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無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第9章:見えざる戦線

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北方の暗雲

王城の評定の間は、俺がこれまで経験したことのない、鉄と血の匂いがするような、張り詰めた空気に支配されていた。

普段の華やかな謁見の間とは違う。壁には巨大な軍事地図が掲げられ、歴戦の将軍たちが、その顔に深い渓谷のような皺を刻み、腕を組んで黙り込んでいる。


そしてその中に、ただ一人。

場違いな文官の服を着た俺が、ぽつんと立っていた。

「なぜ、こんな神聖な軍議の場に、あの『お利口さん』が呼ばれているのだ…?」

「陛下も、何を考えておられるのか…」

将軍たちから向けられる、あからさまに訝しげな視線が、痛いほど突き刺さる。

いや、俺が一番そう思っている。なぜ俺がここにいるんだ。


重い沈黙を破ったのは、宰相が読み上げる、北方国境の司令官からの魔導通信による報告だった。

その声は、震えていた。

「――グライゼン帝国軍、国境線に集結中。その数、およそ三万。最新鋭の攻城兵器、そして帝国が誇る重装騎馬隊も確認。…繰り返す。これは、もはや演習の規模にあらず。侵攻の意図、明白なり!」


評定の間に、どよめきが走る。

宰相は、壁に貼られた帝国の地図を、指揮棒で叩くように指し示した。

「グライゼン帝国は、ご存知の通り寒冷で痩せた土地が多く、常に飢饉の瀬戸際にある。故にその国民性は、極めて尚武。我が国の、この豊かな穀倉地帯を、喉から手が出るほど欲している」

「そして、彼らが誇る『黒鋼騎士団』は、大陸最強と謳われる精鋭部隊。正面から戦えば、我が国の倍の兵力をもってしても、勝利は覚束ないとさえ言われておりますな」


だが、その絶望的な報告に、猛将として知られる将軍の一人が、拳でテーブルを叩きつけた。

「何を恐れることがあるか! 帝国が攻めてくるというのなら、その鼻っ柱を、こちらからへし折ってくれるまでよ!」

「そうだ! 我らがジルバーナ王国騎士の誇りを、あの蛮族どもに見せつけてくれるわ!」

血気盛んな将軍たちが、口々に開戦を主張し、評定の間は、一気に主戦論の熱気に包まれた。


その熱気に、冷水を浴びせたのもまた、老獪な宰相だった。

彼は、ふう、と一つため息をつくと、呆れたような、そして試すような目で、将軍たちを見回した。

「ほう、実に勇ましいことだ。では、この老いぼれから、勇猛果敢な将軍閣下方に、一つだけ質問させてもらおうかの」

「…戦うのは、良い」

「だがどうやって、王都から遥か北の国境要塞まで、数万の兵士が数ヶ月間戦い続けるための膨大な食料と武具を、一日も滞りなく届けるおつもりかな?」


宰相のその静かな問い。

それはこの国の、最も触れてはならない、致命的な弱点を、白日の下に晒すものだった。


宰相は、王国の地図を指し示す。王都から国境要塞まで続く道は、か細い一本の線でしかない。

「この道は、先日の『大いなる嘆き』…あの豪雨で、半分は泥沼と化している」

「道中にある橋は、老朽化が進んでおり、大規模な補給部隊の重量には、とても耐えられまい」

「そもそも」と、宰相は言った。

「数万の兵を動かすのに、どれだけのパンと矢と、そしてそれを運ぶための荷馬車が必要か。正確に計算したことのある者は、この中に、一人でもおるのかな?」


あれほど勇ましかった将軍たちが、顔を見合わせ、誰一人として、答えることができない。

彼らは、戦場で兵を率いることの専門家ではあっても、その兵士たちの胃袋を満たす、「兵站ロジスティクス」という、地味で、しかし最も重要な学問の専門家ではなかったのだ。

王国の最大の弱点が、華々しい騎士団ではなく、それを支える、あまりにも脆弱な一本の道であることを。

その場にいた誰もが、痛感させられていた。


議論が行き詰まり、評定の間に、敗北を予感させるような、重い沈黙が流れる。

全員が、なすすべなく俯く中。

玉座に座す国王アルトリウス三世だけが、静かに、そしてまっすぐに、俺のことを見つめていた。


「――ケイ・ヴァイフ・ジノミヤ」


名を呼ばれ、俺は、はっと顔を上げた。

将軍たちの期待と侮蔑と、そしてわずかな好奇が入り混じった視線が、一斉に俺一人へと突き刺さる。


「そなたは、氾濫する川の流れを読み、人の流れを整え、カネの流れさえも、新たに作り出したと聞く」

国王の声は、静かだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。

「ならば、問おう」

「この死にかかっている『モノの流れ』…。すなわち、我が国の生命線そのものである、この補給路を。そなたの、あの不可思議な『理』で繋ぎ、そして維持することは、可能か?」


それは、勅命だった。

事実上の、「三ヶ月以内に、王都から国境までの、あの崩壊寸前の劣悪な街道を、数万の軍隊が、問題なく通行可能な軍事補給路として、完全に整備せよ」という。

土木工学の専門家が聞いても、匙を投げるであろう、あまりにも巨大で、そして絶望的な、無茶ぶりだった。


(…冗談だろ)

俺の喉が、ひゅっと鳴った。

(土木課の仕事と、軍の兵站は、全くの別物だぞ…!? スケールが、あまりにも違いすぎる!)

(無理だ、絶対に無理だ、こんなの!)

俺の心の全てが、全力で「NO」と叫んでいた。


だが俺は、断れなかった。

国王の、この国を本気で憂う、真剣な眼差し。

将軍たちの、最後の希望を託すような視線。

そして何より、この国が、今まさに滅びるかどうかの、その瀬戸際に立たされているという、紛れもない事実。


俺は一度、固く固く目を閉じた。

そして、覚悟を決めて、顔を上げる。

俺の表情は、いつもの、何も考えていないようで、その実全てを計算している、あのポーカーフェイスに戻っていた。


「――御意」


俺は、静かに、しかしはっきりと答えた。

「ただし、条件が、いくつかございます」

評定の間に、緊張が走る。

「この事業の遂行にあたり、予算、人員、そして関連する全ての部署に対する指揮権…。その全権を、この私に、完全に委任していただくことを、お約束いただけますでしょうか」


絶望的な任務を前に、臆することなく、逆に、この国で最大級の権限を要求してみせた、俺のその胆力。

国王は、満足げに、そして面白そうに、その口元に笑みを浮かべた。

将軍たちは、ただただ、驚愕の表情で、俺を見つめている。


内政改革の専門家だったはずの俺が、今この瞬間。

国家の防衛という、最も重要で、そして最も困難なプロジェクトの、総責任者へと、変貌を遂げた。


俺の、新たな、そしておそらくは、最も過酷な戦いが。

静かに、そして確かに、その幕を開けたのだった。

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