ケアフリーな恋人たち
「似ているようで似ていないような、恋人のようで兄妹のような」
午後一二時に彼氏の部屋のダブルベッドで目が覚めた春。隣には彼氏の望がいて、互いに目が合い一瞬焦っているような表情をしたため同じタイミングで起き、同じことを脳裏に浮かばせたことが分かる。
春たちは大学四年生であり、たった今、卒業をかけた授業の出席単位を一五回分の一回失ったところである。欠席できるのは三分の一、つまり五回であり、今回は一回欠席した為あと四回は休むことが出来るのだが、卒業がかかっている二人には「まあいいか」という余裕はない。
しかし今日はしょうがない。一回くらいはしょうがない。人は失敗が付きものだ。春と望はそう思うことにした。
「シュン、おはよう」
「ボウちゃん、おはよう」
二人が互いの名前を音読みで呼び合うのは、出会いが影響している。
春と望は大学の中国漢詩の講義で出会った。まだ他人であった二人は前後の席に座っていて、そこで偶然に唐の詩人である杜甫の『春望』という漢詩を勉強したのだ。
それからグループワークのチームとして名前を知ってから仲良くなりだんだんと惹かれ合っては、呼び方を音読みにしようと冗談で決めたのが定着してしまい今に至る。
つまり、二人は漢詩によって結ばれたのである。
シュンと呼ばれる春とボウちゃんと呼ばれる望は一〇分で支度を済ませ、近くの駅の中にあるサイゼリヤに向かった。
春はエビとブロッコリーのオーロラソースを頼み、望はハヤシ&ターメリックライスを頼んだ。
二人は一口だけシェアをして、あとは自分たちが頼んだパスタやライスの美味しさをプレゼンし合った。
互いに五〇〇円の品なので、二人は財布から五〇〇円玉を取り出してキャッシュトレーの上に千円札ではなく五〇〇円玉二枚を乗せて会計を済ませた。
「シュン、このあとどうしようか」
「本屋行こうか」
「いいね、行こうか」
駅の中にあるサイゼリヤから近くの本屋に向かう。
春は漫画の新刊コーナーを物色したあと文庫本の新刊コーナーを物色し、望は車の雑誌コーナーを物色したあと音楽の雑誌コーナーを物色した。
詩なんて興味ない二人だが、杜甫の本を見つければ手に取って微笑み合っていた。
見欲を満たした二人はとりあえず望の家へ帰り、溜めていた録画を消費した。
春が見たかった相席食堂の録画は三週間分ほど溜まっていた。
ソファを背もたれにするよう床に並んで座って毛布に包まった二人は二週間分の相席食堂を見終わりそうなところで眠気に負けてしまった。
一七時頃に目が覚めたときには三週間分の相席食堂はすでに終わっていた。隣では同様に望も寝ていたらしい。
「ボウちゃん、今からどこ行く?」
「古着屋行こうか」
「いいね、行こうか」
朝という昼に一〇分で支度をした服装のまま、今度は望の運転する車に乗る。車が進むと望の好きな音楽が車内に流れる。度々好きな曲調が変わる望の流す音楽に春は心を躍らせていた。
車には望と春、二人のブルートゥースが繋がれていて互いのプレイリストを交互に流すのがお決まりだった。
望のプレイリストには「春」という言葉の入った曲が何曲かあり、春のプレイリストには「望」という言葉の入った曲が何曲かある。これは故意であり互いに気づいてはいるのだが、知らないふりを互いにしているのだ。
古着屋ではオーバーサイズを物色する二人。兼用するためにフリーサイズやそれ以上のオーバーサイズを好んでいるのだ。
望が手に取って鏡で見たあとに似合わないと思って戻した服を春がカゴに入れる。春が手に取って鏡で見たあとに似合わないと思って戻した服を望がカゴに入れる。どうせ兼用していくうちに、似合わないとか分からなくなるものだと二人で理解しているのだ。
だから二人はクローゼットも兼用で一つしかない。一〇分で支度した今日の服だって、どちらが似合うとして買った服かも分からない。もしかすると、どちらかは似合わないとして戻した服かもしれないのに。
購買欲を満たした二人は卒業がかかっているような講義を欠席したことなんて忘れている。それよりも、今日は互いにバランスのいい一日を過ごしたな、と感心していた。
本屋は春が好きな場所で古着屋は望が好きな場所、相席食堂が見たいのは春で音楽を聴きたいのは望という均衡した一日だったのだ。
「シュン、古着屋で使いすぎたね」
「昼のサイゼリヤが安かったから大丈夫だよ」
「夜どうしようか」
「なに食べようか」
「あ、ケーキ屋があるよ」
「ケーキ買おう」
「ごはんは?」
「カップラーメンにしよう」
「いいね、アレンジでもして食べようか」
春はフルーツタルトを買い、望はイチゴのショートケーキを買った。家に補充してあったカップラーメンでは、春はシーフードヌードルをスープ少なめにして硬麺でペペロンチーノ風に作り、望は塩ラーメンにチーズや卵を加えカルボナーラ風にアレンジをして作った。
満腹になり、洗い物も全て終わらせたあと二人は購入品を開封してファッションショーをした。
それから講義の欠席を思い出し、少しだけ落ち込んだあとには早く新しい服を着て出席したいと次の日を楽しみにしていた。
彼氏である望の部屋のダブルベッドの中央で横になった春は後悔していた。
大学の卒業がかかっている講義を欠席したことではなく、今日の外出中に目撃した特売のパジャマのことである。
「ボウちゃん、あれ買えばよかったかな」
「パジャマ?」
「あれで分かったのすごいね」
「なんとなく分かるよ。でもさ、あれじゃん」
「ああ、地味だったって?」
「シュンもすごいね」
二人はいつもの調子で笑い合い、部屋の電気を消したあとベッドサイドランプをつけて眠るまでの会話をする。今日過ごした感想だとか明日の服装のイメージだとか、あれば今後の不安や相談だとか、どちらかが「おやすみ」と発して眠らない限り続く時間なのだ。
春と望は夜更かしをしながら長く語り合い、いつのまにか眠っている。ルールとして設けた「おやすみ」など言わずに、同じタイミングで夢に入ったのだ。
並んで置かれている二人のスマートフォンには明日のアラーム設定など施されていないようだ。
最初は『講義に行かなかった恋人たち』という単純な題名にしようと思ったけど、内容を改めて読むと二人があまりにも呑気で楽天的で気楽すぎて『ケアフリー』だなと思ったので変えた。
春と望は似ているようで似ていないし、恋人らしいとこもあれば兄妹のような仲の良さでもある。
二人は負けず嫌いというような性格の強い一面があり、相手が恋人であっても揺るがない。飲食店で恋人同士が何口かシェアするものを、二人は一口だけと決めている。あとは絶対にシェアをしないし、自分が頼んだものが一番なのだから相手が頼んだものは二番以下に値すると思ってプレゼンをしているのだ。(しかし、どちらも引かないのでいつも決着はつかない)
眠る前の語り合いだって、どちらかが「おやすみ」と言うまで寝ないようにしているのだから二人は互いに敵対心を根底に秘めている。好きだからこそ、対抗心というものは持っているはずだから。
今思えば、『呑気で好敵手な恋人たち』という題名でもいい気がしてきた。