第3話: 影武者のはずが、戦場で“英雄殿下”と呼ばれはじめたんですが
戦場の朝は、いつだって静かだ。
むしろ、戦いの前ほど空気は張り詰めていて、風の音さえも鋭く耳に刺さる。
昨日の勝利から一夜。
私は、“王子の影武者”として、再び前線に立っていた。
「殿下! 昨日の見事な采配、兵たちの士気が天に届いております!」
「“影武者”なんですけど……。まあ、いいけど……」
どうやら兵たちは、私を“本物の王子”だと信じて疑っていない。
それどころか、昨日の戦いを皮切りに、私への評価が急上昇中らしい。
「殿下、もしや軍神の生まれ変わりでは……」
「さすがアルベリオン王家の血筋……!」
(……いやいや、これ全部“私じゃない”ってバレたら、どうするのよ)
もともとこの作戦は、“ユリウス王子が前線を視察し、民心を得る”という名目だった。
私はただ、その“姿”を演じるだけの、名もなき影。
──だった、はずなのに。
「殿下、どうかまた剣の指南を……!」
「昨日の一太刀、震えました!」
(もう“ただの影武者”の域じゃない……!)
私は軽く額を押さえてため息をついた。
「……ふふっ、いい顔になったな」
王子、ユリウス・アルベリオンは私を見てそう言った。
今夜は、後方陣に一時帰還し、久々の密会──もとい報告会だ。
「“いい顔”ってなによ。“王子ごっこ”が上手くなったって皮肉?」
「まさか。本気で戦場に立った人間に、そんな口は利かないよ。
君は、僕よりも“王子”らしくなってきたな」
「やめて。皮肉に聞こえるわよ、それ」
けれど、心の奥で少しだけ思っていた。
私は今、この場所に“必要とされている”。
それが、嬉しくないと言えば、嘘になる。
「……でもね、本当にこれでいいのか、まだわからないのよ」
「“偽物”として讃えられることが?」
「ええ。私は“私”として、誰かに必要とされてみたいだけ。
けれど今の私は、“ユリウス王子の影”でしかない」
王子は黙っていた。
その沈黙が、なぜか優しく感じられた。
「……影でも、誰かの光になれるなら、それはきっと偽物じゃない」
彼のその言葉が、深く胸に残った。
翌朝。
私はまた、戦場に立っていた。
“王子”として──
でも、そこには確かに“クロエ”としての意志があった。
「──前線部隊、突撃開始! 側面援護、第二隊ついて!」
号令とともに、兵たちが駆ける。
私が命じ、私が先陣を切る。
それでも私は、影であることを忘れない。
この名が称えられる日は、決して来ない──はずだった。
だが、その戦の後。
王都から届いた一枚の報告書には、こう記されていた。
『前線にて、ユリウス殿下が二連勝。敵将を討ち取り、“英雄王子”の異名が広がり始めている』
──ああ、これは厄介なことになってきたわね。
私は冷えた紅茶を飲み干しながら、小さく肩をすくめた。
「英雄……か。そんなもの、私は望んでいないのに──」
でも、この運命は、もう“影”だけでは終わらない。
そう、感じていた。