王都の洗礼
王都は、俺がこれまで見てきたどんな都市とも、全く違う場所だった。
どこまでも続く白亜の壁、天を突くような尖塔、そして大理石が敷き詰められたメインストリート。行き交う人々の数も、その活気も、領都とは比較にならない。
「すごい…! これが、王都…!」
「なんて豊かな…。物流の規模が、領都とはまるで違いますわ…」
馬車の窓から、エリアーナとリリアが、感嘆の声を漏らしている。
だが、俺の目はその圧倒的な「光」の裏に潜む、深い「影」を見抜いていた。
美しい貴族街を一歩外れると、そこには道も舗装されておらず、ゴミが散乱し、悪臭が漂う不衛生な平民街が広がっている。
貴族街の公園では、装飾のためだけの噴水が、貴重な真水を、惜しげもなく垂れ流している。その一方で、平民街の共同井戸の前には、わずかな水を求めて人々が絶望的なほど長い列を作っていた。
(…リソースの配分が、根本的におかしい。見た目の美しさばかりを優先して、そこに住む人間の生活基盤を、完全に無視している。腐ってるな、この街は)
俺たちの馬車が、王城へ向かうメインストリートを進むと、すれ違う豪華な馬車に乗った貴族たちから、あからさまな好奇と、そしてそれ以上の侮蔑の視線が、突き刺さってきた。
「まあ、あちらが噂の『辺境の賢者』様? ずいぶんとお若い、田舎くさい方ですこと」
「オルバン伯に取り入っただけの、ただの成り上がりでしょう。魔法の才も、全く無いと聞きますわよ」
「父君のジノミヤ子爵も、出来損ないの息子が陛下に召されて、さぞや頭が痛いことでしょうに。おほほほ」
「くっ…!」
主君を侮辱され、エリアーナが悔しさに拳を握りしめる。リリアもまた、かつて自分たち一家を奈落の底に突き落とした貴族たちと同じ、傲慢で冷たい空気を肌で感じ、その表情を硬くしていた。
だが、当の俺は、全く気にしていなかった。
(ああ、いるいる、こういう人たち。前世の市役所にも、口ばっかり達者で自分では何もせず、人の揚げ足取りだけは一流の議員さんとか、たくさんいたなあ…)
俺にとって、この世界の貴族など、前世でさんざん相手にしてきた「厄介で面倒くさい有力者」程度の認識でしかなかった。精神的なダメージは、ゼロだ。
◇
そして俺たちは、ついに王城の謁見の間へと通された。
玉座に座していた国王アルトリウス三世は、想像していたよりもずっと理知的で、そして全てを見透かすかのような、鋭い目をした人物だった。彼は俺の実績を労うが、その目は「さて、お前は私の期待に応えられるだけの器か?」と、冷徹に値踏みしているのが分かった。
「辺境の賢者よ」と、国王は静かに口を開いた。
「そなたの『理』は、辺境の村や一つの領都では、確かに通用したやもしれぬ。だが、この王都は違う。幾多の家門の利権と、数百年にわたる伝統と慣習が、複雑に絡み合う魔窟だ。それでもなお、そなたの『理』は、この停滞した国を立て直す一筋の光となりうるか?」
その、試すような問い。
それに答えるより先に、俺の背後から、聞きたくもない声が響いた。
「―――陛下! 騙されてはいけません!」
振り返ると、そこには、王都の魔導師団に所属し、エリート然とした次兄、カイルが立っていた。その顔には、俺への嫉妬と憎悪が、醜く貼り付いている。
「こいつは、我がジノミヤ家の恥! 剣も魔法も使えぬ、ただの“無能”です!」
カイルは、国王や周りに居並ぶ大貴族たちの前で、臆面もなく弟を罵倒し始めた。
「辺境での成功など、ただのまぐれか、あるいは我々には理解できぬ、何か卑しい小細工に決まっております! このような男を陛下の側近に置くなど、王家の威信を、地に落とすことになりますぞ!」
さらに、俺の父であるジノミヤ子爵までが、苦虫を噛み潰したような顔で、国王にこう言上した。
「…陛下の御心のままに。ただ、我がジノミヤ家の名に、これ以上の泥を塗ることだけは、お許しなきよう…」
庇うどころか、突き放す言葉。
家族が、最大のそして最悪の敵として、俺の前に立ちはだかった瞬間だった。
だが、国王アルトリウス三世は、カイルのヒステリックな言動と、俺のただ静かにそれを見つめる態度を、冷静に見比べた後、カイルを手で制した。
「その者の価値が、本物かあるいは偽物か。それを見極めるために、余はそなたをここに呼んだのだ、ケイ・ヴァイフ・ジノミヤよ」
そして国王は、俺に最初の、そして最も困難な任務を与えた。
「ならば、まずはお前の手腕、その目で、そしてその結果で見せてもらおう」
「王都は長年、夏になると流行る原因不明の熱病に悩まされている。貴族も平民も、等しくこの病に苦しんでいる。…この王都の衛生環境を改善し、その病の根を完全に断ってみせよ」
それは、俺がテュロス村で最初にやったことと、本質は全く同じ仕事だった。
だが、対象となる規模、絡み合う利権の複雑さ、そして俺に敵意を向ける抵抗勢力の大きさは、もはや比較にさえならない。
兄や他の貴族たちから、嘲笑と「できるはずがない」という、侮蔑の視線が突き刺さる。
その巨大で、そして悪意に満ちた課題を前に。
俺は動じることなく、ただ静かにその場に膝をつき、頭を下げた。
「――御意」
俺の頭の中では、すでにこの魔窟と化した王都の地図と。
前世で、俺が血反吐を吐きながら担当させられた、「大都市の上下水道インフラ整備計画」の、膨大な青写真が。
不気味なほど、完璧に、重なり始めていた。
魔窟での、俺の最初の戦いが。
静かに、そして確かに、その幕を開けた。




