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無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第1章:追放と絶望の村

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原因分析と最初の「常識」

テュロス村の代官の館は、主の不在を物語るかのように、埃っぽく荒れ果てていた。

エリアーナが「まずは旅装を解き、お休みになられては…」と気遣うように言ったが、俺はそれを手で制した。


「緊急事態です。悠長なことは言っていられません」


その言葉は、まるで災害対策本部に乗り込んできた専門家のようだったと、後になってエリアーナは語った。

俺は館に入るなり、机の上の埃を手で払い、羊皮紙とインクを要求する。そして、驚くエリアーナを尻目に、俺は記憶だけを頼りに、テュロス村の簡易的な地図を描き始めた。

道、家々の配置、そして最も重要な――村で唯一の水源である「井戸」の位置を。

貴族の三男坊が、なぜ測量もせずにこれほど正確な地図を描けるのか。エリアーナの表情に浮かんだ疑問に、俺は答える義理もなかった。前世で、担当地域の地図など、嫌というほど頭に叩き込んできたのだから。


「少し、村を調査してきます。あなたはここで待機していてください」


俺は完成したばかりの地図を手に、一人で館を出た。

俺の視点は、もはやスローライフを夢見る暢気な若者のものではない。完全に「土木課・衛生担当職員の現地調査」のそれに切り替わっていた。


村を歩き回り、土地の微妙な高低差を、足の裏で感じるように確認していく。

(…なるほど。村全体が、西の川に向かって緩やかに傾斜しているのか)

雨上がりのぬかるみや、地面に残った水の流れた跡を注意深く観察する。全ての水が、まるで目に見えない水路を通るかのように、村で最も低い場所にある一点――あの井戸の方向へと集約されているのが分かった。

(これはひどいな。天然の集水地形に、ピンポイントで井戸を掘ってしまっている)


次に、汚染源の特定だ。

村人たちがゴミや汚物をどこに捨てているか。観察は、すぐに結果をもたらした。答えは、「どこにでも」だ。

家の裏手、道端、畑の脇。あらゆる場所に無造作に捨てられた生活ゴミや家畜の糞尿が、雨水によって洗い流され、先ほど確認した地形の傾斜に従って、ゆっくりと、しかし確実に、村人たちの命の水源である井戸へと向かっている。


汚染源(ゴミ・汚物)→ 媒体(雨水)→ 集積地(井戸)→ 感染経路(経口感染)。

俺の頭の中で、感染症拡大のフローチャートが、カチリ、と音を立てて完成した。

これは、神の祟りなどではない。

あまりにも初歩的な、衛生知識の欠如が招いた、完全な「人災」だった。


俺は一度、村の中央の広場らしき場所で足を止めた。

村人たちに、直接話を聞いてみたかったからだ。

「すみません、少しお話を…」

だが、彼らは俺の姿を見ると、まるで汚物でも見るかのように顔をしかめ、そそくさと家の中に入ってしまう。よそ者への警戒心と、長年の絶望が、彼らの心を固く閉ざしていた。


その時だった。

一人の若い母親が、ぼろ布にくるんだ小さな亡骸を抱いて、ふらふらと俺の前に現れた。その目は虚ろで、まるでこの世の全ての色を失ってしまったかのようだった。

彼女は、俺の足元に崩れ落ちるようにひざまずくと、魂の底から絞り出すような、か細い声で問いかけた。


「代官様…。神様がいるというのなら、なぜ…なぜ、この子のような、まだ何も知らない赤子が、こんな苦しみの中で死ななければならなかったのですか…?」


その姿に、俺は息を呑んだ。

脳裏に、病の床で苦しみ、衰弱していく母の姿が、鮮明に蘇る。貴族でありながら、十分な治療も受けられずに死んでいった、この世界の母。

そして、前世の記憶。モニターの前で、誰にも看取られず、たった一人で尽きた、孤独な自分の命。


(…違う)

心の底から、熱い何かがこみ上げてくる。

(神様のせいじゃない。呪いのせいでもない)

(これは…救えるはずの命だったんだ)

(知識があれば。正しいシステムさえあれば、この子は、こんな理不尽に死なずに済んだんだ…!)


自己の生存のため、という動機が、この瞬間、全く別のものに塗り替えられた。

公務員としての使命感? いや、そんな立派なものじゃない。

もっと根源的な、人としての、どうしようもない義憤だった。


俺は、母親の肩にそっと手を置いた。

「…あなたのせいじゃない。大丈夫です。もう二度と、こんな悲劇は繰り返させませんから」


館に戻った俺の目には、もはや迷いはなかった。

夜、ロウソクの明かりの下で、俺は羊皮紙に、この村を救うための、最も根本的で、最もコストのかからない三つの解決策を書き出した。

それは、魔法でも奇跡でもない。

前世の日本では、小学生でも知っている、ごく当たり前の「常識」だった。


深夜。見張りをしていたエリアーナを、俺は執務室に呼んだ。

俺のあまりに真剣で、揺るぎない確信に満ちた目に、彼女は少し気圧されているようだった。


「エリアーナさん。明日の朝、日の出と共に、村人全員を広場に集めてください」

「…は。かしこまりました。…ですが、いったい何を…?」

俺は、彼女の問いに、静かに、しかし力強く答えた。


「住民説明会を開きます」


「じゅうみん…せつめいかい…?」

聞き慣れない言葉に、エリアーナは困惑の表情を浮かべた。

彼女には、俺が何をしようとしているのか、全く見当もつかなかっただろう。

だが、それでいい。

明日、この村は、そしてこの世界の常識は、根底から覆ることになるのだから。

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