16.遠征に向けて
部屋中に鳴り響いた乾いた破裂音に誰もが驚いた。それほど唐突で、予想もしていなかった出来事と言える。
そして勇者の頬をはたいた張本人が偉そうに説教を垂れはじめた。もちろんひっぱたたいたのはヴーケである。
「なぜ勇者さまはチカにこれほどつらく当たるのですか!? 彼女がどれ程勇者さまを愛しているのかわかっているでしょう? 確かにチカは素直じゃないところもあるかもしれません。でもそれは好きだと言うのを素直に言えない乙女心ではありませんか! いくら強くてもいくら民を救えても、目の前の女の子一人に優しくできないのでは勇者失格です!」
「ちょ、ちょっとヴーケ!? な、なんでウチがハル、じゃなくてハルトウのことを好きだってことにな、なっちゃうわけ!? そ、そんなわけないでしょ! ただの―― そう、ただの幼馴染―― なんだからね!」
「そ、そうだよ、突然何を言い出すかと思えば…… キミの思い込みじゃないか!? 僕らはそんな―― れ、恋愛関係なんかではなく戦いのために共にいるんだ。そんな浮ついた気持ちでいたらとても世界なんて救えない!」
「あら、アタシったら思い込みで間違ってしまったかもしれない…… お二人は仲がとても良くて心が通じ合っているのに、どちらも素直でないからてっきり」
「アンタもしかしてそれも星の導きだなんて言わないでしょうね?」
「もちろんです。今のはアタシの心の叫びですから」
顔を真っ赤にして恥ずかしがっているチカと、少々がっかりした顔を見せているハルトウを交互に眺めながら、ヴーケは飛び上がるほど楽しくて仕方がない。なんといってもこれほどわかりやすい子はいないと言うくらい、チカはあからさまにハルトウを意識しているのだから。
それなのにハルトウはどうにも迷惑そうと言うのか、共闘している中での恋愛関係は好ましくないと遠ざけようとしているところがまたかわいい。確かに人間不信ぎみの彼は周囲の好意を素直に受け取れないのだが、それでも幼馴染として大切に考えていることが透けて見えている。
『てゆうかチカってばうろたえすぎぃ? ぶっちゃけわかりやすぎてイジリがぃがないカモしンなぃ。とりま毎日楽しみは少なぃし? この二人をくっつけようとするくらしか楽しみがなぃンですけどー』
『相変わらず悪趣味ですなあ。それにしてもハルトウと言う少年はチカにきつく当たり過ぎますな。離れたくないからとついてきている様子だと言うのに不憫ですねえ』
『だっよねー てゆうかアタシみたぃなのが手助けしてあげなぃといつまでもくっつかないかもしンなぃし? てゆうかもたもたしてたらサキョウに横取りされちゃうカモしンないジャン? てゆうかママほどじゃなぃけどおっぱぃおおきぃし?』
『サキョウはそんなつもりないのでは? 父親の意向は知りませんけどね』
『てゆうかサキョウも複雑な顔してンじゃないのサ。ぶっちゃけハルトウのこと好きになりかけてるからチカとくっつかれると悔しぃって感じジャン? てゆうか三角関係? てゆうかアタシを含めたら四角関係だっての。キャハッ』
『今のところ一番可能性が高そうなのは主さまですかねえ。なんといっても自分と同じで天から選ばれて苦労を背負いこんだ存在だと思いこんでますから』
『てゆうかそれなンだけどサ? ぶっちゃけハルトウに力を授けたのって太陽神なのカナ? したらアタシのことなンて見破りそくない? ぶっちゃけ不自然?』
『うーむ、確かにそう言われると―― てゆうか主さま冴えてますな』
『えへっ。てゆうかもっと褒めろ?』
ヴーケたちが裏でなにを考えているかなど知る由もない勇者たちは、ふと話が逸れまくっていることに気が付いた。
「とりあえずそんなどうでもいい話は後回しと言うか金輪際しなくてもいい。今はこれからどうするかを考えないといけないんだからね。明後日にはもう出発しなければならない。冬の山越えもあるから厳しい旅になるだろうな」
「北へ向かうと言うことは相手は熊獣人たちか? まさか冬になって仕掛けてくるとはなあ。あの土地が王国に落ちてからそれほど経ってないうちに取り返しに来るなんて、戦力を整えるのに時間がかかるだろうって話は的外れってことか。学者の見立てってのも当てにならねえな」
「まあそう文句を言うなよテルン、机上の計算と現実はそうそう一致するもんじゃないんだろう。明日はマーケットへ行って冬用の装備を整えないといけない。今持ってるようなのじゃきっと耐えきれないぞ。予算は気にせずちょうどいいサイズのもので一番いいものを選んで構わないそうだから皆そのつもりでな」
「ではアタシが自分で冬装備を用意出来ないから連れて行っていただけないのですね? お力になれなくて悔しい思いでいっぱいです……」
「いや、お金が惜しいとかそういうことじゃない。とにかく寒さは厳しいし、時間もかかるし、それにええっと、女の子には厳しい道のりなんだからね」
「でもチカだってサキョウだって女の子ですよ? それに行った先に街があるのであれば戦場までは行かずにお待ちすることもできるでしょう? せめてそこまでご一緒できませんか?」
「確かに旅先の拠点としてウオーヌ=マサンという小さな町はあるけど…… そこにはすでに兵士が沢山詰めていてあまり環境がいいとは言えないんだ」
「環境が悪いのにわざわざ守るのですか? 自然も厳しく不要な土地ならその熊獣人たちへ奪われても良いのでは? それにもともとは彼らの土地だったのでしょう?」
「そうは言っても近くで銀が採掘できるから無視していい場所ではないそうだ。国力を高めるためには資源や国土が大切だからね。国を豊かにしてこそ民も幸せが得られると言うものさ」
「そうでしたか。それではそのウオーヌ=マサンの民たちはさぞかし幸せに暮らしているのでしょうね。アタシもぜひそのような幸せな地方の生活を見て見聞を広めたいものです」
「いや、だから…… 連れては行かれないよ…… 幸せな場所かどうかもわからないし……」
急に歯切れが悪くなるハルトウだが、ヴーケはこの態度に心当たりがあった。というより、以前の戦争で敗北した熊獣人たちの戦力を整えなおすのに協力しているのは魔王国なのだから、いくら遊び呆けていた姫と言えど多少の事情は知っている。
熊獣人たちにとってウオーヌ=マサン近郊の川で取れる水産資源は貴重な食料確保の場だ。魚を中心とした水産物を王国とも取引していたのだが、人間たちにとって有用な銀鉱山が発見されたことで関係性に変化が出てしまった。
王国は鉱山を丸ごと手に入れるために武力侵攻し、熊獣人たちをもっと北へと追いやってしまったのだ。だが王都ロクモギを初めとする中央から寒さ厳しいウオーヌ=マサンへの入植はそれほど進んでおらず、鉱山で働くための囚人たちと管理する役人が運ばれた程度と聞く。
戦争後に駐留していた王国軍を含めたとしても大した戦力が整わないうちに再度仕掛けるべきだと考えた熊獣人側が、王国と敵対している魔王国へ助力を求めたのは自然の流れと言えよう。
こうして今冬前には魔王国と獣人国の間に移動用の魔導ゲートが設置され、魔王国軍の魔導部隊はいつでも現地へ行くことができるようになっていた。
準備が整ったのはヴーケが王国へやってくる数カ月前の話なので、再戦に動くまでずいぶん時間があったと言える。しかしそれは、熊獣人たちに有利となる本格的な冬を待っていたのだ。
そんな事情を多少知っていたヴーケは、こんな面白い戦いを間近で見るチャンスがあると言うのに逃す手はないと考えてしまった訳である。巻き添えを食っている勇者たちはもちろんそんな裏事情を知るはずもなかった。