第二話:祭事──scene9『夜の一閃』
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龍を模す人間は崇めるに値しない。
下郎。邪道。忌み深く、忌々しい紛い物。
私は小さい頃からあのような存在に対し、龍への心象を汚す行為だと断定し嫌悪していた。故に人が作った龍壺を破壊し、龍意を軽率に代弁する主教には『仕事』を敢行した。
『龍』たらしめるものは、即ち『龍』である。
それが私の意識の根幹であった。
……しかし、どうにもこの世はふざけているらしい。
もし、紫樹と黄樹の特例を知らずにいれば、今宵の私は変わり果てた幼馴染みの姿を前にして、どう喚いていただろう。
もし、人間が堕心する事を知らずにいれば、今宵の私は変わり果てた幼馴染みの姿を前にして、どう吠えていただろう。
「……ブレイド」
黒き龍。
もう、奴の面影など無い。
私の目の前にいるのは一御の堕心主。
現代にまで揺蕩う樹十の残り香によって異形と化した、一人の人間だ。
私は、数人の二層隊の護衛班に守られながら彼に近付く。
黒き龍は龍信領界に降り立ってから、ピクリとも動いていないらしい。何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。如何に幼馴染みとはいえ、私だってブレイドの思考を全て汲み取れるわけでは無い。近しい友人ならば、何かしらの有効打を期待出来ると思われているのだろうが……果たして本当にそれだけなのか?
人ならざるモノを見上げ、私の目線は泳ぐ。
「どうしたブレイド! 遊びに来たんだろ!?」
「私は──……アガルタはここにいるぞ! ……──この前、龍史の新説を語り合ったよな! 話そう! 龍口語の文字の成り立ちや、龍と人が交わる物語を!」
「ブレイドは反龍派のゴシップの方がいいか!? 私はブレイドが持ってくる話題は嫌いじゃない! いつも私の専門外のネタを仕入れてきて、お前の弁は本当に楽しかったんだ!」
「嘘じゃない……。だからさ、もっと……喋ろうよ。──ブレイド!!」
私の声が……私の声だけが……木霊する。
黒き龍は……黙ったまま。
彫像かよ。いっそのこと煽ててやろうか。
そう思った時、微かにヤツの身体が動く。
ようやく反応を見せた──……と、私が顔を綻ばせたのと同時に、多方面から悲鳴と衝突音が上がった……!
ブレイドは──いや堕心主は、龍と同じ形のヒレを無数に生成し、周囲を陣取る二層隊達に向けて薙ぎ払ったのだ。
しかしながら彼ら彼女らは、それを想定せずにただ突っ立っていたわけではない。突然の攻撃を受けたとて、盾としての役目を手放す者など最初からいない。倒されようが、すぐに奥の二陣三陣と入れ替わり陣形を立て直す。
更に、目標が猖獗を極まったと判断されたか、対龍拘束の動きも始まった。
そうなってしまえばいよいよだ。『友人』を使った策は破棄され、討伐が執行されてしまう。
私は叫ぶ。
「暴れるなブレイド! 落ち着け、何も怖くない! ──待って、まだ話したい事があるから!」
「もう駄目だテラー八層尉! 諦めろ! 上も判ってくれる!」
ここまで私と共にいてくれた追跡班の二人が、私を強引に退かせようと力を込める。こちらも抗うが、ブレイドに伸ばす手は簡単に離されていく。
そして私の目に映るのは、黒き龍の巨体に巻き付いていく幾百本の拘束ワイヤーに、みるみる動きを封じられていく堕心主。
私などとは違い、皆には奴に対して慈悲なんてものはない。
危険な物は危険。だからこそ、無力化することに全力を挙げる。
こうなった以上、私の声は誰に届く事も無く……喧噪に飲まれるのみだった。
──二層隊が動いて、ものの数秒。
黒き龍が縊り殺されるのも、残すは数秒か。
己の眼に映る光景が、ブレイドの最後を物語る。
しかし、その時。
私の前に、燃え盛る黒い炎を纏った人影が現れた。
黒き龍から分離したようにも見えたソレは、ヨタヨタと歩み……私に、手を伸ばしていた。
「 ブレイド!! 」
すぐに分かった。
ブレイド以外に無い。私は退避を促す全ての声と力を振り切り、彼に駆け寄った。
視界の端で、黒き龍が消滅していく。でも、コイツは消えない。
近付くと全身の皮膚が蠢くような不安感に似た感覚に襲われた。けど、そんなもの……!
「──? ……え」
差し向けられた手を取ろうとした。
ところが、その手は私の手を躱した。触れるのを躊躇った……のかと思った。
「ブレ……」
そうではない。
コイツは、静かに手を、腕を動かし続けていた。
その動き……見覚えのある流し方に、私は、思わず破顔してしまう。
嗚呼……これは、私が教えた、龍香の舞の手の運びだ。
片手のみの動きだけれど、やっぱり少し雑で、ブレイドらしい真似方だと思った。
「ブレイド……そこはこうやるんだ。指の力だけを抜いて、龍の輪郭を表現するんだよ」
周りが私達をどう見ているかは分からない。
警戒しているのか、静観しているのか。
どちらにせよ、私とブレイドは二人だけで、互いに手を舞わせ合う。
誰も入ってこれずにいる今、私は少しずつ……私だけが少しずつ、コイツが戻ってこようとしている気配を感じ取れていたと思う。
「……──ん? どうした?」
ふと、ブレイドは舞を止めた。
すると──。
「……ぁ」
黒い炎の中から、ブレイドの顔が出て……私を見据える。
「──あがるた」
「ぶ れい──わ゛?」
待っていた応答。次いでブレイドは、唐突に私の腕を掴んで凭れ掛かる。
その瞬間から黒い炎が腕に移り、言いようのない悍ましさに全身が強張った。
それでも、離せこの野郎とは言わず、私はむしろ腕を掴み返してやった。
「なんだ……っ、今度はなんの遊びだ!?」
「あがるた さ、知ってるか。……そうりゅうの もの がたり の さいご」
「はあ?」
双龍の……物語。
龍史学の初歩と言っていい、龍と人の顛末。
何故にそれを訊く。口が利けるなら、もっと別の話を……そう言葉にしかかったが、コイツが今聞きたいことがそれならと、私は答える。
「あれは……。最後、樹十との戦いを終えた彼女らは、来世で皆と再会して、仲睦まじく暮らしました……って」
「… ……」
児童書にはオブラートに包んで、あえてハッピーエンドのように締めくくられている。
ご時世的にも、龍を悪とさせない為にその方が良いとする傾向がある。だが、私が知る双龍の物語の最後は──。
「そう言われているけど、正規の龍史書にはな……。──ブレイド?」
ブレイドは俯き、垂れ下げていたもう一方の手を上げて私を制した。
そして、つまらない道化話を嗤う時のように顔を歪ませた。
「そっか … じゃあ 俺も ……そうなりてぇな」
「……」
それがどういう意味を含んでいるのか。
私が理解出来ない筈はなく。
「あがるた──?」
もう、討ってやらねばならない。
再びブレイドに纏わりつく黒が、密度を増していく。
装飾剣など、最初の接触時に折られていて、今の私に武器らしいものは無い。
出来ることは、こうするだけだった。
「? どうした あがるた …しごと中に かんがえごと か?」
友人の体を形作る黒い瘴気ごと、私は強く抱きしめる。
もう言葉は無く、視線の先より来る一閃を、迎え入れた。
「──よく持ち堪えた、層尉」
稲妻の如く颯爽と現れたのは、私たちが『貴族』と呼ぶ者。
全身を覆うローブのような装衣で顔も見えん。そんな衣服から突され、ブレイドの背から胸へと貫いた手は、凡そ人の手だとは思えない程の凶意を感じた。
引き抜かれた貴族の手の中で、黒い肉の塊が弱弱しく脈を打つ。
貴族はそれを、天で待つ龍──ザハァグに掲げた。
すると、かの龍から龍睡と思わしき光る水が雨のように降り注ぐ。
黒い肉の塊はその中で、ゆっくりと……動かなくなっていった。
そうして、黒い瘴気さえも昇華し、ブレイドの胴体が露わになったと同時に、首が……私の背を伝って、地に転がった。
「あ……は…──ブレイ……ど」
友人の首を見下ろす私の顔は、どれだけ歪んでいただろう。
もう喋る事はない友人の姿を見た私は、どんな風に声を絞り出していたのだろう。
以降の記憶が無くなる前に、双龍の物語の最後の一文が頭を過ったのを憶えている。
『この世は未来永劫、樹十の呪いで満たされる。』
よりによって、そんなふざけた戯言が……。
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第二話 『祭事』──おわり──
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