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Name  作者: 武村 華音
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第4話






 私は息を乱して仰向けに転がっていた。

 床の冷たさが心地いい。


「最初よりも動きは随分良くなった。もともとセンスはあるんだよ和紗ちゃんは」


 香月さんは涼しい顔で私を見下ろしている。


「香月さん、バスケやってたんですか?」

「まぁ……少しね」


 顔からは想像できない体力の持ち主だ。

 私同様かなり動いたはずなのに、全くと言っていいほど呼吸を乱していない。


「あとは……スタミナ不足。今のままじゃ第4クォーターまで持たない。もっと体力をつけた方がいい」


 1on1をやろうと言った香月さんは私をかわしながらアドバイスをくれた。


 自分では出来ているつもりでいたが、自己満足でしかなかった。

 他人から見れば面白いほど隙だらけだったのだ。

 膝も硬く柔軟性に欠けていた。


 香月さんのアドバイスは……基礎中の基礎だった。


 何年もバスケをやっていてコレでは選手になど選ばれるはずもない。


 私は苦笑した。

 情けなくて、悔しくて……ひどく泣きたい気分になった。


「和紗ちゃんは周りに恵まれてなかったんだね。こういうのは初歩だから通常始めた頃に教わるもんだと思うんだけど……」


 中学の時初心者として入って来た子を冷めた眼で見ていた自分を思い出す。

 同級生たちの輪に入ろうともしなかった。

 誘われても彼女たちと一緒にされたくないという馬鹿みたいなプライドが邪魔をした。


 そして、気が付いた頃には追い越されていた。

 きっと、あの時私も一緒に指導を受けていればこんな事にはならなかった。


「多分……私のせいです。私がそういう環境を作っちゃったんです」


 今頃気付いても遅いのに。

 時間が戻るわけもないのに……。


 私は腕で顔を隠した。


 泣きはしない。

 自分の責任だ。


 自分の無駄に高かったプライドのせい。

 周りは誘ってくれたのに拒否したのは私。

 今こんな状態なのもみんなみんな自分のくだらない感情が招いた結果。


「今からだって出来るよ、俺が教えてあげる」


 香月さんは傍にしゃがんで私の頭を優しく撫でた。


「バスケは楽しいって教えてあげる」


 香月さんの言葉が優しくて、嬉しくて……頑張って耐えていた涙が零れ落ちた。


「一緒に頑張って、レギュラー取ったら奢りね」

「取ったら、の話……」

「絶対取らせてあげる」


 香月さんは自信に満ちた声でハッキリと言い切った。






 香月さんの言葉でここまで元気になる私は単純だと思う。


 言われた通り、体力作りのために朝晩マラソンを始めた。

 夜1人で走るのは危険だからと香月さんも一緒に走ってくれる事になったが、仕事で遅い事も多いらしく夜は週に3回がいいところだ。


 休みの土日は近くにある練習場で香月さんの友達などと一緒に遊びながら練習をした。

 楽しみながらアドバイスをもらうというのは今までにない経験だ。


「和紗は足が速いなぁ」


 一緒にバスケを楽しむ近藤さんが私の横に腰を下ろす。


「やっぱ若さ?」

「10代には敵わないのかぁ? まだ数年前は10代だったのになぁ」


 香月さんと同級生らしいが……正直、年上にしか見えない。

 何よりも香月さんが私と同じくらいの年齢に見える。


「またやってるよ、あいつ……馬鹿だなぁ」


 近藤さんの視線の先には小学生達と戯れる香月さんの姿がある。

 戯れる、というと聞こえはいいが……私の眼には小学生に苛められているようにしか見えない。

 バスケットボールを8人の小学生に次から次へと投げつけられて、痛い! やめろ! と騒いでいるのだから。

 それでも笑顔なのは、子供好きだからなのかもしれない。

 香月さんは小さな子を見掛けると声を掛けたり変な顔をして笑わせたりと見方を変えれば変な人だ。

 毎週末やって来る香月さんにここで遊ぶ子供達も懐いているように見える。


 私はその様子を眺めながらふと、思い出した。

 香月さんはお姉の彼氏だという事を。


 頻繁にジョギングに付き合ってくれたり、こうして休日に特訓をしてくれるけれど……お姉と会う時間はあるのだろうか?


「和紗ちゃん、起きてる?」


 考え込む私の目の前に香月さんの顔が現れた。


「起きてますよ。ちょっと考え事してただけです」

「お? 何を考えてたのかな? お兄さんに話して御覧、相談に乗るよ?」


 私は香月さんから顔を逸らして大きな溜め息を漏らした。


「何なに? どうしたの? そんな大きな溜め息吐いちゃって」

「香月さん……お姉の相手ちゃんとしてます?」

「はへ? 上原さん?」


 私を名前呼びしているくせに、お姉の事は苗字でさん付けなのが不思議だ。

 彼氏彼女の関係でありながら、会社では上司部下の関係なのだから仕方がないのだろうか?


「上原さんがどうした?」

「いや、私の相手ばっかしててお姉と会ってるのかなぁって思っただけなんですけどね……」

「職場で嫌ってほど会ってますよ? 嫌ってくらい絡まれて嫌ってくらい後頭部殴られて……ここら辺とか薄くなってない?」

「いや、職場でじゃなくて」

「何故に休みの日まで上司と会わなならんのよ?」


 所謂ヤンキー座りで私の顔を覗き込む香月さんの顔は、誤魔化している風には見えなくて……。

 私の中に矛盾が広がっていくのを感じた。


 それを消化するためにはたった一言だけ訊けばいいのだが、お姉がこの人に対して特別な感情を持っているのは確かなので訊き辛い。

 訊く事でお姉の気持ちをバラしてしまう事になるのだから。


「和紗ちゃん?」

「あ……いや、いいんです。忘れて下さい」


 お姉は美人で仕事も出来て頭もいいし気も利く。

 いつだって周囲にちやほやされて手に入らなかったものなどなかったのかもしれない。


 無駄に高いプライドが、私への彼氏発言になってしまったのかもしれない、という疑いの気持ちが過ぎる。


「上原さんがさぁ、俺の事好きなのは知ってんだ。でも苦手なんだよね、あの人」


 自分の膝で頬杖を付いて香月さんが呟く。


「あの人と一緒にいると疲れない? 無理やり型に嵌め込まれるっていうか、何でも押し付けて来るっていうか……こうじゃなきゃ駄目! っていうのをさ、あの人他人に押し付けるでしょ?」

「ん~、まぁ……」

「確かに頼りになるしいい上司だし、美人で目の保養ではあるんだけど……女としては見れないんだよねぇ」


 香月さんの言葉で、お姉と付き合っているわけではない事が判明。

 私はお姉の嘘のせいで無駄に悩んでいた事に気付いた。


「香月さん、彼女は?」

「おりませんですよ。あ……朝から晩まで俺を離してくれない方がいましたねぇ、束縛しまくる彼女」

「え?」

「会社という名の彼女。これでも社会人だからさぁ、俺」


 香月さんの言葉に動揺したりほっとする自分に気付いて少々驚く。

 もしかしたら私は……。


「和紗ちゃんは手足が長いし、基礎さえ身に付ければ充分にレギュラー獲れるよ。シュート率は問題ないし」

「プライドが高いのは私も一緒だもんなぁ……」


 私は小さく嗤った。

 見下していた子達が私を抜いてレギュラーになった時に気持ちを入れ替える事が出来なかった。

 今更基礎なんて……と思っていたのも確かだ。


「素直になればいいっしょ」

「素直に……かぁ」

「俺の前にいる和紗ちゃんでいいんだから、難しくはないと思うよ?」


 それが難しいのだ。

 香月さんは年上だからこうやって従える。

 だけど、同級生だったら……やっぱり難しい。

 今までの自分を知っている彼女達に今更頭を下げるなんて……。


「和紗ちゃん、皆が練習している輪の中に“入れて”って言うのも無理?」

「……」

「相棒のいない子に“一緒にやろう”って声掛けるのも無理?」


 香月さんはきっとお姉を知っているから私が言えないと分かったのだろう。


「……頑張って、みます」

「よろしい」


 私の頭を撫でた香月さんの笑顔に、心臓がバクンと大きな音を立てた。


 もしかして、ではない。

 これは……もう―――――。




ご覧頂きありがとうございます。


次回更新は……6月10日、の予定です。

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