謁見と試練
通された謁見の間は、無駄なまでに壮麗で、そして権威の匂いが満ち満ちていた。
高い天井から吊るされた巨大なシャンデリア。壁一面に飾られた、この土地の歴史を描いたであろうタペストリー。そして、俺たちの姿を映し出すほどに磨き上げられた、冷たい大理石の床。
エリアーナとリリアが、その圧倒的な雰囲気に気圧され、息を呑むのが分かった。
玉座に座していた領主オルバン伯爵は、想像していたよりもずっと若く、そして精悍な顔つきをした中年男性だった。その鷹のように鋭い目は、噂の代官が本物か、それともただのハッタリ師か、その本質を値踏みするように、俺を射抜いている。
伯爵の周りを固める家臣団――きらびやかな鎧をまとった騎士たちや、上質なローブを身につけた文官たちが、侮蔑と好奇の入り混じった視線で、俺たち田舎からの成り上がり者を見下ろしていた。
その中でもひときわ冷たく、そして敵意に満ちた視線を送ってくる男がいた。
家臣団の筆頭に立つ、年の頃は俺とさほど変わらないであろう、神経質そうな美青年。
彼の名は、ダリウス・フォン・ゲルラッハ。見るからに貴族出身のエリート官僚で、法と伝統を何よりも重んじる秀才といった感じの人物だ。
彼にしてみれば、家柄も魔力もなく、どこの馬の骨とも知れない俺が、伯爵の注目を集めていること自体が、プライドの上で許せないのだろう。その視線は、まるで「不純物め」とでも言いたげだった。
儀礼的な挨拶が、退屈なほど長く続いた後、オルバン伯爵は、ついに単刀直入に本題を切り出した。
「代官ケイよ。そなたの働き、聞き及んでおる。疫病を鎮め、痩せた土地を蘇らせたその手腕、見事というほかない。だが…」
伯爵は、そこで一旦言葉を区切ると、ゆっくりと玉座から立ち上がり、謁見の間の大きな窓の外を指さした。
その先には、先ほど俺が懸念を抱いた、あの雄大な大河が、陽光を浴びて鈍く輝いていた。
「あの川だ。我が領都が、長年にわたって抱え続けている、最大の厄災」
「数年に一度、あの川は必ず氾濫し、我が街に甚大な被害をもたらす。そなたの言う、その『理』とやらで、この未来に約束された災厄を、止めることはできるか?」
それは、俺の能力を試すための、あまりにも巨大で、そして悪意のある試練だった。
家臣団の間に、嘲笑と「できるはずがない」という空気が広がる。
伯爵の言葉が終わるや否や、待っていましたとばかりに、あのエリート官僚ダリウスが進み出た。
「伯爵閣下、お待ちください!」
彼は、慇懃無礼な態度で、しかしはっきりと俺を指さす。
「治水は、古来より、神官様による神聖な祈祷と、我が国の伝統的な魔導土木学によって行われてきた、国家の一大事! このような素性の知れぬ若者の、付け焼き刃の知識で、軽々しく扱える問題ではございません!」
彼は、俺を無知な「素人」と断じ、自らの専門性と、この国の伝統の正当性を高らかにアピールした。
家臣団の多くが、彼の言葉に深く頷いている。完全に、アウェーだった。
だが、俺は全く動じなかった。
むしろ、心の中では「最高のフリをありがとう」と、彼に感謝したいくらいだった。
俺はオルバン伯爵の許可を得ると、懐から羊皮紙とインクを取り出し、こともあろうに、磨き上げられた大理石の床の上に、それを広げた。
その常識外れの行動に、謁見の間が、どよめきに包まれる。
「――失礼ながら、これまでの対策が失敗したのは、敵を知らなかったからです」
俺は、床に膝をつき、驚異的な記憶力だけを頼りに、この領都の地形図を描き出しながら、静かに語り始めた。
道中で観察した地形、城から見えた川の湾曲、そして土地のわずかな高低差。
それは、前世で俺が、来る日も来る日も、モニターの上で睨みつけていた、「災害予測ハザードマップ」の原型だった。
「敵とは、水という自然現象が持つ、冷徹な性質。そして、この都市が抱える、構造的な弱点です」
俺は、描き上げた地図の上の一点を、インクをつけた指で、力強く指し示した。
「これまでの氾濫の記録と、この地形から判断するに、水が堤防を越えて溢れ出すのは、決まってこの川の外側の湾曲部。そして、その濁流が真っ先に到達し、壊滅的な被害をもたらすのは――こちらの、標高が低い商業区です」
俺は、インクでその一帯を、黒く塗りつぶした。
「おそらく、統計的に見て、5年に一度の周期で、ここまで水が来ます」
その瞬間、謁見の間のどよめきが、驚愕と、そして畏怖の沈黙に変わった。
俺が塗りつぶした場所は、そこにいる誰もが、実際に何度も経験してきた、悪夢の被災地そのものだったからだ。
彼らにとって、それはもはや、ただの地図ではなかった。
未来に起こる災害の光景を、寸分の狂いもなく描き出した、「予言書」に見えたことだろう。
俺は、彼らの反応を意に介さず、続けた。
「対策は、二段階です。第一に、ここに、これまでのものとは比較にならないほど頑丈な堤防を築きます。しかし、それだけでは、水の強大な力を完全に受け止めることはできません。最も重要なのは、第二の対策です」
俺は、地図上の、現在使われていない広大な湿地帯を、指で囲った。
「こちらに、水を意"意図的に"逃がすための、『遊水地』を設けます」
「い、いけにえ…ですと…?」
「ええ。洪水のピーク時に、あえて水をこちらに引き込み、川全体の水の勢いを殺ぎ、水位そのものを下げる。洪水を力で防ぐのではなく、受け流して無力化するのです。これが、最も効率的で、最も安上がりな方法かと」
洪水を防ぐのではなく、受け流す。
その彼らの常識の真逆を行く発想に、謁見の間の誰もが、完全に度肝を抜かれていた。
俺は完璧なプレゼンを終え、自信を持ってこう締めくくった。
「この計画に沿って、作成するマニュアル通りにやれば、誰でもできますよ」
オルバン伯爵が、椅子から乗り出すようにして、震える声で俺に問うた。
「ケイ…! そなた、やはり、神の啓示でも受けたというのか…!」
俺はいつもの癖で、つい本音を漏らしてしまった。
「いえ、ですから、これはただの統計学と、土木工学の基礎でありまして…。ごく、常識の範囲内のことです」
俺のその否定の言葉は、しかし、彼らにとって、想像を絶するほどの肯定として響いたらしい。
俺の規格外の能力を隠すための、あるいは、自らの知識が神々の領域に属することを示す、深遠なる謙遜だと。
オルバン伯爵は、ゆっくりと玉座から立ち上がると、厳かに、そして高らかに宣言した。
「――代官ケイ・ヴァイフ・ジノミヤ!」
「そなたに、この治水事業の、全権を委任する!」
「予算も! 人員も! 好きに使うが良い!」
ダリウスは、自らの知識と常識が、遥か彼方に及ばない、圧倒的な「理」の力を前に、顔を屈辱と蒼白に染めて、ただ立ち尽くすしかなかった。
彼の、そしてこの領都の、完敗だった。
俺は、思ってもみなかった大規模プロジェクトの総責任者に祭り上げられ、「はぁ…」と、気の抜けた返事しかできなかった。
(俺の、定時退勤スローライフが…)
俺の内心の嘆きとは裏腹に、新たな事業の開始を告げるであろう、荘厳な鐘の音が、城下に鳴り響こうとしていた。




