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無能と追放された俺の「常識」、どうやらこの世界では神の叡智らしい ~定時で帰りたいのに辺境再建から始まる国家再生計画(プロジェクト)~  作者: ヲワ・おわり
第3章:テュロスの市場と最初の牙

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市場(マーケット)の誕生

「しじょう…とは、一体…?」

ハンス村長が、戸惑いの声を代表するように尋ねた。

俺は、村の集会所に村人たちを集め、第三回となる住民説明会を開いていた。


「簡単に言えば、皆さんが作ったものを、お金に換える場所です」

俺は、木の板に炭で説明図を描きながら続ける。

「我々には、有り余るほどの麦がある。ですが、塩や鉄、薬草といった、この村では手に入らないものもたくさんある。それらを行商人との物々交換だけで賄うには、限界があります」

「そこで、我々の麦を『貨幣』という共通の道具に一度換え、その貨幣で、必要なものを買う。それが『市場』の仕組みです」


しかし、村人たちの反応は芳しくなかった。

「麦と、行商人が持ってくる塩を、直接交換するんじゃダメなのか?」

「貨幣なんぞ、誰がその価値を保証してくれるんだ?」

「俺の作った麦と、隣の家の麦とで、値段が違うなんてことになったら、揉め事の元になりまさあ」

ハンス村長も、腕を組み、難しい顔で唸っている。「賢者様、銭金が絡むと、人の心は荒むもの。ろくなことになりやせん…」


変化への不安と、未知への恐怖。無理もないことだった。

俺は、自信を持って彼らに断言した。

「大丈夫です。全ての取引が、誰の目にも公正に行われるための『仕組み(ルール)』を、私が作りますから」


その自信の根拠は、俺の隣に静かに座る、一人の少女の存在だった。



「――リリアさん。この市場の運営と管理の全てを、君に任せたい」

代官の執務室で、俺はリリアにそう告げた。彼女を、この一大プロジェクトの責任者、「市場管理官」に任命したのだ。

彼女は驚きに目を見開いたが、すぐにその瞳に、強い意志の光を宿した。


俺は、彼女に経済の基礎を教え込んだ。

「需要と供給。品質と価格。そして、最も重要なのが『信用』だ。この村で発行する『テュロス銅貨』は、いつでも一定量の麦と交換できることを、代官である俺が保証する。この『信用』こそが、貨幣の価値の源になる」


俺の言葉を、リリアはスポンジが水を吸うように吸収していく。

かつて、彼女の祖父が語った商売の理想。それが、ケイの教える論理的なシステムと結びつき、彼女の中で、具体的な形となっていく。

「…分かりました。ケイ様。つまり、市場とは、様々な『価値』を、誰もが納得する形で、公正に交換するための、巨大な舞台装置なのですね!」

「その通り。そして、その舞台の演出家は、君だ」


その日から、リリアは生まれ変わったかのように働き始めた。

俺の助言を受けながら、彼女は次々と市場の具体的なルールを策定していく。


まず、度量衡の統一。バルガスに依頼し、村の誰もが同じ基準で取引できるよう、寸分の狂いもない正確な「マス(升)」と「ハカリ(秤)」を、複数作らせた。

次に、品質管理。収穫された穀物を、その粒の大きさや乾燥具合によって「特級」「一級」「二級」とランク分けし、それぞれに基準となる価格を設定した。

そして、場所代(出店料)の徴収。市場に出店する者から、売上の数パーセントを徴収し、それを村の共有財産(インフラ整備や緊急時の備蓄費用)とするシステムを考案した。

全ての取引は、リリアが監督する「市場管理事務所」で、彼女が改良した帳簿に記録され、その透明性が確保される。


最初はその複雑さに戸惑っていた村人たちも、リリアが作り上げる、どこまでも公正で、明朗なルールを目の当たりにし、次第に期待感を抱くようになっていった。

バルガスは「旦那と嬢ちゃんの頼みとあっちゃあ、仕方ねえ」と、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、楽しそうにハカリの最終調整を行い、村の女衆は、自分たちの自慢の野菜や手作りの工芸品を並べるための、綺麗な飾りつけの台を準備している。

村全体が、来るべき「市場開設の日」に向けて、一つの大きな祝祭を準備するかのように、活気づいていた。



そして、運命の日が訪れた。

テュロス村の中央広場に、初めての定期市が開かれたのだ。

広場には、村人たちが持ち寄った、山のような麦や豆、瑞々しい野菜、そして素朴だが心のこもった木彫りの工芸品などが、所狭しと並べられている。


だが、最初は、誰もが戸惑っていた。

どうやって値段をつけ、どうやって客を呼べばいいのか。皆、お互いの顔色を窺い、静かな時間が流れた。


その静寂を破ったのは、噂を聞きつけてやってきた、一人の行商人だった。

彼は、リリアが定めた品質ランクと、その基準価格が書かれた立て札を見て、目を丸くした。


「な、なんだこの麦は! 王都で買う半値じゃねえか! しかも、見てみろこの粒の揃い方…こいつは、貴族様が食う『特級品』だぞ!」


彼は、興奮した様子で、持ってきた塩や布をあっという間に売り払い、その金で、馬車に積めるだけの麦を、文字通り山のように買い付けていった。

その光景が、呼び水となった。

初めて自分たちの作ったものが、「お金」という、目に見える価値に変わる瞬間。それを目の当たりにした村人たちの目の色が変わった。


「へい、らっしゃい! うちの麦は特級品だぜ!」

「奥さん、このカブ、今朝採れたてだよ! おまけしとくよ!」


村人たちは、そのお金で、行商人が持ってきた、自分たちの村では手に入らない塩や鉄の刃物、綺麗な色の布などを買い求めていく。

富が、循環する。

俺が夢見た、経済の最も美しい瞬間が、今、この辺境の村で、確かに生まれていた。


その全ての中心で、リリアが八面六臂の活躍を見せていた。

取引の仲介、トラブルの解決、度量衡の検査、そして帳簿への正確な記録。

うつむきがちだった、かつての没落商家の少女の面影は、そこにはない。

そこにいたのは、自らの知識と才覚で、市場という名の舞台を堂々と差配する、若く、そして美しい、一人の商人だった。


テュロス市場は、初日から、歴史的な大成功を収めた。

「辺境の奥地に、高品質な産品を、驚くほど安く、そして公正に買える、不思議な市場がある」

その噂は、行商人たちの口コミによって、一陣の風となって、近隣の村や町、そしていずれは領都へと、瞬く間に広がっていくことになる。


市場が閉まった後、リリアがその日の売上を締め、興奮を隠せない様子で報告に来た。

その帳簿に記された利益は、この村の未来を、明るく、そして力強く照らし出す、希望の光だった。

だが、俺は、活気あふれる市場の一角に、一瞬だけ見えた、鋭い目つきの男たちの姿を、見逃してはいなかった。

彼らは、これまでの行商人たちとは、明らかに雰囲気が違った。商品を品定めするのではなく、市場の警備体制や、金銭のやり取りを、値踏みするように観察していた。


光が強ければ、影もまた、濃くなる。

俺は、活気の名残が残る広場を見下ろしながら、静かに呟いた。


「…少し、目立ちすぎたかな」


俺のその懸念が、やがてこの平和な村に襲いかかる、最初の「牙」を引き寄せることになるのを。

この時の俺は、まだ予感するに留まっていた。

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