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Name  作者: 武村 華音
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第6話






 昨晩は夕飯を食べる事なく部屋に篭っていた。

 今朝もお姉に会うのを避けるために無駄に早起きをして学校に来てしまった。


 朝食も食べていなかったので、途中にあるコンビニでおにぎりとお茶を買って体育館脇で食べた。


 そして、無駄に早いという事は誰もいないという事で。

 私は誰に気を遣う事もなく、体育館で1人基礎練習をしていた。


 香月さんがくれたアドバイスを思い出しながら幻の敵を抜いていく。

 以前と比べ物にならないくらい身体が軽い。

 上達したのかは分からないが、香月さん達とバスケをする中でボールを奪われる回数は減ったし、最初の頃よりはスタミナもついたとは思う。


 リングを通過し、床に転がったボールを拾い上げた私は、体育館の壁に思いっきり叩きつけた。

 跳ね返って来たボールをキャッチしてスリーポイントラインから再びシュート。

 手から離れたボールが、綺麗なアーチを描きながらゴールリングを目指す。

 予測した軌道から逸れる事もなくボールはネットを揺らした。


「上手くなったじゃん」


 ボールを拾う背中に掛けられた声。

 私は身体を強張らせながら振り返った。


「宇田先輩……」


 女子バスケの部長である3年の宇田先輩が、ジャージ姿で立っていた。

 誰よりも早く来てボールを磨いているという噂を聞いた事はあったが、まさか本当だとは思っていなかった。

 そして、自分の腕時計を見て愕然とした。

 夢中になりすぎて朝練の時間が近付いているという事にも気付いていなかったのである。


 朝練は7時から。

 ただいまの時刻午前6時30分。

 あと10分もすれば部員達が集まり始める。


「最近来ないから、辞めるのかと思ってた」


 ジャージ姿の先輩が歩み寄って来る。

 私の身体は金縛りにでもあったかのように動かない。


「バスケ……好きなんです」

「好きでなきゃ部活が終わった後、こっそり練習なんかしないだろうね」

「え?」


 部員が帰った後の事をどうして先輩が知っているのだろう?


「顧問に部活が終わった報告行った後、消したはずの明かりが点いてたから覗きに来た事があったんだ」


 今までは何とも思っていなかったが、見ていたと言われた途端に恥ずかしくなる。


「休みの日、近所の中学校の体育館で大人の人達とバスケやってるのも見掛けたし」


 香月さん達の事だというのは考えるまでもなく分かった。


「ここでの練習はムキになってる気がしたけど、体育館で見た上原は楽しそうにしてたからバスケが好きだってのはよく分かった」

「……」


 “素直になればいいっしょ”


 香月さんの声が聞えた気がした。


「私……小学校の頃にバスケと出会って、のめり込んだんです。好きで好きで……中学校でも当然のようにバスケ部に入りました。その時……初心者の子とかもいて、当り前なんですけど初歩的な練習をしてたんです。でも、私はそれを見て馬鹿にしてたんだと……ううん、本当に馬鹿にしてたんです。その子達と一緒に練習すればいいのにしなかったんです。今更あんな練習したくないって思ってました。そしたら1年後には彼女達に抜かれちゃいました。当然なんですけど……ね」


 私はボールを抱きしめながら愚かな自分を嗤った。


「そういう気持ち、分かるよ」


 優しい言葉と共に宇田先輩が私の頭を撫でる。

 堰を切ったかのように涙が零れた。


「上原はちゃんと分かってんじゃん、何が悪かったのか」

「教えてくれた人が……いたからです」

「そっか。いい人に出会えてよかったね。私もさ……中学の時にレギュラー外された時期があって、理由が分からなくて苛々した事あったんだ。でも、ある時にコーチに呼ばれて言われたんだ。自分が少し早くからやってるからって他の奴を見下してるからこうなったんだ、って」


 先輩の手が伸びてきて私の持っていたボールに触れた。


「上原に言ってやろうとも思ったけど上原が部活に出て来なくなる方が先で、正直参った。迷惑がられても言ってやるべきだったんじゃないかって後悔もしたんだ」


 先輩がそんな風に考えてるなんて思ってもみなかった。


「……すみません」


 私は手の甲で涙を拭った。


「勝負しよっか」

「え?」

「もし上原が勝ったら今までの事は何も言わないし、部員にも何も言わせないようにする」


 1年も幽霊部員をしていた私に、そんな事を言ってくれるとは思わなかった。


「どうする?」

「……やります」

「手加減しないよ?」


 鼻を啜って顔を上げると、優しい先輩の笑顔が見えた。






 私はバスケ部に復帰する事を許された。


 先輩との勝負に勝った事もあったが、勝負の最中に部員が集まってしまい、一部始終を見られたというのが正直なところ。

 同級生達の冷ややかな眼は怖かったけれど、私は上級生下級生関係なく全員に頭を下げた。

 自分の愚かさも吐き出した。

 自分がバスケを好きだという事もきちんと伝えた。


 これからはきちんと部活に出る事、どんな練習内容でも不満を言わない事、人を見下したりしない事を全員の前で誓った。


「上原、もう1籠あるからね」

「はいっ」


 1年分の罰として、私は部活終了後のボール磨きをする事になった。

 それでも、堂々と体育館でボールに触れる事が嬉しかった。


「先輩、手伝いましょうか?」

「ううん、これは私がやるべき事だから。ありがと」


 1年生部員が私に声を掛けてくれたけれど、気持ちだけ受け取ってボールを磨く。


 香月さん、素直になると周りが優しいです。

 本音を吐き出したら心が軽くなりました。


 意地を張ったままだったら、きっと私はコレを味わえなかった。

 香月さんの一言があったから、きっと私は今こうしていられるのだ。


 心を籠めて1つ1つを丁寧に磨く。

 愛情と感謝と、今までの謝罪を込めて。


 少し早めに部活を終わらせたのは宇田先輩の優しさなのだろう。

 そして、毎朝ボールを磨いているからこそ全部を磨き終える時間を読む事が出来たのだと思う。


 私はどうにか体育館消灯までに全てのボールを磨く事が出来た。


「終わったぁ!」


 最後のボールを籠に戻して倉庫に片付ける。

 ハードな練習で身体はクタクタなのに足も心も軽い。

 それは、こうして堂々と体育館にいられるからなのだと思う。


 後ろめたさも怯えもなくここに立てる事が、こんなに嬉しかったなんて……。

 中学の時に皆と一緒に練習しなかった事で、何年も勿体ない無駄な時間を過ごしたのだと改めて感じた。


「お疲れさん」


 声の方向に振り返ると、笑顔で手を振っている香月さんがいた。


「香月さん」

「ボール磨き、ご苦労さん」


 倉庫に籠を戻して香月さんに歩み寄る。


「何かいい事あった顔してる」

「はい。今日皆に謝ったんです、1年間部活サボってた事。先輩やコーチ達がいいって言うまでボール磨きの刑になっちゃいましたけど」


 香月さんは笑顔で私の頭を撫でてくれた。


「和紗ちゃんは素直だから、出来ると思ってたよ」

「意地張ってた今までが馬鹿みたいに思えちゃいました」

「だね、意地張ってても得るものはないから」

「はい。……ところで、なんで香月さんがここにいるんですか?」


 嬉し過ぎて忘れるところだったが、香月さんはこの学校の出身というわけではない。

 先日たまたまパソコンの修理にやって来ただけの人。


「まさか、また図書室のパソコンが……」

「いやいや、違う違う」


 だったら何なのだろう?


 私は理解できずに首を傾げた。


「説明は後。先ずは着替えておいでよ、待ってるから」

「はいっ」

「おっ、いい返事」


 私は香月さんに見送られながら上機嫌で更衣室へと向かった。






 夜道を香月さんと並んで歩く。


「で? 今日はどうして学校に……?」


 学校の敷地を出て改めて口を開く。


「和紗ちゃんさ、家で何かあった?」


 少し大きめのショルダーバッグを掛け直しながら香月さんが口を開いた。


「家で……?」


 繰り返すように呟いた瞬間、昨夜の事を思い出した。

 バスケの事で浮かれ過ぎて、家で起こった事をすっかり忘れていた自分に少々呆れる。


「会社で、何かあったんですか?」


 香月さんは乾いたわざとらしい笑いを短く零した後、小さな溜め息を漏らした。


「上原さんの機嫌が頗る悪くてさぁ」

「はぁ……」

「更には仕事が終わって帰る時に人気のないところに呼ばれて」

「告白でもされたんですか?」

「そ。あんたの事結構気に入ってるの、私と付き合わない? って」


 なんで告白まで上からなのだろう。

 私にはお姉の考えている事は理解できない。


「で? なんて返事したんですか?」

「上原さんはいい上司だと思いますけど女性としては見れません、と正直に」


 目を合わせる事もなく、ただ影を見つめながら香月さんの言葉を聞く。

 その口元に小さく笑みを作ってしまう私は……香月さんが断った事を喜んでいる私は、やっぱり最低な人の最低な妹なのだ。


 でも、私だって……香月さんが好きだ。

 お姉が相手だからといってこの気持ちを押し殺すつもりはない。


「どんな女だったら恋愛の対象になるんだって言われてさ」


 終わったと思った会話がまだ続いていて、私は思わず顔を上げた。


「香月さん、私っ」

「和紗ちゃん、人の話を妨害しちゃいけません」

「……はい」


 俯く私の頭に大きくて温かくて優しい手が乗っかった。


「フライングはなし。先ずは俺に言わせて?」

「え?」


 顔を上げると優しい笑顔が至近距離にあって。


「好きだよ、和紗ちゃん」


 幻聴としか思えない言葉が私の耳に届いて。

 その直後に温かいものが私の唇に触れた。




 ご覧頂きありがとうございます。



 次回ラスト。

 6月30日更新予定です。

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