追放宣告
「――よって、そなたを西の辺境、テュロス村の代官に任ずる」
冷え冷えとした謁見の間に、父であるジノミヤ子爵の、何の感情も宿らない声が響き渡った。
それは、貴族の三男坊である俺、ケイ・ヴァイフ・ジノミヤの成人を祝う儀式の場で下された、事実上の追放宣告だった。
壁にずらりと並んだ歴代当主たちの肖像画が、まるで「一族の面汚しめ」とでも言いたげに、俺を無言で見下ろしている。
まあ、その通りなのだから仕方ない。
この世界で貴族の価値を決めるのは、二つだけ。
一つは、戦場で敵を薙ぎ払う剣の才能。
もう一つは、万象を操る魔法の才能。
そして俺には、そのどちらもが、綺麗さっぱり欠落していた。
父の隣に立つ次兄カイルが、これ見よがしにため息をつく。銀糸で刺繍された豪奢な魔導師の礼装が、やけに目に付いた。
「父上、賢明なるご判断です。剣も魔法も使えぬ“無能”には、忘れられた土地がお似合いでしょう。せいぜい、泥にまみれて生きることですな」
兄の侮蔑に満ちた言葉に、壁際に控える家臣たちから、くすくすと隠す気もない失笑が漏れる。
ああ、そうだ。俺はずっとこうだった。
幼い頃、森で魔獣に襲われた時もそう。兄たちは剣と魔法で果敢に戦ったというのに、俺はただ腰を抜かして震えているだけだった。あの日以来、俺は父から「役立たず」と、兄からは「出来損ない」と、そう呼ばれ続けてきた。
だから、俺は表情一つ変えず、ただ粛々と頭を垂れる。
「――御意」
その無気力な態度は、周囲の目には、反論する気力すら失った哀れな三男坊、と映ったことだろう。
だがしかし。
彼らは知る由もなかった。
俺の心の中が、人生最大級のガッツポーズと、歓喜の嵐で吹き荒れていることなど――!
(やった! やった! やったあああああっ!!)
きたきたきた! ついに来た! この息が詰まるだけのクソみたいな家からの、解放の時が!
面倒な跡目争いも、見栄と嫉妬が渦巻く貴族の夜会も、兄からのネチネチした嫌味も、全部まとめてさようならだ!
辺境の村? 最高じゃないか!
出世競争もなければ、厄介な人間関係もない。そんな場所で、前世の知識を活かして、安定したスローライフを送るんだ。
目指せ、安定・平穏・定時退勤! 贅沢は言わない。たまの休日に、のんびり釣りでもしながら生涯を終えたい。
そうだ。もう、あんな死に方だけはごめんだ。
ふと、脳裏に前世の記憶がよみがえる。
日本のとある市役所に勤める、ごく平凡な地方公務員、藤宮 圭。それが俺の前世だ。連日の残業と過労の果てに、俺はあっけなく命を落とした。誰に看取られることもなく、一人きりで。
そして、病で亡くなったこの世界の母さんの、優しい笑顔が重なる。
『ケイ。あなたが健やかに、穏やかに生きてくれるのが、母の一番の願いよ』
そうだよ、母さん。俺、今度こそ穏やかに生きてみせるよ。
「――護衛を一人つける。エリアーナ!」
父の張り上げた声で、俺は感傷から現実へと引き戻された。
部屋の隅に影のように控えていた一人の女騎士が、カツン、と硬質な音を立てて前に進み出る。
その女騎士――エリアーナ・フォン・ヴァイスは、背筋の伸びた、いかにも生真面目そうな女性だった。丁寧に磨かれた銀の甲冑に、腰に下げた長剣。貴族の令嬢らしい、整った顔立ちをしている。
だが、俺に向けられた彼女の青い瞳には、何の感情も宿っていなかった。
いや、違う。正確に言えば、そこにあったのは、侮蔑、失望、そして「なぜ私が、こんな無能のお守りを…」という、隠しようもない絶望の色だった。
「これにて裁定は終わりだ。三日後には出立せよ。下がれ」
父の冷たい言葉を背に、俺は一礼して謁見の間を後にする。
背中に突き刺さる、数多の冷たい視線。
隣を歩くエリアーナから漂う、絶望のオーラ。
だが、そんなものは、今の俺には些細なことだった。
俺の心は、これから始まる(であろう)夢のニート…いや、スローライフへの輝かしい期待に、満ち満ちていたのだから。
この時の俺は、まだ知らなかった。
俺が赴任するその辺境の村が、俺のちっぽけな常識さえも通用しない、絶望の淵に沈んでいることなど。
そして、俺のささやかな願いが、この国そのものを揺るがす、とんでもない事態の引き金になることなど、知る由もなかったのである。




