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鎖骨の下に各自の花の意匠の紋様を刻まれたわたしたちは、滲んだ血でまだらに染まった手拭いを胸元に押し当てたまま、這う這うの体で剣の館の中にある花の乙女の居室が並ぶ一角へ移動した。
花の図案が描かれた扉が並ぶ廊下で、巫女は立ち止まった。
「印紋が――ああ、先ほど刻印されたものを印紋と呼びますが、癒えるまで十日ほどかかります。その間は神子様の御前に侍ることは許されません。明日からは前任の花の乙女から神子様にお仕えする際の作法や、乙女としての勤めを教わることになります。本日は早めに就寝するように」
部屋の扉にはシェスカ様から賜った称号と同じ花の図案が描かれている。わたしに与えられた部屋の扉に描かれていたのははもちろん、フリージアの花だ。
ひとりには広すぎるくらいの部屋に、大きな寝台や長椅子、衣装棚が置かれ、食事をするための卓と椅子が二脚あった。食事は毎度厨房から運んで自室で食べるからだとか。驚いたことに、花の乙女は剣の神子の侍女の立場なので、自分で食事を受け取りに行く必要がないらしい。剣の館には雑務を担う専属の巫女が複数名いて、食事の運搬や掃除や洗濯は彼女たちの仕事なのだ。
既に候補生の居室から私物が運び込まれていたようで、古びた行李がひとつ、部屋の一角にぽつんと置いてあった。あれにわたしの所有する全ての物が収まっているのだから、どれほど質素な生活を送ってきたのかが窺い知れるだろう。
「何だかまだ夢を見ているみたい、と言いたいところだけれど、痛すぎる印紋が『これは現実だ』って物語っているわ……。はあ、酷い目に遭った」
――今日から、花の乙女としての生活が始まるのだ。
先ほどお目にかかったシェスカ様の完璧すぎる顔が思い浮かぶ。凛とした中にも優しさが溢れる方だった。見たところ、わたしより少し年上のようだった。この国では十五歳から一人前の大人として扱われるが、おそらくそれくらいの年齢なのではないだろうか。
せっかく手に入れた栄誉だ。シェスカ様の生活が少しでも快適なものになるように努めたい。
「今夜はしっかり夕飯を食べて、英気を養わなくっちゃ! どんな料理が出てくるのかしら、楽しみ!!」
期待通り、花の乙女に用意されていた夕飯は、前日まで候補生だったわたしには贅沢過ぎるくらいのご馳走だった。野菜のたっぷり入ったスープ、ピパ、やわらかく焼かれた羊肉にヨーグルトをハーブと塩で味付けしたツァッジというソースを好きなだけかけられる。おまけに毎食干した果実か青果がつくというではないか。
印紋を刻まれたことを忘れて狂喜乱舞した結果、痛みでへたり込んだが、もちろん個室なので誰にも目撃されずに済んだ。
更に嬉しいことに、花の乙女たちは泉で身を清める必要がないという。花の乙女たち専用の浴場があり、浴槽にはたっぷりのお湯がはられているのだとか。――そう、冷たい水ではなくお湯である。スベルニルム様に感謝しなければならない。
しかし悲しいことに、印紋を刻まれた直後なので、その日からしばらくはお湯に浸した手拭いで身体を清拭するだけに留めなくてはならなかった。
翌朝、わたしたちはまだ朝日も昇る前に起床した。何故か身体が重怠く、熱があるようだ。印紋を刻まれたせいだろうか。このまま一日寝ていたいが、そういうわけにもいかない。しばらくの間、先代の花の乙女に引継ぎをしてもらいながら業務を覚えていかなくてはならないのだ。
運ばれてきた朝食は、まるで体調不良になるのを予測していたかのように果物と薬草茶だった。苦い薬草茶を一気に飲み干して果物で口直しをし、重い身体を引きずって何とか集合場所へ向かった。
乙女たちの部屋が並んでいる廊下の先にある、面談や会議で使用される小広間が集合場所だ。わたしが小広間に入ると、既にリコリスとマーガレットがいた。二人とも心なしか顔が赤く、あまり元気がないようだ。
「おはよう、ごば……リコリス、マーガレット。もしかして、あなたたちも体調が悪いの?」
「おはよう、ろ……フリージア。ええ、何だか熱っぽいわ。あんたも?」
熱のせいかリコリスの瞳は潤んでいて、紫がかった青い目が湖面のようにキラキラしている。
「そうなの。何でかしら……」
わたしたちから少し離れた位置に立っていたマーガレットは呆れたように目を眇めた。
「あなたたち、本当に何も知らないのね。印紋を刻まれたせいよ」
「傷が治る過程で発熱するってこと?」
「違うわ」
「どういうこと?」
「わたくしは生家である程度花の乙女について学んだから知っているの。あの染料には神子様の血が混ぜられていたのよ」
「血!?」
わたしはぎょっとして目を剥いた。もっと詳しく説明してもらおうと思ったが、ローズとリリーに続いて濃い金髪に小麦色の肌をした中年女性が小広間に入って来たので、口を噤む。
「おはようございます、新代花の乙女の皆さん。わたしは先代の百合の花の乙女、リディアです。就任おめでとうございます」
ちらりとリディアの胸元を見ると、鎖骨の下に百合の花の印紋があった。やはり、花の乙女が印紋を入れる習わしは以前からあったものなのだ。彼女は現役の時はリリーと呼ばれていたが、先代の剣の神子の代替わりと共に還俗し、先代の神子から名を賜ったと説明した。今は先代の剣の神子の侍女として大神殿の外で暮らしているという。
「さて、昨日行われた拝命の儀式で、あなたたちは印紋を刻まれましたね? 今朝は熱っぽいとか、身体が怠い、頭が痛いなどの症状が出ているのではないかしら?」
乙女たち全員が頷いた。
「印紋に使用された染料には、剣の神子様の血液が混ぜられています。血液は体内を循環して、魔核を通過した際に魔力が混ざるので、あなたたちはその身に神子様の魔力を刻み込まれたことになります。これが自分の魔力と反発し合って、体調が崩れるのです」
リディアの説明によると、剣の神子の世話をする花の乙女が経験豊富な成人女性ではなく、成長過程の子供が選ばれるのは、大人の肉体に他人の魔力が馴染むことはかなり難しいからだという。
「あなたたちは主である神子様の魔力で所有印を刻まれました」
聖典によると、花の乙女は王が剣の神子のために手折った花だ。故に花の乙女たちはその生涯を剣の神子に捧げるために魔力で印を刻み、主に忠誠を誓う。
印紋は魔力で乙女を縛る契約印のようなもので、主に危害を加えようとすると即座に心臓が止まるようになっている他、主が命じたことに逆らえなかったり、ある程度の距離内であれば主が乙女の居場所を感知できるようになっている。
「本来であれば呪印も施される予定でしたが、新しい神子様は女性であるため、免除されました」
――昨日シェスカ様も乙女たちの慰めは必要ないと仰っていたけれど、あれはどういう意味だったのだろう。
「リディア様。質問がございます」
わたしが手を挙げると、リディアは頷いた。
「何でしょう、フリージアの花の乙女」
「シェスカ様が女性であることと呪印とやらを施さないことは、どう関係しているのでしょうか?」
「……神子が男性の場合、花の乙女に慰めを求めることもあります。その際、子供を授からないようにするため、予め呪印を施すのです」
「えっ? 神子様が男性でも、乙女とは主と従者の関係ですよね? 夫婦でないのだから、神々は子供を恵んでくださらないのでは?」
わたしの質問に、リディアが笑顔のまま固まった。何か変なことを訊いてしまったのだろうか。
「……フリージアは、子供がどのようにしてできるか、知っていますか?」
わたしは首を傾げた。もちろん、聖典の講義の際に聴いているのだから、知らないはずがない。どうしてそんなことを訊かれるのだろうと訝しく思いながらも答えた。
「聖典には、夫婦は神々から祝福を得て婚姻し、子宝に恵まれるとありました。なので、天からの使者が夫婦の元に届けてくださるのでは?」
わたしの言葉に、リディアは苦い薬を飲んだ時のように顔を顰めた。
困惑して他の乙女たちを見渡すと、ローズとマーガレットは正面を向いたまま嘲笑を浮かべているし、リコリスは話しかけるなとばかりに床に視線を落としていた。リリーだけが、わたしと同じようにキョトンとしている。
「……フリージアは神殿育ちでしたね。神殿では男女のことについては教えられませんから、知らなくても不思議ではありません。まだ子供ですし、今知る必要もないでしょう」
「はあ」
リディアは大きく咳払いをした。
「とにかく、神子様はあなたたちに呪印は必要ないと判断されたのですから、気にしなくてよろしい。時間が惜しいので、花の乙女の役割について説明します」
今回文字数多くて申し訳ないです 汗。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




