家族という名の戦線
北方街道の建設プロジェクトが、暗礁に乗り上げていた。
原因は、頻発する原因不明の「事故」だった。
「報告! 第七工区にて、夜間に積み上げた橋の資材が、川に崩れ落ちました!」
「第十二工区より緊急連絡! 何者かに重要な測量用の杭が引き抜かれ、本日一日の作業が、全て無駄になったとのことです!」
「第四工区では、労働者たちの食料に使う井戸水に、家畜の糞尿が投げ込まれ、数十人が食中毒で…!」
司令室に、次々と舞い込んでくる、絶望的な報告。
しかも、それらの事故は、いずれもプロジェクトの進行に、最も致命的な打撃を与える工程ばかりを、狙いすましたかのように襲っていた。
「…これは、事故などではない」
現場の警備責任者であるエリアーナが、悔しげに拳を握りしめた。彼女は自ら現場を調査し、崩れた資材のロープに、不自然な、鋭利な刃物による切れ込みがあることを発見していた。
「何者かによる、意図的かつ、組織的な妨害工作です…!」
「そして、その発生地点は全て」と、ダリウスが地図上の赤い印を指し示す。「ケイ殿に反感を持つ、ロデリック辺境伯の領地、もしくは、彼に大きな借りがある貴族の領地に、不気味なほど集中している」
リリアが、冷たい声で続けた。
「この妨害工作は、我々の計画の全体像を、完全に理解している者の犯行です。…帝国と内通する、裏切り者が、この国の中枢にいるとしか考えられません」
重い沈黙が、司令室を支配する。
その沈黙を破ったのは、エリアーナの、絞り出すような、そして苦渋に満ちた声だった。
「…ケイ様。申し上げにくいのですが…」
彼女は、意を決したように、顔を上げた。
「私の騎士団の部下が、数日前に、王都で目撃しております」
「…ケイ様の兄、カイル様が、ロデリック辺境伯の屋敷に、夜陰に紛れて入っていくのを…」
その報告は、司令室にいる全員に、凍り付くような衝撃を与えた。
敵が、最も身近な、そして最もあり得てはならない場所に、潜んでいた可能性。
その可能性が、濃密な現実味を帯びて、俺たちに襲いかかってきた。
◇
その頃。ロデリック辺境伯の屋敷では、二人の男が、ほくそ笑みながら密談を交わしていた。
兄、カイルと、ロデリック辺境伯だ。
カイルの心は、もはや正常ではなかった。
(なぜだ…! なぜ、あの剣も魔法も使えぬ“無能”が、国を動かし、エリートであるはずの私が、日陰者として燻らねばならんのだ!)
(奴が使う『理』などという、得体の知れない力は、この国の伝統と秩序を乱す、邪悪なまやかしに過ぎない!)
(私が、この国を、正しい道へと戻すのだ。そのためには、まずあの忌々しい弟を、そのまやかしの計画ごと、この世から消し去らねばならん…!)
彼の歪んだ正義感と、底なしの嫉妬は、ついに国家反逆という、後戻りのできない大罪へと、彼を駆り立てていた。
ロデリック辺境伯が、カイルの報告に、満足げに頷く。
「うむ、順調なようだな。補給路さえ完成しなければ、帝国軍の侵攻は、より容易になる。…戦の混乱に乗じて、お前の愚かな弟を、『事故死』として処理する手筈も、すでに整えておるぞ」
彼らの邪悪な笑い声が、薄暗い部屋に、低く響き渡った。
◇
そんな中、俺は父であるジノミヤ子爵に、屋敷へと呼び出されていた。
国家の存亡をかけたプロジェクトを指揮する俺の姿は、あの頑固な父の心境にも、わずかな変化をもたらしていたらしい。
彼は、不器用な手つきで、俺に茶を勧めると、ぽつりと、こう言った。
「…国境の情勢は、厳しいようだな」
「……はい」
「…その、なんだ。…体に、気をつけているか」
それは、俺が生まれて初めて、父からかけられた、息子を気遣う言葉だった。
その、あまりにも不器用な優しさに、俺の心は、激しく揺さぶられた。
今ここで、兄の裏切りを、父に告げるべきなのか。
そうすれば、父は、そしてこのジノミヤ家は、どうなってしまうのか。
俺は、父の気遣いに、静かに礼を言うと、屋敷を後にした。
俺の心は、すでに決まっていた。
(父上が、変わり始めた、今だからこそ)
(俺が、この家に溜まった、全ての『膿』を、俺自身の手で、断ち切らなければならない)
(それが、この国を救い、ひいては父上と、このジノミヤ家の誇りを、本当の意味で守ることになるのだから…!)
司令室に戻った俺の表情は、これまでにないほど硬く、そして非情な決意に満ちていた。
国の存亡をかけた、「表の戦線(補給路建設)」。
そして、自らの兄を断罪し、家族の過去に、完全に決着をつける、「裏の戦線(陰謀の阻止)」。
俺は、壁の地図の上に描かれた、ロデリック辺境伯の領地と、王都にあるジノミヤ家の屋敷を、一本の、冷たく、そして揺るぎない、赤い線で結んだ。
二つの、見えざる戦線が、今、一つに繋がった。
次なる戦いは、もはや、後戻りの許されない、最終決戦となる。
その静かな、しかし圧倒的な緊張感を、司令室にいる誰もが、肌で感じていた。




