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ドアが閉まった途端、耳に痛いくらいの静寂が訪れて、ジェイドは困り果てた。もともと口数が少ないうえに、外見に似合わず人見知りな性格なので、初対面の、しかも異性相手に何を話せばいいのか、皆目見当がつかない。
ちらりと少女に視線を投げると、彼女は不思議そうにこちらを見返してくる。
ジェイドは思い切って、怖がらせないよう一歩一歩ゆっくりとベッドに歩み寄った。彼はこの国の成人男性の中でもかなり背が高い方だ。おまけに仕事柄身体を鍛えているので筋肉もしっかりとついている。見る人によっては威圧感を覚えるらしい。
ジェイドがベッドの傍らに立つと、少女は彼を見上げてふにゃりと微笑んだ。白字に青の細かい水玉模様の入院着を着ているせいで、少女の白い首と胸元が見える。慌てて目を逸らそうとして、視界の端に臙脂色の模様を捉えた。
少女の鎖骨のすぐ下に臙脂色の花が咲いていた。いや、本物の花ではない。刺青だ。それもかなり前に彫られたもののようだ。
幼少期に身体に刺青をいれる風習がある民族はそう多くないので、彼女の身元を調べるいいヒントになるのではないだろうか。
(気のせいか? この刺青、どこかで見たような気がする)
ジェイドはよく本を読む。推理小説から世界各国の風習や文化に関するものまで幅広く読んでいるので、もしかしたら過去に似たような意匠の刺青を見たことろがあるのかもしれないと思い至った。
「あなた、ダレ?」
少女の声に我に返る。
「ああ、俺は、ジェイデン・ジドニールという。ジェイドと呼んでくれ」
「じぇいド」
「ジェイド」
「ジャいド」
ジェイドは何度か発音を訂正したが、少女には難しいようなので諦めた。
「それで……、あんたは自分の名前を覚えていないんだったか」
「わたし、名前、知るない」
「そうか……」
ジェイドは少女の刺青に目を落とした。臙脂色の線で模られた美しい花の形。
――フリージア。
脳裏で閃いた名前で呼んでいいか訊こうとして、ジェイドは躊躇した。
警邏隊に保護されたら、もう関わることもない。そんな相手に呼び名をつけたところで、意味がないではないか。それに、見ず知らずの男に馴れ馴れしく呼び名をつけられても、彼女も困るだろう。
そう思いとどまって、口を引き結ぶ。
「あなた、わたし、知る?」
少女は期待したように瞳を輝かせた。
記憶がないからだろうか、昨日とは打って変わって人懐っこい彼女の様子に、ジェイドはこっそりと安堵の息を漏らした。
「いや、俺はあんたが誰だか知らない。さっきの看護師は俺があんたを迎えに来たと言ったが、それは誤解だ。あんたは三日後、警邏隊に保護される」
「ケイラ?」
「ああ。皆が安全に暮らせるように働いている人たちだ」
意味が理解できないのか、少女は困ったように眉尻を下げた。
「分からなかったか? 心配しないでいい。あんたは、安全な場所に行く」
「はい、アンゼン、だいじ」
自分がこれからどんな状況に置かれるのか理解しているかは疑問だが、今のところ嫌がる素振りは見受けられない。
その純粋な様子に、ジェイドは良心の呵責を覚えた。
警邏隊に保護されるといっても、事情聴取をされて、すぐにまた修道院に移動しなくれはいけないのだから、記憶のない少女にとっては全く気が休まらないのではないだろうか。
せめて、警邏隊が到着するまでは見届けよう。先ほど看護師との会話で約束してしまった服も用意してやりたい。ジェイドはナイジェルに連絡を入れ、女性用の衣服を購入してきてくれるように頼むことにした。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。