第二話:祭事──scene7『五層隊』
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最初に私は、龍撃師団五層隊の存在意義を知っているかと訊かれた。
五層隊は主に『観測』を担い、戦闘から最も離れた組織だと言われている。
観測自体ならば、他の隊でも人員を割けば出来なくもないので、一部の部外者からは必要性を疑う声が上がってるのだと、ブレイドが酒を片手に喚いていたのを憶えている。
そんな五層隊の話が、何故に最初に出た?
「……知っていて当然。愚門の極みと言った顔だな。だが本当に知っているか? 『観測』が何処までを指すか……答えられるか?」
「……? 龍の一生を追う事さえあると?」
「それは狂気染みてるな。暇そうな五層隊なら、本当にやらされそうではある。しかし、ここでの正解は、『不特定対象を念頭に置いた堕心の観測まで』だ」
不特……対。
「堕心は龍で留まる話ではない。堕心を齎す大いなる呪いは、人にも移り始めた。それを観測し対処する組織を編成し、貴族らは後に五層隊と称して龍撃師団に紛れさせたのさ」
五層隊は『何に於いても観測者』とされた。
そう言い、龍仕人は酔い草の紙巻を咥えた。
「人が堕心する。それは、人が龍を打ち倒し始めた時期から始まったそうだ。つまり、その経緯を開いたのは龍撃組織を作ったマルドクの貴族さ。公表するべき話でも、重大な責任を負わされる可能性が高いとなれば、コソコソと対応するしかないのだろうよ」
大層な立場に君臨する人が、酒場で愚痴を漏らす酔いどれみたいな顔をしている。
そんな人から放たれる言葉を聞く私は……どんな顔をしているのだろう。
「アガルタ。大いなる呪いは、ここに来て増大したかもしれん。前回まで、堕心した人間は首を刎ねて四肢を離れた場所に捨て置けば大事にならずに済んでいたそうだ。だが、今回は違う」
「……は?」
「もう一度言うぞ。先刻、御龍観測隊全班が致命的な被害を被ったそうだ。多くの死者を出したのは五層隊と一部の七層隊。そして、堕心したと予想される者は、第二十一号堕心龍の心臓を貫いたと報告されている民間龍撃旅団の若者。この者は既に対処済みだそうなので……もう一人の方──」
待て。
言葉を遮りたい。
発されようとしている名前は、アイツしかいない。
──……しかし、龍仕人はそれを言う前に、ふと天を仰いだ。
「……時間か」
「じかん? ──ぁ」
彼女が仰いだ先に目を移すと……そこには巨大な影が星空を遮る異様な光景があった。
「あれは……もしかして、御龍葬の時の龍?」
「待って、すごい低い所に浮かんでない?! 一般通過してますって感じでもないんじゃ??」
音も無くやってきたのか。
空を覆いかねん程の巨体は、何をするでもない。ただ、我らの頭上を独占していた。
「戦龍級ザハァグ……と、人は呼んでいるらしいな。本名は知らんが、古書にも載る長生きさんだ」
信じられないくらいの御龍の接近であるが、「だが今は、アレは捨て置け」と、龍仕人ともあろう者が不敬極まりないことを言い、私の胸を叩いた。
「堕心した人間は、今までの対応では対処しきれんだろう。かと言って、あの御龍が何かしてくれるとは思うな。アレは呪いを受けた者の汚れてしまった心臓が捧げられるのを待っているだけに過ぎん」
「……──……」
「もう理解しているな? ……そうだ。龍信家系の隷従の子だった、お前の旧友を……お前の手で、捌いてやりなさい」
「……そん……な」
吐き気が
目が 焦点を 失う
私は今
堕心した ブレイド ウラアを 討てと いわれたのか
どうして
「……はいとは言えんか。だが、お前がやらないなら、別の奴が討つだろう。討てるまでに何人が犠牲になるか分からんがな」
とにかく──と、母は去り際に言い残した。
龍剣を持て。
そして、なんとしても奴の心臓を取り出せ……と。
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紫樹と黄樹については母に任せておけ……だそうだ。
私の龍剣は寮にある。取りに行くにしても、中央広場から出れない以上は装備も出来ん。だからか、ティヴは図書館にあった龍剣のレプリカである装飾剣を渡してきた。
明らかにまなくらで、もはや鈍器な剣で一体何が切れるのか。
「……切れた方がいい?」
「……言わすなよ」
今、公国に侵入してきている目標は、堕心したブレイド。
それを討て?
あまつさえ、心臓を取り出し、空で待機している御龍に捧げよ?
こんなのが、私の休暇返上の緊急任務だと?
──この世は、ふざけているのか?
元凶は、大いなる呪い。
双龍の物語以降の数ある龍史書で散見する文字だ。正式な呼称は『樹十の残り香』だったか。でもそれは──。
(禁忌を犯した龍を堕心龍に変える呪いって話ではなかったのか?! なんだよ、人も堕心するって……!)
挙句、ソレを隠して人知れず処理していた?
これまでの『勇者』達は堕心龍を討ち取った功績を讃えられ、昇級と称して異動させられていたと聞く。そうやって世間から隔離し、秘密裏に首を刎ねていたと?
ならば御龍追跡任務も、単なる口実か。本来なら放置して然るべき案件に体良く乗っかったわけだ。
それで、ブレイドは──……!
握り締める装飾剣の柄が、ミシミシと音を立てる。
ハラワタを煮え滾らす私を、ティヴは心配そうに覗き込んでいた。
「今、私は……どんな顔をしてる?」
「泣きそうな顔……してるよ」
「……そうなのか」
腹にあるのは怒り。けど、表情を作る感情は、幼馴染みを憂い……こんな運命を嘆いているらしい。
外は、相変わらず祭以外の音はしない。まだ戦闘らしい事は起っていないからなのか、それとも、ブレイドが堕心したなどと言う話は誤報で、本当は何も起こってなどいな──
「──ひっ!」
遠くの……鐘塔が倒壊した。
断末魔の叫びのような鐘の音と──街を撫で回さん勢いで衝撃音が轟き、ティヴは咄嗟に窓際から本棚の影に身を隠す。……私は、細かく揺れる窓ガラス越しに見る絶望に、ただ……ただ、これが夢である事を願った。
けれど。
そう願ったとしても。
ああして遊びに来た友人を、迎えに行かなければと。
私は、自分が何を思いたいのかも分からなくなった状態のまま。
いつも通り。
いや今回は。
派手にノックをして人の敷地に入って来た猿公の為に、小言の一つでも返してやろう。
そう脊髄反射のように、私は図書館の玄関の方へと足を進めた。
「──だめ!」
そんな私の前に、ティヴは立ちはだかった。
「兄様、やっぱりだめだよ! 人じゃない! あそこにいるのは化け物だよ!?」
「言い方。あそこにいるのは龍撃隊員だ。私はそれと合流しに行くだけ」
だから通せと。ブレイドと鍛えた野次馬根性舐めんなと。
私は邪魔をする妹を押しのけようと肩を掴んだ。しかし、コイツは歯を食い縛りながら抵抗を見せる。
「頼むって。……よく見ろよ。舞衣装にレプリカの装飾剣を持った男が、前線に出て戦えると思ってるのか? 私は思わないぞ」
「兄様は龍恩祭で重要な役どころがあるんでしょ? それまでは大事な身だから龍撃隊から離されたのに、行ったら意味ないじゃん!!」
「それを許可したのは、言い出したあの人だろ。……相手が私の友人だから、無事に事を終わらせられると踏んだんじゃないか?」
「どこにそんな確証があるって……! 殺されちゃうかも」
「ティヴ──っ」
もうめんどくさいなと思いつつ、私は我がままを通す場所を履き違えた妹を抱きしめた。
「落ち着け。私は戦わないよ。ただ単に、知らなかった事が本当なのか、自分の目で確かめてくるだけだよ」
「うそつけ」
「うそじゃない」
ちゃんと帰ってくるから。使徒教会で待ってろ。
そう言ってティヴの背中を二、三度叩いて身を離す。
「そしたら、調べものに付き合ってくれ。これは私一人じゃ時間がかかるから」
「……」
ティヴは……俯き、
「夕飯は?」
「いらない」
「夜食は?」
「好きな物食えばいい──っお?」
唐突に私を突き飛ばしてきた。
「……わかった。今日の定期船は諦めるから、アガルタ……そんなに言うなら見てきなよ」
「ぁ……ああ」
「よくよく考えると、兄様は母様の言う事に従うふりして従わないし。どうせ今回も」
──だから待つことにする。
ティヴは私と一切目を合わせようとせず……私から顔を逸らしたまま「御龍祭の様子見てくる!」と言って、走って図書館から出て行ってしまった。
「……」
不安には思っているのだろう。
ブレイドが私の幼馴染みといえど、龍信家系の隷従の子だと知っていて、そんな立場の者が大きな力を持った時……牙を剝いてこない保証などない。
あいつは、それを重々知っているから。だからこそ、母の方針に逆らおうとした。
逆らいきれなかったけどな。
なら、私はどうだろう。
ブレイドを討つことにするのか。
それとも、討たれるところを見届けるだけにするのか。
討たないなんて選択肢があるようには思えない以上、私もティヴと同じく、逆らえないのかもしれない。
それでも、まだ見えない可能性があると信じてみるのはどうだ。
ブレイドと遊ぶ時は、大概……いつもそんな事の繰り返しだったはずだから。
「……──きっと」
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