19.初めて知る世界
最初に耳の痛みを感じてから数日が経ったころ、ヴーケの耳はようやく平常を取り戻した。どうやら生きたまま山を越えることができたと安堵した瞬間である。飛空艇は再び高度を下げ、数日ぶりに快適な空の旅を味わうことが出来るようになっていた。
「ここまで進めばウオーヌ=マサンはもう目と鼻の先さ。町のすぐ脇に降りるから雪道を延々歩くなんてこともないし、気楽に構えて安心してていいよ。宿泊所へ入ったら暖かいものでも食べよう」
「アタシたちよりも乗員さんたちを温めてあげたいです。なにかできるといいんですけど……」
「本当にキミは優しいんだね。彼らは宿舎が別だし多分できることは無いと思うんだけど、歌を聞かせてあげるくらいは許可されるんじゃないかな。今日これからじゃなくて落ち着いてからになるとは思うけど頼んでみるよ」
「優しいだなんて…… アタシはただ気が引けるだけで、立派な考えを持っている皆さんとは違いますから……」
「その控えめさがまたキミのいいところさ。奥ゆかしい女性に好感を持つ者は多いと思うから、きっと乗員への慰問提案は受け入れられるだろうね」
褒められてなおうつむき加減で控えめな態度をハルトウが褒めると、テルンやザゲラも感心し好感を持ったことを示すようにうんうんとうなずいている。
またもや評価を高めたヴーケだが、実は自分でもなにかが変わり始めていると少々戸惑っているところだ。言葉使いは魔法を使い上っ面を取り繕うようにしているだけのはず。それなのにこれでは本当に優しく思いやりのある少女のようではないか。
別にヴーケは、元々他人に冷たかったりひどいことをするのが好きだったりするわけではない。魔人の常識的な考え方として死生観は人間と異なるものの、家族が自分を愛してくれているのと同じように、他人へも優しくしているつもりなのだ。
ただ結果としては、いろいろなことを学ばせるために魔王があてがっている指南役には大迷惑をかけ続けている。しかしそれも結果論であってわざとではないし悪意もなかった。
どうも人間界に漂う空気に当てられて性格に影響が出ているのかもしれないとヴーケは考えた。ガークランドゥがいい味だと言っているように、魔人界とは環境が異なるのは間違いない。それが今のところは良い方向へ作用していると言えそうだ。
自身の変化を楽しみつつも多少の不安を持って降り立ったこの地、ウオーヌ=マサンは一面広がる銀世界と言う本でしか聞いたことのない言葉通りの場所だった。ヴーケは物語の一文の意味がやっと理解できたと感動していた。
「辺り一面まっしろなのですね。とても美しい風景で、アタシとても感動してしまいました。世の中にこんな素晴らしい場所があるなんて驚きです」
「確かに見てくれは美しいかもしれないけどね。一つ間違えればあっという間に道に迷って遭難、凍え死んでしまう危険な場所でもあるんだ。くれぐれも一人で出歩いたりしないように。ここいらの天候は変わりやすいから、今が晴れているからと言って油断は出来ないんだからさ」
「今日はとてもいいお天気で、お日様があんなに輝いていますよ? それでも天気が崩れるんですか? 雨、いや雪が降ると言うことでしょうか」
日差しを反射してキラキラと輝く木々を眺めるヴーケには、とても天候に変化があるようには思えない。しかしハルトウたちは何度も来ているのだし、嘘をつく理由もないのだからきっと本当のことなのだ。
それを証明するように、揃いの防寒着に身を包んだ一団が近づいてきてヴーケたちへと話しかけてきた。
「遠路ご苦労様でした。初めてお会いする方もいるようなので念のため名乗っておきますが、私はこのウオーヌ=マサン駐屯地の管理官、コシヒカと申します。なにかお困りの際は私までご相談ください」
「やあコシヒカ、おつかれさまです。今回もお世話になるよ。ずっとこんな辺境に詰めていて大変だとは思うが、どうしてもあなたを頼ってしまうだろうね」
「それが私の役目ですからお気遣いなく。こちらのお嬢さんも勇者殿のお仲間ですか? 始めていらしたと思いますが寒くはないですか? 間もなく天候が崩れますから事務所へ入りましょう。さあ皆さまもどうぞ」
コシヒカはこのウオーヌ=マサンに駐留している王国軍を管理している事務方のトップである。もちろん軍隊を率いる部隊長や将軍は別にいるので駐留軍の一番上と言うわけではない。
『てゆうか魔王国軍だとにいにと同じような立場カナ? ぶっちゃけ偉い人っぽぃ? とりまこのオジサマに気に入られておいた方がいぃのカモ?』
『ムリに好かれる必要はないと思いますが、嫌われるのは避けた方がよろしいでしょうな。こう言った中間管理職は、機嫌を損ねるとすぐ拗ねて八つ当たりしてきて面倒ですぞ?』
『てゆうかリアル過ぎぃ? どこでそんなン仕入れてくるワケ? にいにの部下のヒト? てゆうかにいにがすでに八つ当たりしがちだったり? キャハッ』
『そんなことワアの口からはとても言えません。くれぐれも兄上様には内緒ですぞ?』
『てゆうか図星? ぶっちゃけ興味ないからすぐ忘れちゃぃそ。とりまランドは適当に偵察して面白そうなコト見つけてきてネ。アタシは温かいもンご馳走になって一休みって感じだし?』
『かしこまり。熊獣人の陣でも見に行ってきましょうかね。準備が整っているのかとか、どの部隊がきているかとか知っておいた方がいいでしょう?』
『てゆうかアタシが参加しちゃうってのもアリじゃね? したら戦いも面白くなりそジャン? ぶっちゃけハルトウたちがどれくらい強いのかも知らないから興味あンのよネ。ランドも興味あンでそ?』
『無くはないですが全滅させたりしませんよね? 我々の冒険はここで終わってしまったなんてバッドエンドの物語じゃないんですからやり過ぎはカンベンですぞ?』
『あひゃ。てゆうかそんな物語も読んだっけねぇ。ぶっちゃけアレ書いた人の神経疑ちゃぅ。てゆうかもやもやするだけで爽快感も感動もなかったモン』
『主さまはあのとき大荒れでしたなあ。金返せだの時間戻せだのと……』
『ぶっちゃけ期待外れ過ぎ? マジあり得なさ過ぎて本屋さんに魔法打ち込みたくなっちゃったからネ』
『ではそんな結末を望む者はいないと言うことはお分かりですな? とりま偵察へ行って参ります。何か急用の際はお呼び下さいませー』
こうしてガークランドゥは熊獣人の領地へ向かって空高く飛んで行った。それを見送ったヴーケは、不自然に空を眺めていたと思われないよう、再び天気の話を蒸し返すのだった。