第二話:祭事──scene6『祭の中の異質』
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宵。
篝、光り届け。
水流々、合間より出でと。
煙、皆々想い思ひて手を合わせ。
香、祈り人を御龍と有られるよう。
──繰り返される唄に乗り、私は振り香炉を片手に舞い始める。
香炉より滾滾と湧く水の如く流れ出ずる灰煙を伴い、光る水──古称龍睡が満たされた水床に素足を滑らせる。
龍殻の樹の皮を焚べ、樹香灰と混ざる煙はやがて龍の尾と化す。
煙の龍の出現を機をし、台外の水床で跪く祈り人達の合間道で座していた龍信教徒達が香を焚き、唄い、歩む。
それらは、生まれ舞う一御の龍に惹かれる龍らを表す。
私の龍は尾に続き、二つの心を抱く身から三対の胴鰭を……そして、振り香炉を天高く──天へ昇れと飛ばしては、御龍尊顔を世に下ろす。
人の心にある龍へ……蒼空におわす御龍へ、永久へ続く平穏を望み祈れ。
人の手に紡がれた龍は、やがて雲に溶けて無くなる。されど、生ある御方々は、いつまでも天を統べりあそばされるであろうと……──。
──辺境の村で行う龍香の舞とは雲泥の差。
オリジナルを真似た光水などという人工物ではなく、数少ない本物の光水……又を龍睡を浅く満たした円卓を舞の舞台とし、マルドク公国の中央広場で行う大仰な御龍祭だ。
祈り人も多く、老若男女問わず皆、規則正しく並べられた円席で舞い人を囲う。
その中に、ティヴもいるらしい。別れ際に、見つけたら手を振ってねなどと言われたが、この雰囲気の中で振る勇気があるとでも?
ともあれ舞は佳境。
描いた龍はとうに流れ、あとは舞を唄に合わせて締めるだけ。
「……?」
その時に、祈り人達の奥……龍撃師団の装衣を纏う者らに目が止まる。
(……あれは、一層隊? ……貴族の警護?)
警護……。
それにしては、誰もが対龍装武具まで携えた完全武装なのは、おかしくないか。
明らかに祭を楽しみに来た貴族に追従する護衛と言った感じではない。──すると有事か。堕心龍の接近? 御龍葬に訪れた龍が堕ちて警戒度が高まっている線もありそうだ。
けれど、もしそんな話になっているとしたら、ブレイドは大丈夫だろうか。
確か御龍追跡の任に就いていたはずだが。
「──・・」
少し足が縺れ、無駄に水を弾いた。
らしくない動揺。堕心龍絡みの有事で、公国の中心にいれば龍撃隊くらいは目につくさ。しかし、内地を守護するのは一層隊だけではなく、二層、三層隊の仕事でもある。一層隊は貴族の矛盾と呼ばれる組織であり、最優先に護るべきは民衆にあらず。警護だけならば、なにも物々しい彼らに任せずとも二層隊以降の組織を使えばよい。それなのに、何故最初に目につくのが、貴族直下の一層隊なのかと頭を過ったのだ。
──頬が……強張る。
それでも、最後の一薙ぎを締めとし、私は龍香の舞を終えた。
背後の一層隊に気付く事もなく、祈り人達は深く頭を下げ、こちらもそれに習い一礼をする。額を伝った冷や汗が落ち、龍睡と微かな音を鳴らした。
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役目を済ませた私は、足早に舞い人の控室がある仮施設に入る。
中には私を迎える教徒とハクロさんがいた。その姿を捉えるや、勢いのままに彼女の両肩を鷲掴む。
「──? アガルタ君?」
「ハクロさんっ、皆も聞いて!」
本来なら帰って来た舞い人を労い、次の行事に備えて銘々が忙しなく動くものだが、その舞い人が血相を変えて声を上げるのだから、皆何事かと目を丸くしていた。
私は「嫌な予感がする」と前置きをし、ハクロさん達に伝える。
「……龍撃師団一層隊が完全武装で待機しているのが見えた。それだけでは祭の中止を訴える事は出来ないけど、皆……すぐにここから逃げられるよう準備をしておいて!」
「……え。……逃げられるよう……って」
ハクロさんの表情に怯えと困惑が滲む。
「私は主催側に事態の確認をしに行く。──ハクロさん、皆を宜しくお願いします!」
「あ──アガルタ君!」
主催陣営がいるのは近くの図書館の上階だったはず。
着替えてる余裕は無かった。とにかく私は走り出す。
暗い連絡通路へ身を投じ、煩わしい龍冠を花瓶台に放って脚を早める。その際に、ハクロさんの「気をつけてね!」との声を背に受けた。
考えよう──仮に、堕心龍が公国領深部にまで進行してきたとする。
この場合、公国郊外では四から六層隊による追撃、迎撃陣形が広範囲に渡って組まれ、都圏域では三層隊が行政やライフラインに関わる指定区域や重要施設に方円陣形を展開させる。二層隊は遊撃と襲撃だ。目標へのアプローチをポジに行う二層隊が今行動を起こしているとするなら、その音──声が、街の何処からか響いてくるはず。
だが──。
(……まだ……静かな方だと思うが……)
聞こえるのは御龍祭の囃子音のみ。街の喧噪は無い。
続けよう──七層隊、並びに八層隊は公国内の待機組が住民の避難やマスメディア対応、物流統制、傷痍や補給搬出搬入経路の確保等、各所へのバックアップに回される。目標がブレイド達の追跡戦線を突破したと考えると、生き残った者は今頃は帰還し、五体満足なら避難民の誘導を担う班に加わっているだろう。
どの道、中央広場から彼らの活動域までは遠すぎる。連絡を取り合うのは厳しいか。
「──あ! 兄様!」
「ティヴ!? まだいたのかっ?」
図書館の裏口を潜る寸前で、通路の外道からティヴが走ってきた。
てっきり、もう出立したものだと思って考慮に入れてなかった。
「なんかさ、ゴツい装備した龍撃隊の人達に広場から出るなって凄まれてさぁ!」
妹が自由を奪われて拗ねておいでだ。
どうやら既に中央広場は龍撃隊の防衛陣によって囲まれているようだ。目標は、それほど接近していると見て良いかもしれない。もう人の出入りを制限しているなら尚の事。下手に避難経路に導き警戒範囲を拡げるよりも、防護陣形の中に留めた方が防衛力の瓦解を抑えられると判断されているのだろう。
「それなら出国はおあずけだ。暫くは私から離れないように」
「……はぁあい」
文句は垂れても不穏な空気は感じ取れているらしい。流石は、推し活するにも、まずは生きてからだと豪語していた妹である。
ティヴが隣に着くと、私達は足早に図書館の上階を目指す。
「ねえ兄様。……どう考えた?」
「どうもこうも……良からぬモノが公国内に侵入している可能性が高いと考えてる」
「……良からぬモノ……。堕心龍?」
「かもしれない。でも、だとしても静か過ぎるのが……」
誰もいない事務室を抜けて外廊へ。外廊から大ホールへ。大ホールの中央にある対状の大階段を駆け上がり、テラスとを繋ぐ展望通路から更に上へと続く階段へ──と。
「待って兄様! ……あそこ。テラスに母様がいる」
ティヴが立ち止まり、指を差す。その先に、闇夜の街を見据えるあの人がいた。……御龍祭が行われているのは真逆の方向だ。呑気に夜風にあたっている……わけではなさそうに見える。
「母様!」
そんな不気味ささえ感じられる人に、ティヴはお構い無しに駆け寄った。
「……あぁ、お前達か」
私は小さく息を吐き捨ててからティヴに続く。
「聞いて母様! どこぞの龍撃隊が邪魔で夜の定期船に間に合わない!!!」
「今日はもう諦めろって……。御龍祭にご参席頂いている貴族の方々は、興には不似合いな駒を敷いている様子。私たちは、そのことについて主催側の方針を窺いに行こうと思っている」
眼前の龍仕人を凛と見据え、権力に泣きつこうとしている妹の腕を引きながら簡潔に言を並べる。今はこの人と言い合いをしている心の余裕は無い。私は「それでは失礼」と踵を返そうとした。
「やめておけ。奴らは何も知らん。御龍祭の事で頭が一杯だろうから伝えていないわ」
──……後ろ髪を引かれた時のように、進めようとしていた足が止まった。
「母様は知ってるって事?」
「……」
その無言。肯定と捉えて良いのか、私は思わず向き直る。
するとこの人は、こちらをジッと見て……言う。
「アガルタ。久々に見るお前の舞は……我が夫の舞とよく似ていた。……が、まだまだ御龍を想い切れてはいなかったな」
「……未熟ゆえ。それよりも、今公国内で何が起きているのか知っているのなら、是非教えていただきたい」
龍仕人さんは一瞬、まだ何か言いたそうに口を開きかけたが……それをやめ、遠くに視線を逸らし、口角を吊った。
「──大いなる呪い」
「え……?」
龍仕人は、苦虫を噛み締めたような表情のまま、額に手を当てて私に目を向けた。
「先刻、御龍観測隊全班が致命的な被害を被ったそうだ。……何が起こったか、想像出来るか?」
「……え……致命的……──やはり、堕心龍──!?」
「ではない。むしろ堕心龍であった方が問題が大きくなることは無かったろうな」
……堕心龍ではない……?
それでいて、龍撃隊が致命的な被害を被った……とは?
「これは、今後お前にも関わる話になるかもしれんから……時間の許す限り、順を追って話そう」
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