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ある女の秘密

作者: 当麻あい

拝啓




 急にこのような、筆を取ったこと、どうかお許しください。誰にも申し上げられない秘密を抱いてしまった。哀れな女と、思って許してください。


 わたしは、おそらく、生涯、好きな男に抱かれはしないでしょう。近く、結婚を致しました。


 それも、彼とは違い、真面目で大食漢な男です。夫と、結婚する前に、わたしは、恋する男に抱かれました。決して、幸せな恋ではありませんでしたが、大恋愛でした。初めて、愛する男に抱かれ、わたしの体は、歓喜勇躍していたのです。


 彼とは、逢瀬を重ねるたび、かなしさばかりが、募りました。道ならぬ恋といえば、聞こえは良いですが、ただの不貞でしかありません。わたしは、日々、時々の中で、何度も懺悔を繰り返し、涙に明け暮れ、ついには気が狂いました。最後の別れを告げたあと、何度、死のうとしたか知れません。


 しかし、現実は、安くなく、死ねない代わりに、神はわたしに一つの約束を与えました。結婚をすることです。わたしは、恐れました。自らも同じ体験をすることを、望まれ、また、わたしも望んだからでしょう。


 神の願いは、すぐに通りました。もう、お分かりでしょう?夫は、神の願いに応じて現れたのです。


 そして、体を重ねるたび、甘い言葉を耳にするたび、胸が満たされてゆくたび、わたしは、一つの問題につきあたりました。


 夫は、本当にわたしを愛しているのだろうか、と。


 当然の疑問でしょう。神が、結婚をさせるために下した人物であるのなら、わたしを本当に愛する必要などないのですから。


 また、あなたは同時に同じことを考えたでしょう。


 わたしが、本当に夫を愛しているのか、と。


 ええ、そうです。贖罪のための結婚であったのではないか、と問われたら、わたしは、それを否定することなどできません。


 つまり、わたし達の結婚は、はじめから「幸せ」にならなければ、ならないのです。それが、どれだけの不幸か、あなたにはお判りになるかと、思います。


 祝い金や、結婚式の式場、贈り物、ブーケ、たくさんの祝福を受けるたび、わたしと夫の間には、なにやらよく見えぬ、深淵のような溝が刻み込まれてゆきました。


 広い家に越して、同じ生活を繰り返してゆくなかで、わたしは徐々に「生活」という退廃に飲み込まれてゆくのです。


 毎晩、毎晩、夫に抱かれ、夫だけの声を聞き、夫の姿だけを見なければならない。決して、愛しているわけではない男を、情愛だけで抱いている。


 それが、どれだけ侘しいことか、知れるでしょう。


 時に、夫にひどく扱われるたび、かつて、わたしを優しく愛撫してくれた、彼のことを思い出すのです。


 耳元で囁く甘い言葉も、嘘も。わたしの全身をくまなく愛撫する、指や舌を。わたしの体は、別の男に求めなくてはいけません。


 三度のおさんどんに、床の世話。


 一分一秒、好きでもない男といるストレス。


 しかし、わたしはその生活から逃れることも、許されていないのです。


 ふと、孤独から泣きたくなる夜が増えました。


 言葉を重ねても、夫にはわたしの乾いた孤独など伝わらないのですから。


 そうした生活を続けていると、ふと、人間の生活など大したものではないな、と思うのです。


 愛情があろうと、なかろうと、結婚をすることもできるし、体を許すこともできる。あえて、言うとするなら、好きなもの同士でした結婚か、そうじゃないか、というだけのことでした。


 そして、わたしという哀れな女は、宿命的に好きな男とは一緒になれないものを持っています。だからでしょう。端から、結婚や恋愛に妥協しか抱かなくなっていました。今もそうです。


 だからこそ、余計に彼とのたった一度の大恋愛は、この胸の中でいつまでも生き生きとしているのですから、たまったものではありませんでした。


 夫へ不満はありません。良くしてくださっています。


 ただ、いずれ、この夫さえもわたしから、一度離れて、大恋愛をし、他所に女をつくるのかと思うと、まったく男女というもののバカバカしさを、問わずにはおれないのです。


 否、もっと言うならば、結婚という形式に男女をはめこむ行為そのものの愚かさを、感じずにはいられないのです。


 人生百年生きたとして、本当に愛する人と一緒に居られる時間のなんと、短いことでしょう。


 この先、わたしが本当に夫を愛したとしても、行き着く先には老いと死だけしか、残っていません。


 そんなわたしの、もっぱらの関心事といえば、もっと早くに様々な男に抱かれていればよかったという、滑稽な答えしかないのです。


 この若い肉を、もっといろんな男に味わってほしかった、そう思い、一人果てる夜もあります。


 もっと、快楽に身をゆだねればよかった、もっと、好きな男にだけ抱かれてくれば良かった、と。


 時に、悪い考えも起こることはありますが、夫を裏切ることもできず、やはり、いつも孤独に泣くのです。


 結婚とは、かくも愚かなものか、と隣で眠る、夫の頬を撫でては、心が乾いてゆくのを感じています。


 久しぶりの便りが、このような走り書きになってしまい、申し訳ありません。


 だけど、あなたにだけは、本当のことを話しておきたかったのです。


 では、達者で。また、便りを書きます。




敬具






拝啓



 便りをいただき、ありがとうございました。


 わたしからしたら、随分とセンチメンタルで、つまらない悩みのようにしか聞こえません。


 どこぞの三文小説の一文でも読んでいるかのようです。


 生活とは、あなたが思っている以上に、辛辣なものですよ。


 わたしにあなたの孤独はわかりません。そして、それは誰にも決してわからないものですよ。


 結婚がどうのこうのという前に、まず目の前にある生活に向き合ってみたらよろしい。そこが、あなたの出発ですよ。


 では、返事はもういりません。お大事になさってください。



敬具





―――「ある女の秘密。」




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