第二話:祭事──scene2『そして今』
──────
──ガチンと、金属が強く合わさる音の後、俺は再びリジルの柄を引き抜く。柄の先には磨き上げた本物の刃が取り付けられており、これを雄々しく振り下ろす。──と、したところで。
「ブレイド・ウラア八層尉! 戦闘態勢の指示も出てないのに抜刀するな!」
対龍装甲車の中から男性上層官の叱咤が飛んで来た。声を荒げるのも分かるがと、俺は遠くを飛ぶ『目標』を見据えながら言葉を返す。
「あー、すんませんね。気持ちが昂って、ついつい癖が出ちゃったんす」
声だけはヘラヘラ。
そんな態度の俺に龍への尊意が憤怒したか、間髪入れずに怒声を発そうとしたようだが、
「上層官殿っ。ウラア君はぁ、ホラ! 宗派とは一線を引く身でありますから、ここは穏便に……!」
隣を陣取るゴマすりに宥められたらしく、俺を睨んでは唸るだけに留めたようだ。
そんな様子を頬で感じながら、俺は遠くの空を滑る『目標』を見据えていた。
──第三十七回御龍監察領域内追尾条項下遂行任務。
我等公属龍撃師団八層隊、及び七層隊は公国領内での監察を担う五層隊に追従し、現在一班四人構成計七班に分かれた遠追尾組織が御龍の『警護』の任にあたっている。
アガルタもいないし、出来る事なら更に遠方から観測している班に入って、のんびりと望遠鏡を覗く楽な仕事を任されたかったが──……生憎の前線配置。
同じ送装車に乗る如何にも信行殿堂規律第一でございます的な面子を見ても、ダラダラとはやり過ごせそうも無いようだ。
そんな空気感もあって、俺はぼっちで車の後部タラップに出、生暖かい風を浴びながら優雅に空を流れる御龍様を眺めているわけなんだが。
(──アレと対話か。……正気か俺は?)
まず、目を見張るのはその大きさ。
御龍との距離は観測規定に習い、凡そ三キロメートル強は離れているものの、こうして腕を伸ばした先の掌と比べても、俺の手の大きさを優に超える。
明らかに、前回の老龍とは大きさに数倍の開きがある事が分かる。
龍の世に大きさによる階級があるとすれば、恐らく彼は相当の上位存在……王族にでも属してそうな図体をしているようだ。
それと対話をしようと考えると、流石の俺でも思わず剣を抜いてしまう程に震え上がってしまったらしい。
──とは言え、あの御龍に堕心の気配は感じられない。戦闘に発展する事態に陥る可能性は低いとの上からのお達し通り、俺達はこのまま平穏な任務を終えそうな雰囲気にいた。
「にしても上層官殿。あの御龍様は何か……探し物でもあるかのような……? 御龍葬からずっと人の生活域を飛んでますよね」
「……お上の御心を窺い知るな。と、先人は宗教的観点から崇拝信仰を削ぐような行為をタブーとしている。よって、我々が為すべきなのは、堕ちたら討てだ」
それ以外について、御龍様を詮索するな。
そう釘を刺す上層官の信仰心に、アガルタなら同意するだろう。そしていつもの俺も。
「──俺が考えるに、出会いでも求めてるンじゃないっすかね?」
「え? で、出会い??」
「言った側から余計な戯言を吐くなブレイド・ウラア八層尉。御龍様を俗世の価値観になぞらえるなど言語道断だぞ?」
今の内に愚言を撤回しろ……と、上層官殿は携えた龍剣の柄をトントンと叩く。
『俺』を考慮した上で、本来なら抜剣するところを穏便に済めせてやろう──そう聞こえる音だ。笑える。
奴ら龍撃師団五層隊は、我ら七層八層隊のように国外派遣されたり、民間隊と協力して堕心龍と相まみえる真似はしない。主に公国内に引き籠り、皆無に等しい戦闘事に備えては惰眠を貪る連中だ。
直に龍と対峙し、咆哮を浴び、骨甲殻に刃を埋めては生きて帰る強者達──果ては勇者と持て囃された者に対して、その態度には疑念が湧く。
そもそも、五層隊に関しては、反龍派でも存在意義を問われている。
公国内での有事を処理している四層隊を引き合いに出され、過去何度も解体を訴える申し出がされたはずだ。なのに、まだのさばっている。不思議でたまらんよ。
「ほら、撤回はどうした。言葉が思いつかなくなってきたか?」
上層官殿に返答せず、代わりにじっと見据える俺と目を合わせる事無く、変わらぬ態度を貫くと。なるほど。
送装車にはもう一人の五層隊員がいる。そいつは頭防具を深く被り、腕組みをして眠るようにして座っている。──我関せず、だそうだ。
俺はつまらないモノを見るのは止め、遠くを走る送装車へ視線を逃がした。
こんな機能しそうにない班にいて、何の意味があるのか。
アガルタが恋しいぜ。
────
俺とアガルタの出会いは、お互いが七歳の頃。
建国十周年を祝うマルドク公国を敬し、俺達が住む国境を跨いだ辺境の村でも小さな御龍祭が執り行われた。
何分村民の殆どが龍信家系とその分家で、ウチのような『遠縁薄縁家系』は決められた事に従順でなければ息もし辛い生活をしていた。
当然御龍祭でもそう。
俺の家を始め、流れ者が住まわせていただかせている分、大人でも子供でも関係無く祭りに必要な雑務を喜んでお請けする必要があった。
流れ者──とは、それらは全て元々どこかしこの龍信家系に仕えていた、若しくは分家の分家みたいな立場があやふやな者達を指す。例えば、俺の母がそうだ。
母は龍信家系の末の子の家に仕える分家の娘だったらしい。
そんな立場だったお陰で、裏方に回る事が多く、行事に関する知識は豊富。だから俺も母から祭の前支度、工程、後片づけなどを教え込まれていたので、龍信家系が中心となって執り仕切る本夜祭にも関われた。ウチが担当していたのは式場周辺の警備。厳かに祭を楽しむ人だかりの外側を只歩き、近付く獣を見つければ棒切れを振り回して追っ払うなんて事をしていた。
そんな時だった。
俺は初めて本夜祭の華──龍香の舞を見た。
その舞いは龍の骨粉を焚いた振り香炉を携え、人の心に住まう龍を描くように香煙を拡げる最初の儀式。御龍祭に於いて、後の催事の行末を決めてしまう大役を担ったのが、初顔見せを行ったアガルタだ。
奴は……一言で立派だった。
香煙で描かれる龍は皆の心を惹き、舞う姿は大凡子供とは思えぬ程に優雅で洗練されていたのを憶えている。
目を釘付けにされる。今思えば屈辱だと笑い話に出来るが、当時の俺は『本物』を見た事に幸福を感じ、阿保らしく惚けていた。
そして、何よりも記憶に残ったのが、その最中に俺とアガルタの目が合った瞬間だ。
奴は……「どうだ。カッコいいだろ?」と言いたげに微笑んだ。
それを見た途端、俺は頭に血が昇り、舞から目を逸らした。
馬鹿にされたような……見下されたような……子供ながらの負けん気が嫌悪感として表れたせい。それと……。
それと……舞を見届けていた時の母の眼差しに、いたたまれなくなっていたのもある。
……あの潤ませた眼。母が、あの本物になりたがっていた事を知っていたから。それなのに、どんなに努力したって届かない場所なのだと痛感した眼を見てしまい……悲しくなったんだ。
御龍祭を終えて、アガルタは俺に会いに来た。
その時の第一声が、「──お前、龍を嫌っているだろ」だ。
なんでも、龍に嫌悪している人間は瞳の深奥に暗い青を滲ませているのだと、アガルタは得意げに言った。
その上から目線。やはり喧嘩を売っているのかと俺も構えたが、そんな血の気の多い俺の反応など気にも止められなかった。
奴が話しかけてきた理由は単純で、年の近い友達が欲しかったのだと。
二歳になる妹では役足らずで、遊び相手には相応しくない。だから、子供など滅多に見ないこの村で俺を見つけた時は……嬉しくなったと馬鹿正直に言われた。
アガルタとの交流に関しては母も喜んでいた。その為、俺は奴と顔を合わせることが増えたのだが……主に、奴から誘いに来る日ばかり。その度に俺も家の手伝いをやらずに済んだのは良かったが……その行動は次第に違和感を抱かせ、俺はアイツの表情から、本心を感じ始めてしまった。
本当は、友達が欲しかったんじゃない。
逃げる場所が欲しかったんだ。
それを深くまで理解出来る頭など持ち合わせてはいなかったが、アガルタが俺を避難場所にしておきたいのなら、そうしてやろう……って。このお人好しは母譲りか。
気付けば、次からは俺から遊びに誘うぞと告げていた。そうしたら、「急に来られても洗剤しか出すもの無いぞ」なんて言って、アガルタは笑った。
なんで洗剤なんだよと、俺も笑って……俺達がちゃんと友達になったのは、その瞬間だったんだろう。
──その日から数日後、俺達の村に突然堕心龍が現れ、アガルタの父が……俺の母が……多くの村人が犠牲となった。
ひとしきり暴れてくれた堕心龍は、四人のマルドク公国の貴族によって打ち倒された。
生き残った者はほんのわずか。貴族達は、そんな俺達を公国へと招き、手厚い生活支援を約束してくれた。
以降は、俺とアガルタが龍撃師団入りを果たし、アガルタの妹、ティヴちゃんは母親と共に龍信教会に入会する。もっとも、あの子は龍信家系の一員であるも、そんなの関係無いわと息巻く遊び人になってしまったが、アガルタが良しとしているから良いのだろう。
それも、奴が小さい頃から望んでいた事だ。
願いが叶った。なら、俺も喜ぼう。
そうして、俺達の今が出来た。
龍撃の仕事は大変だが、ひどく楽しい……今が。
──────