第3話
「ついに壊れたか……」
私は図書室の受付カウンターで1人唸っていた。
この学校の図書室は生徒手帳のバーコードと本のバーコードをスキャンして貸し出している。
しかし……。
しかしだ。
そのパソコンがどうやっても立ち上がらない。
これでは貸出・返却業務が全くできない。
壁に掛かった電話で職員室にSOSを出してみるが、修理屋を呼ぶのでそれまで待機していろとの返事。
この状況を見てから言って欲しいものだ。
私の前にはすでに10人以上の生徒が貸し出しや返却で待っている。
このまま待たせるのはさすがにどうかと思った私は仕方なく鞄の中からノートと筆箱を取り出して1つ1つ手書きする事にした。
面倒だが仕方がない。
これを後で手打ち入力しなければならないので確認も慎重にしなければならない。
念のためクラスとフルネームも書いておく。
当然本の題名も。
掛かる時間は通常の3倍以上。
本当にやりたくない作業である。
10人以上捌いたところで図書室の扉が開き聞き覚えのある声が聞こえてきた。
今日もスーツではなく、ジーンズにTシャツというラフな服装である。
この学校の制服を着ていれば違和感がなさそうにも思える彼は、やはり童顔なのだろう。
「どぉも、パソコンの調子が悪いと聞いてきました香月で~す。あちゃぁ……凄い渋滞だ、早く直さなきゃなぁ」
何を呑気に……。
この男、張り倒してもいいですかお姉?
「あれ? そこにいらっしゃるのは上原さんちの妹君、和紗さんじゃございませんかね?」
「どぉも。くだらない事はいいから、さっさと直して下さい」
私は香月さんを睨んで作業を続行した。
カウンターの中に大きな荷物を持った香月さんが入ってくる。
コードや配線の確認を始めたようだ。
「ちょっとゴメン、足元弄りたいんだけど?」
香月さんにそう言われ私は返却口に移動。
列もじんわりと横に動く。
20人ほどの数字を書き込み、やっと列がなくなった。
それでも時折、貸し出しや返却で人がやってくる。
ノートの1ページは既に埋まり、裏側に到達。
私の右下辺りで香月さんはせっせと作業している。
持ってきた機材も投入しカチャカチャと弄るその顔は真剣そのもの。
いろんな顔をする人だ。
そんな事を考えながらその様子を眺めていると、香月さんが顔を上げた。
「和紗ちゃん、部活は?」
「今日は当番なんで休みです」
所詮は補欠。
毎回出たところでそれは変わらない。
どんなに一生懸命やっても報われない事はある。
だから、いつの間にかこうして逃げるように委員会なんてものに入ってしまった。
そして、誰もいなくなった体育館で1人練習するのだ。
こんな情けない事は家族にさえ言えない。
「……そっか」
香月さんはそれ以降何も言わなかった。
静かな図書室にカチャカチャという音だけが響く。
どれだけの時間が過ぎ去ったのだろう?
ようやく作業を終えたらしい香月さんが机の下から這い出した。
汗を汚い手で拭ったのだろう、顔に何本もの黒い筋が出来ている。
その姿を見て、いつもラフな恰好をしている訳というのを理解した。
電源を入れて画面を見詰める香月さんは、映し出された画面を見て破顔する。
正常に起動し、画面が立ち上がったのだ。
「よっしゃ、修理終了! 俺って天才っ」
「それを仕事にしてて直せなかったら廃業じゃないですか」
私は溜め息を洩らしながら呟いた。
「和紗ちゃんって本当、上原さんの妹だよね。容赦ないとこそっくり」
「そりゃどうも」
既に図書室閉館時間を過ぎている。
寛いでいた生徒達の姿もない。
追い出したから当然だ。
私は図書室を施錠してゆっくりとパソコンのキーボードに指を奔らせた。
「それ終わったら帰るの?」
「香月さんには関係ないです」
「まぁね」
「終わったなら早く帰った方がいいんじゃないですか? またお姉の雷落ちますよ」
「まぁね」
適当に答える香月さんはその場から動く気配もない。
「キーボード使い慣れてるね」
「そりゃ、このご時世使えて当然なんじゃないですか?」
「まぁね」
メモを定規で追いながら数字を入力していく。
それと同時に表示される生徒名とクラス、そして本の題名の確認も怠らない。
「綺麗な字書くね」
「身近な人の字が汚いだけじゃないんですか? 私は字上手くないですから」
急いで書いた字が綺麗なわけがない。
読めないと困るので気を付けはしたけれど、自分の中では雑で汚いと思う文字。
「言うねぇ。機嫌悪い?」
「用がすんだらさっさと消えてくれませんか? 気が散るんです」
真剣にやってる横から声を掛けられたら腹が立つのは当然だろう。
「さっさと帰りたいんです、それを邪魔して楽しいですか?」
さっさと作業を終えて体育館で練習をしたい。
体育館はいつまでも使えるわけではない。
時間がくれば照明が落とされて練習さえも出来なくなってしまう。
「ごめんごめん、退散するよ」
香月さんは苦笑しながらお尻を叩いて大きな荷物を抱えた。
鍵を開けて出て行き、扉が閉まる音が聞こえる。
ようやく静けさが戻ってきた室内で、私が本日受け付けた全てのデータを入力して作業を終える事が出来たのは午後6時50分。
体育館は7時半までしか使えない。
更には部活が7時まで。
私は10分間待たなければならない。
しかし、待ってでも練習はしたい。
部員誰とも顔を合わせずに。
図書室を施錠して鍵を返却に行き、私は体育館を見下ろしていた。
少しずつ部員が出てくる。
部活が終わったようだ。
それを確認して移動を開始するのはいつもの事。
今日はパソコンの故障という突発事故はあったが、そのお蔭で待ち時間は通常よりも遥かに短い。
次に確認するのは部室。
部室の電気が消え施錠されるのを待って私は体育館に向かうのだ。
裸足で体育館に入り、入口に鞄を投げるように置いて倉庫の重い扉を開ける。
片付けられたバスケットボールを1つだけ取り出して体育館の床に叩き付ける。
体育館に響き渡る音が心地いい。
ボールの跳ね方も充分。
今日の相棒は決定した。
私はそれを持ってバスケットゴールを睨んだ。
シュート率だけでいえば決して悪くない。
しかし、身体のキレが悪い。
自覚は嫌というほどにある。
分かってはいるけれど上手く体が反応しないのだ。
バスケはもうやめた方がいいのだろうか?
小学校のクラブから始め、のめり込んだスポーツだった。
中学校でも迷わずにバスケ部を選んだ。
3年間控え選手のまま終わったけれど。
高校は特にバスケで有名な学校は選ばなかった。
選べなかった。
なのにここでも控え選手のまま。
実力がないのだ。
どんなに頑張っても時間の無駄なのかもしれない。
だけど……。
だけど、まだ諦めたくない。
今年いっぱいは頑張りたい。
私はゴールを睨んでドリブルを開始した。
体育館の中にボールの音だけが響く。
ゴールに近付きそのままレイアップシュート。
ボールはリングに沿って軽く回り、吸い込まれるようにネットを通過して床に転がった。
それを拾ってドリブルしながらゴールから遠ざかる。
ゴールを見据え架空のライバルをイメージしながらシュミレーションするのもいつもの事だ。
気合を入れて足を踏み出した瞬間に……消えた。
私の手から、ボールが。
「和紗ちゃん、バスケ部だったんだ?」
器用に指先でバスケットボールを回しながらその人は笑った。
「香月さん……何の用ですか?」
「折角だから体育館覗いて行こうと思ったら和紗ちゃんがバスケットボール持ってた」
「だからって奪いますか?」
「だって隙だらけだし」
返された言葉にズキンと胸が痛む。
「でも、綺麗なシュートだったね」
香月さんは指先で回していたボールを床に落とし、ドリブルにしてはゆったりと……毬突きをするかのようなスピードでセンターサークルの外側に立ち、無駄のないフォームでジャンプシュートを放つ。
ボールは迷うことなくゴールのネットを通過して床に転がった。
「1on1やろうか?」
「は?」
「俺が勝ったらジュース奢って」
「今のシュート見せられた後で頷けるはずがないでしょう」
あの距離を正確に投げる人を相手にして勝てるはずがない。
「ん~、じゃあ……俺から1点でも取ったら和紗ちゃんの勝ち」
さっきよりはマシだけれど……でも。
「それともやる前から試合放棄して俺に奢る? それでもいいけど?」
意地の悪い眼で笑う香月さんの言葉と態度にカチンときた。
「試合放棄だけはしません。勝てなくたって最初から投げ出すのは嫌です」
「よっしゃ。じゃ、やろっか。使用時間は何時まで?」
「……半」
「じゃ、そこで勝負終了」
香月さんはボールを取りに向かう。
それを私はただ眺めるだけ。
この人を抜くにはどうしたらいい?
この人からポイントを取るには?
じっと見ていると香月さんが私に向かってボールを投げてきた。
「和紗ちゃんボールでいいよ」
完全に嘗められてる……。
私なんかが相手じゃそうかもしれないけれど、でも腹が立つ。
1点でもいい。
この人から絶対に取ってやる……っ!
ごらん頂きありがとうございます。
次回更新は5月30日……の予定です。