32.捕虜の帰還
捕虜が解放されたウオーヌ=マサンの街はお祭り騒ぎだった。魔人たちから突き付けられた無理難題もこれで考えないで済むとハルトウも胸をなでおろす。
とは言え、そもそも相談すべき軍隊長や政務官代理がさらわれていたのだから、ハルトウごときにどうにかできる問題ではなかったのが本当のところである。
だがひと息つく間もなく戦略会議である。軍に限らず組織にはには会議が付き物ではある。だが重要でない立場や戦闘第一な者たちからすれば、会議ばかり開かれてもうんざりしてしまうのも確かだ。
それでも帰って来たばかりのタッパラー軍隊長は会議を招集することをためらわなかった。
「帰ってきてそうそう皆には集まってもらってすまない。なにより心配をかけてしまったことを詫びよう。まったく、街にいたにも関わらず捕らえられてしまうとは情けないところをお見せしたな」
「いやあ、それにしても無事に解放されて何よりでしたな。魔人どもは全面戦争になることを恐れたに違いない。わっはっは、これはもう実質、王国軍の勝利と言っていいだろう」
「大隊長殿、今回の件はそんな簡単なことではないのだ。恐らく軍の階級では下士官だろうと思われる相手と対話する機会があって思い知ったのだがな。やつらは相当の余裕を持って我々と戦っておるよ」
「ならなぜ一気に攻めてこないのです? それだけでなく軍隊長どのたちを解放するほど恐れているのですぞ? これは今こそ一気に叩いた方がよろしいのではありませんか?」
前線を下げ勇者たちへ尻を拭いてもらった大隊長の言うセリフではないが、彼は捕虜が解放され気が大きくなっているのか冷静さを欠いていた。だがタッパラーは一時的とは言え捕虜になった軍隊長として、見聞きしてきたことを事細かに伝える義務感を強くしている。
今まで多数の部下に見下されてきたタッパラーでも、いざ王国の危機を目の当たりにしたからには今までどおりではいられない。それは心の中では引退を決めていることも多分に影響していたと言えよう。
彼は正直に全てを話した。さすがに敵士官に共感したとか同じ人間だと感じたとまでは言わないが、それでも感じたことを全て話し終った時には額や手に汗がにじんでおり、相当緊張していたことがうかがえた。
特にこのまま魔王国と戦争を続けたとしたら王国には甚大な被害が出ることや、敵側から相当の手心を加えられていることなどを伝えるときには鼓動が早まったほどである。
そして当然の意見として――
「タッパラー殿、我は難しいことはよくわからん。しかし貴殿の発言は軍への侮辱行為であり、極論を言えば戦わずして敵前逃亡とも言えるほどの暴言だと感じるがいかがか?」
「大隊長、貴公の言わんとすることはわかるが、それほどに恐ろしかったのだ。置かれた環境のことを言っているのではないぞ? 相手に余裕があり過ぎることを目の当たりにし恐怖したというのが正直なところ。確かに軍人としては情けないだろうし頼りなく感じるだろうがな」
「そこまでは申さぬが、そのような心持ちでこの先の戦争を指揮して行かれるとお思いか? 正直申し上げてしまえば、臆病者の立てた策に部下を任せられぬ。この際だから言わせていただくが、そもそも貴殿は戦略や戦術はおろか、戦時のあらゆることに対して人任せであったろうに。それを今になって邪魔立てしようというのか? これではまるで――」
「疑うのも無理はない。ワシが寝返ったのではないか、とな。しかしそれだけは断じて違うと太陽神へ誓おう。しかし腰抜けと言われるのはもとより承知、信頼が得られないことももちろん納得だ。しからば―― ワシは退任を申し出ようと思う」
これにはさすがに皆がざわめきだった。あからさまに責めたてた大隊長でさえそこまで思い詰めなくともひと休みすればまたやる気が湧いてくるなどと言いだしている。
タッパラー軍隊長は能無しで政争だけが得意だと聞かされていたハルトウは、まさかこれほど人望が厚かったとは驚きだと目を丸くした。
しかし実のところ、彼は軍へ資金をもたらすことに関しては長けており、この隊のものは皆、戦地でひもじい思いをしたことが無いのだ。他の部隊では資金が足りず食うものに困るとか、前線基地の村で略奪まがいの行動をとったなどと聞くこともある。
「で、ではこうしませぬか? 次期軍隊長が決まるまでは貴殿の継続と言うことでいかがか。どちらにせよ作戦立案はこうした話し合いで決めていたのだから実戦への影響は少なかろう。正直、今抜けられると事務方の業務が回らぬだろう?」
「それもそうだがワシはもう限界なのだよ。心を折られてしまったのだ。貴公は前線で命を張る兵たちのトップだろう? ワシのようなしょぼくれが安全なところから指示を出していたら、皆の士気が下がることもわかるだろうて」
結局押し問答は続き話は堂々巡りで決着はつかなかった。一つだけ決まったのはタッパラーの去就に関しては王都にいる総司令部の判断を仰ぐことくらいである。
つまりマイナト王国軍ウオーヌ=マサン前線部隊は、ここで休戦を余儀なくされたのだった。
その夜遅くなってから、タッパラーは退官後を見据え機密書類や私物の整理を行っていた。そこへ共に囚われていた同士であるコシヒカとクラッサンが現れ再確認だと話しかける。
「軍隊長どの? やはり退役の意志は固いでしょうか? 皆も頼りにしていることですし、なんとか考え直してくださいませんか」
「コシヒカよ、こんな寒い土地にずっと詰めていてくれた貴公には申し訳ないと思っておる。しかしヤツラの態度や発言を見聞きしたならわかるだろう? ワシは恐ろしいのだよ。老いた爺が弱気になっているのだと笑ってくれても良い。それでももう勝ち目がないと悟ってしまったのだ」
「軍隊長、滅多なことを口にしてはいけません。今回の件でいぶかしんでいるのは大隊長だけではないのですから。ですが気持ちはわからなくもないですね。確かにあの余裕と、敵陣にいた部隊の人数が少ないことは驚きです」
「ワシはそれについても聞かせてもらったんだがな、ヤツラこれまでの戦争で死者一人すら出ていないそうだ。唯一の犠牲者は遠征途中につまづいて骨折した若者一人だと言われたよ。それと魔王国軍の部隊全体が穏健派なわけではないこともな」
「つまり? やる気になればいつでも壊滅させることも可能だと? それこそハッタリではないですかね。ならばなぜ一気にこの街を奪いに来ないのかと」
「そこまではわからん。所詮下士官だったわけだしな。しかし例えばワシらのように突然さらうことも出来るのだろう? 王都にいる重鎮や国政をつかさどる方々相手にそんなことが起きたら……」
「それは…… ですがこのまま降伏するわけには参りません。部隊が引き上げたとしてもここには一個中隊が残り防衛を行うのですよ!? まさか見殺しにはなりなせんよね?」
「そのことに関してワシは答える立場にないのだ。総司令部がどのような判断をするかだが、どちらにしても貴公の任は間もなく解かれるだろう。できれば無事でいるうちにこの地を去れることを祈ろう」
「まさか撤退すると? どちらにしてもと言うのは他の選択肢もあると言うことですよね? 一体どんな方法が残されているのでしょう」
「玉砕戦だよ。部隊をいくつかに分け、魔王国軍と戦っている間に別働隊が熊獣人たちを皆殺しにするとな。敗北を許せない総司令部がそんな作戦を実行に移さぬとも思えん。だがそれはこうして前線に留まっている防衛部隊が危険な役回りを引き受けることを意味する。総司令部としても本国の部隊を優先するだろうからな」
「いくらなんでもひどすぎやしませんか? 我々はあくまで国益のために防衛をするのであって、面子を守るために戦うわけじゃありません! そりゃ軍隊長殿もクラッサン殿も王都へ帰るのだから気が楽でしょうがね……」
「いざ開戦となれば勇者も出るのでしょう? そうなればわたしも駆り出されますからご安心ください。コシヒカ殿一人にはいたしませんよ」
「ワシはこれほど戦争がいやだと感じたことはなかったわ。まったくどうしたらいいんだろうかなあ。早く隠居したいものだよ。ん? そういえばシノロはまだ戻って来ておらんか? まさかあの下士官嘘をついたんじゃないだろうな?」
「きっと夜遅くなってしまったので明日の日中に送ってくれるのでしょう。我々が解放されたのにただの事務官が拘束され続けるわけありませんから大丈夫ですよ」
「ならいいのだがな……」
タッパラーの不安は的中し、シノロ自身は二度とウオーヌ=マサンへ戻ることは無かった。ただし、翌朝には彼女の持ち物が返却されたのである。