、犠牲にする。…それは、あなたが、この国に築こうとしている、公正で合理的な『システム』の、あるべき姿なのですか?」


最後に、部屋に入ってきたのは、ダリウスだった。

彼は、かつての宿敵に、厳しい、しかし、どこまでも真摯な言葉を、投げかけた。


「――甘ったれるな、代官殿」

「国を裏切る者に、貴族も平民も、そして血縁などという些細な繋がりも、一切関係ない。法の下では、罪はただの罪だ」

「もしお前が、その私情に流されるというのであれば、俺が、お前を弾劾し、この俺の手で、この陰謀を、国王陛下に告発するまでだ。…たとえ、それでお前の、生涯の恨みを買うことになったとしてもな」


エリアーナの、騎士としての忠義。

リリアの、未来を見据えた、冷徹な論理。

そして、ダリウスの、国に仕える官僚としての、揺るぎない覚悟。


俺は、気づいた。

彼らは、俺を孤立させないために、それぞれのやり方で、汚れ役を、悪役を、買って出てくれているのだ。

俺一人に、その非情な決断の、全ての責任を、負わせないために。

その決断を、チーム全員で「共有」しようと、してくれているのだ。


俺の脳裏に、先日会った、父の姿が浮かぶ。

不器用ながらも、俺を気遣い始めた、父。

『ジノミヤ家の名に、泥を塗るな』

そう言った、父。

(父上が、本当に守りたかったのは、家の『名誉』という、空っぽの器じゃない)

(国に仕える、貴族としての、揺るぎない『誇り』だったはずだ)

(ならば、俺が今、本当にすべきことは、兄の罪に、見て見ぬふりをして蓋をすることじゃない…!)

(この家に溜まった、全ての『膿』を、この俺自身の手で、完全に断ち切ることだ。それこそが、国を救い、ひいては父上と、このジノミヤ家の誇りを、本当の意味で守ることになる!)


俺は、顔を上げた。

その目から、迷いは、完全に消え失せていた。

俺は、俺を支えてくれる、かけがえのない仲間たちに向き直り、深く、そして静かに、頭を下げた。


「…皆さん、ありがとうございます。目が、覚めました」


俺は、壁の地図の前へと、歩を進める。

そして、兄カイルと、ジノミヤ家の紋章が記された駒を、自らの手で、地図の上から、静かに、取り除いた。


「――作戦を開始します」

その声は、もはや、一切の感情を排した、冷徹な司令官のものだった。

「目標は、国家反逆者、ロデリック辺境伯」

「――そして、カイル・ヴァイフ・ジノミヤ」


俺が、非情な決断を下した、その瞬間。

まるで、俺の心の嵐に呼応していたかのように、窓を激しく叩きつけていた嵐が、すっと、その勢いを弱めた。

厚い雲の切れ間から、静かな月明かりが差し込み、司令室の地図を、白く照らし出した。

それは、これから始まる、最後の戦いの。

そして俺が選んだ、どこまでも厳しく、そして孤独な道のりの、幕開けを告げる、静かな光だった。

仲間たちが、その俺の覚悟を、ただ無言で見届けていた。

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